ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ   初夏の朝日連峰&果樹園 (寒河江市)

寒河江の由来

2010-01-31 | Weblog

「ふるさと・寒河江の歴史」&「出羽の国・寒河江の歴史・地名を歩く」


一昨日 本屋のふるさとコーナーのような所で 偶然一冊の小冊子を見つけた

「ふるさと・寒河江の歴史」という本だ


昨年の7月 寒河江市教育委員会が出版

この本の中に「寒河江の地名」の由来について 

面白い記事が載っていたので 少し紹介してみたい


寒河江という町の難しい名前の由来については 

昔からいろいろな諸説があった


朝鮮から来た名前だとか いや アイヌ語だとか

その他もろもろ・・・・・・・・・・

だがどれひとつとして あまり裏づけのある説ではなかった 


寒河江という地名は 4世紀~7世紀ごろ稲作と一緒に大陸からやって来た

渡来人(朝鮮人)と深くかかわっているようだ


奈良時代 稲作農業の先進地域から計画的な移民が

大和朝廷の手によって行われたようだ


まず 寒河江を寒河と江の二つに分けて考えてみると

寒河は寒川と書いても同じでこの地名は

全国で九州から北は秋田まで20箇所もあるようだ


現在の神奈川県に相模国寒川(寒川市)というところがある

出羽の国への移民は 関東の寒川地方の人々が植民して

自分たちの住むところに 故郷の地名をつけた場合が多いと思われる と書いてある


こうした関東地方の農民が出羽国に移民して 定住するようになったのが

われわれの住む寒河江であったろうと考えられる


次に なぜ寒川の下に江が付いたのだろうか・・・・・・?


それは 南に最上川 北に寒河江川(当時は寒河江川とは言わなかった)があって

寒河江川の旧河道の沼川が西から東に流れ 寒河江にそそいでいた


雨期に入ると 氾濫してあたり一面水浸しとなった

水の引いた後には いたるところ多くの入り江が出来た


寒川から移民して来た人達が住んでいた辺りも入り江が多かったから

初めは「寒川の江」と読んでいたのが 

次第に「さがえ」と呼ぶようになったのであろう・・・・・・・・・・


因みに寒河江の地名が文書に出てきたのは 平安の末だが

それより以前の11世紀の中ごろには既に 

藤原氏の荘園として成立していたといわれており

つまりは900年も前に 地名 荘園名として呼ばれていたことになる


このように寒河江の地名は 

古墳時代に始まった開拓史と 深くかかわり合いを持っていたのである


・・・・・・・・のようなことが この本に書かれていた

なんとなく裏づけのしっかりとした 説のような気がする 


ところで 話を最初に戻して

現在の神奈川県 相模国には朝鮮半島からの渡来人が多い

さがみ(相模)という地名は当時の渡来人が暮らした村を

「サガ」といったことに起因し 

ここから派生した言葉が サガ(寒川)神社やサムカワ(寒川 寒河)などの地名として

残っているといわれている

・・・・・・・・・・・・・・・・だとしたら

現在の寒河江市民のルーツは・・・・・・・?

朝鮮半島までさかのぼっていく壮大なスケールを持っているような気がする

そうしてみると 一番はじめに書いた

朝鮮から来た名前・・・・・・・・・・まさにこれが正解だった

吉方取り

2010-01-27 | Weblog

金魚・熱帯魚  2010/1/27


金魚4匹(近所の神社の縁日で孫が金魚すくいをしてきたもの)・グッピー2匹・ホワイトパラダイス1匹・ベタ1

匹・ネオンテトラ3匹・・・・・計11匹

以上 我が家の水槽の住民達である


グッピー2匹の内1匹は 昨年この水槽で生まれたものだ

随分と大きくなって 大人とほぼ同じ大きさに成長した


もともと私の趣味で飼い始めたものではなかったが

魚の世話は すっかり私の仕事になってしまった

今では誰も見向きもしない・・・・・・・・・・


一日2度の給餌 週に1度の水替え(60㍑)とフィルター交換

犬を飼うのも大変だが 魚を飼うのはもっと大変だと

初めて知った


でも・・・・・・・・・ 

透明に澄んだ水の中 

気持ちよさそうに泳ぐ魚の姿を眺めている時間が

唯一 煩わしい日常から解放され

何もかもを癒してくれるような気がする


もしかして

ぼんやり魚を眺めている時が

私にとって この上ない至福のひと時なのかも知れない

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


①千利休 ②秀吉と利休 ③信長・秀吉・家康 ④最上義光 の文庫本&クモマソウ
野上彌生子著「秀吉と利休」は450ページの大作(読書中) 1585年~1615年のおよそ30年間は戦国時代の終焉と共に 以後265年間続いた江戸幕府幕開きの頃でもある

古代より日本の政治の中心は約150年間続いた鎌倉幕府を除き それまではすべて京都を中心にした関西地方であった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


近頃 恵方巻き・・・・・云々という耳慣れない言葉を よく耳にするようになった

恵方という言葉が山形にやってきたのは

ここ2~3年の ごく最近のような気がする


恵方巻き・・・・・・ 

関西地方では 節分の日 自宅で自分の恵方を向いて 

無言で恵方巻きを食べる慣わしがあるようだ

私は生まれてこの方 

この恵方巻きとやらを いまだ見たことも 食したこともない

是非一度本物の恵方巻きを食べてみたいものだ


恵方と同じような意味でこの辺でよく使われる言葉に

「吉方取り」という言葉がある

17~8年も前の話だが

この「吉方取り」に纏わるひとつの思い出・・・・・・?

を少々書いてみたい


以前私が勤めていた会社の社長は 風水の占いに異常なほどの関心を持っていた

今になって思うと 

どちらかというと どこの中小企業の社長も

風水などの占いに凝っていた人が多いような気がする


手首に派手な金色のリングをかけていたり 

中指にとてつもなく大きく派手な指輪などをかけているので

すぐにそれとわかる場合が多かった


ある時社長が 神様からもらってきたというお守りの品を

会社の建物の中心に埋めるのだといって 

わざわざ1階の床板を外し 土中に埋めたりしていた事もあった


そして 彼は2~3ヶ月に1回ぐらいの割合で

ある理由の為に会社を休んだ

ある理由とは・・・・・・吉方取り(恵方取り)のためであった

神様からその時その時の吉方のお告げがあり

そのお告げを実行する為には

仕事を投げ出してまで 行かねばをならなくなってしまうのだった

例えば・・・・・・・・・・・・・・

自宅から200km以上離れた○○○の方角に行って そこに10時間以上留まって水を飲んでくる

こうなると 日帰りは難しい 

当然泊まりになってしまう


私達社員にも1年に1回 社長から吉方取りに行く命令が来た

社員一人一人に怪しい神様の印の付いた

「栞」のような紙が手渡された

ある時こんな吉方取りが手渡された

「100km以上離れた隣県の○○○の方角へ行って 5時間以上留まる」

吉方取り当日の午後 一人で車で出発

牡鹿半島の麓にある小さな漁港の民宿に1泊した

もちろん吉方取りの日の会社は公休だった

翌日は決まって 各自それぞれ体験してきた吉方取りの報告会だった

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから十何年の月日が流れ 会社は十年も前に既に倒産している

今は跡形も無い・・・・・・・・


当たるも八卦・当たらぬも八卦・・・・・・・・・・・・

所詮占いなどというものは 八卦の世界でしかありえない


今になって思えば まさに「信心過ぎて極楽を通り越す・・・・・・」そのものであった

又 「鰯の頭も信心から・・・・」などという諺があるくらい八卦の世界は注意が必要だ


いくら社長といえども 

何の信心も無い ただ単に立場の弱い社員に対し 

吉方取りなどということ強制し 

信心に現を抜かした結果であり 

会社の倒産は

明らかにそのしっぺ返しとしか言いようが無いようだ


そんな社長の経営する会社の行き着く先は

遅かれ早かれ もはや倒産の運命をたどるしかなかったような気がする


しかしながら 社長にはきっと八卦の世界への信心に至った 深い理由があったに違いない
 
経営者として何十人もの社員を養っていかねばならぬ目に見えぬ重圧 信心はけっして逃れられない重圧から唯一逃れる為の手段であったのだろうか・・・・・・・・・・・?

今になってみると 少しは社長の気持ちが理解できそうな気がする


吉方取りは 私達社員にとって会社の命を受け 

1年に1度 ある意味で気ままな旅を楽しめたのも 事実であった


吉方取り・・・・・・・・・・今では懐かしい思い出のひとつになってしまった

※ 因みに先日初詣をしてきた岩根沢三山神社・・・・・・何の因果か知らないけれど あとから調べてみたら 自宅から丁度北北西の方角にあたり まさに今年の私の吉方そのものであった 

何かいいこと有りそうだなんて けして欲張りはしない・・・・ただ今年も家族みんな健康で平穏無事であってくれますように・・・・・・・・・・ 

岩根沢の冬・・・・・・・・・・・・2/2

2010-01-25 | Weblog
冬の雨


ガラス越しに見る窓の外

午後になって

冷たい雨が降り出した

目に見えないような 細かい雨だ


バシ・バシ・バシッ・バシ・・・・・・・

勢いよく水が弾き返される音だ


もうだいぶ前になるが

雪で壊れた2階の雨樋が

雨降りを

音で知らせるようになった


壊れた箇所から

雨水は1本の太い筋のようになって 

溢れる

そのままコンクリートの地面に落下し

激しく叩きつけられ 

飛び散る音だ


雨は

積もった雪を溶かし

黒い地肌をむき出しにする


だが・・・・・・・ 冬の雨は

そう長くは続かない

夜半になれば

きっと雪に変わってしまうだろう

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

夕方になっても雨は降り止まず

いつもは そろそろ犬の散歩に出掛ける時間なのだが

もう少し待って

雨が止み 雪に変わったら

散歩に出掛けるとしよう


昨日の続き

岩根沢三山神社本殿前から 岩根沢集落を見る 2010/1/24 PM3時

山門を潜って いざ本殿に向かおうとしたが

あまりの雪の多さに 一瞬 地団駄を踏んでしまった 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

とにかくチャレンジしてみることに
 
本殿正面・木彫りの龍の彫刻


今にも飛び出てきそうな迫真に迫った龍のかしら 爪・鱗の生き生きとした表情

隅柱には 柱を挟み込むように四つ足の爪全てを剥き出しにした唐獅子が 正面を向いて睨みを利かせていた


お賽銭を奉納 型通りの参拝・・・・・・・初詣だった

たった一人

雪に埋もれた岩根沢神社の本殿の中

暫らくは時を忘れ 彫刻に見入った 


気が付くと

しばしの間 幽玄の世界に身を浸し

それまで自分の胸の中に長く潜んでいた

物の怪が

やっと取り払われたような気がした

神社の裏手の山に登ってみた

この神社 東日本で現存する木造建築物で一番の規模らしい

間口65・5m 奥行36m 高さ23・6m

雪の中にすっぽり埋もれて

春の訪れを静かに待っているようだ

山門から見た門前町(宿坊) もちろん人通りはない

岩根沢集落内

同上

同上

同上

同上

同上


集落内を歩いて一回りした

そこには 集落全体が雪に埋もれ 

物音ひとつしない

ひっそりした佇まいと

ゆったりとした時間の経過があった


もしかして

人は何千年の間 

ず~と こんな暮らしをしてきたのかもしれない


ここには 都会では既に失われてしまった

人と人とのつながりをを慈しむ

人の暮らしの原点がありそうな気がした


春まだ遠し・・・・・そんな思いを胸に秘め 

岩根沢集落をあとにした

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おしまい

岩根沢の冬・・・・・・・・・・・・1/2

2010-01-24 | Weblog

R112号線 寒河江市上野   2010/1/24 PM2時

同上 西川町間沢

西川町岩根沢


今日は早朝から冬晴れの暖かい

穏やかな天気が続いた1日だった


寒河江市から西へおよそ10km

岩根沢は 冬 雪深い山里の 森閑とした過疎の村である


国道112号線から右にそれると 

いよいよ岩根沢に向かう山道に差し掛かる


車でおよそ7~8分

ここまで来ると 見渡す限り 山々は深い雪に覆われ

白と森と空の碧さの

目の前に拡がる 厳冬の世界に圧倒された

岩根沢

同上

暫らくすると 

狭い谷間の向うに 岩根沢のが見えてきた

雪雲に覆われ 遠くに月山の姿を望むことは出来なかった


同上

同上

同上

岩根沢神社・門前の宿坊(民宿)町


岩根沢はかって出羽三山を巡る山岳信仰の宿場町として発展した

近年 山岳信仰はすっかり廃れてしまい

夏季山間民宿地として新しく生まれ変わり

往年の繁栄した面影を僅かに残している

同上

内を歩いていても 

人を見かけることは ほとんどなかった

岩根沢神社

同上

岩根沢神社の本殿に参拝するには 20段ほどの階段を上らなければならない

だが 階段はすっかり雪に埋もれて

人の足跡さえ付いてなかった

本殿まで行かずに 引き返そうかと思ったが・・・・・・・・・・   続く

ヒヤシンス&ベゴニア

2010-01-23 | Weblog

ヒヤシンス&ベゴニア 2010/1/23 PM10時


ヒヤシンス

ピンクと紫 2色のヒヤシンス

店の外に飾ってあったものを買って来た

今日で丁度1週間目

どちらもあっという間に満開なってしまった

花と一緒に 

春の甘い香りが部屋いっぱい拡がっている


ベゴニア

2ヶ月近くも 次々と花を咲かせ続ける頑張り屋

ネットで調べてみたら

葉の形が左右非対称とあった・・・・・なるほど


JR左沢線 羽前高松駅  (犬の散歩の途中) 2010/1/23 PM5時15分


昨年12月 羽前高松駅舎建て替え工事が始まった

昭和13年に建てられた 築≒70年の木造駅舎

多くの人に惜しまれながら 

取り壊されてしまった


取り壊しにあたって 

地区民が多数参加して 記念行事が行われた


もしかして

この駅は 太平洋戦争に出征し

2度とかえらぬ若い兵士達を見送った

哀しい思い出を秘めた駅かもしれない・・・・・・・・・・・・・・・


長い間のお役目 本当にご苦労様でした


地区から又ひとつ

昭和の歴史を物語る

貴重な建物が消えてしまった

羽前高松仮駅舎

3月末 鉄筋コンクリート造の新しい駅舎が完成する

ホームに立っていると 

丁度上り山形行き 4両編成列車がやって来た

2人の乗客が 寒いホームで列車の到着を待っていた

高松駅で降りる乗客は いなかった

待っていた2人の客が列車に乗った

間もなく列車は静かに発車した

そして 白い雪の

闇夜の中に消えて行った


冬の河畔

2010-01-22 | Weblog

最上川 河畔 (対岸は寒河江市平塩) 2010/1/22 PM3時

同上 寒河江市島

最上川ふるさと総合公園(寒河江市)


朝7時半 女房と二人揃って家を出た

近頃は2人だけで外出する機会など あまりない

今日は人間ドックだった

10時少し過ぎに終わった 

スーパーで弁当を買って 朝食と昼食 2回分の食事を一緒に摂った

バリュームのせいで 今日は1日中腹の調子がおかしかった


午後

今年初めての日帰り温泉

久し振りに温泉に浸かってのんびりして来た

写真は

日帰り温泉施設脇を流れる最上川の いつもの見慣れたアングル

河畔にも広い公園にも人影はなかった

ボランティア

2010-01-19 | Weblog

R112号・龍山・村山平野  中山町より山形市方面を望む  2010/1/18 PM 1時

R112号 寒河江方面

中山町豊田

山形市南部

山辺町


昨日は私の誕生日 

いつもより 少々アルコールが余分に入ってしまったようだ

父の三週間毎の定期検診で県中へ

山形市は日当たりのよい所で積雪が

およそ10cm 

春を思わせるような天気だった

寒河江市内

同上 スーパーの駐車場は除雪した雪が山のようになっている


父の定期検診 今回も特に異常はなかった

山形の県立病院へ通い始めて 

間もなく丁度1年になろうとしている


病院にはいつも数人のボランティアの方がいる

18日も 車寄せで車から降りるのと 車椅子に乗り移る時と

ボランティアの方のお世話になった


その後 ボランチィアの方と 少し話す機会があった

もちろん弁当代も出ないそうだ

ボランティアを始めた動機を尋ねてみた

「ボランティアを終え 家に帰る時 

無償奉仕だからこそ 

何ものにも替えがたい満足感が得られる・・・・・・」

と 彼は云っていた


私も彼に見習って・・・・・・

少しは世の中に役立つような 社会奉仕でも考えてみようと思った

ろうそくの灯り

2010-01-17 | Weblog

バースデイ・ケーキ & 孫の真剣な眼差し 2010/1/17 PM6時


明日十八日は 私の62歳の誕生日


夕方 

市内で一人暮らしをしている息子が 突然訪ねて来た


誕生日のお祝いに わざわざ ケーキを買って来てくれた

離れて暮らしていても

私の誕生日を覚えていてくれたようだ


息子が買って来てくれたケーキに

ろうそくを灯して 

部屋のあかりを消した

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


一日早まった 誕生日祝い

遊びに来ていた孫に 

主役の座を奪われてしまった・・・・・・・・・


誕生日に想う・・・・・・・・・・・ 


団塊の世代と云われて久しい 

十代・二十代・三十代・・・・・・・

今日まで それぞれの時代を

無我夢中で 駆け抜けてきただけのような気がする


過去を振り返ってみる余裕など

一度もなかったような気がする


しかし ふと気が付いてみると

眼の前に 行き先も告げず

又 歩き始めているもう一人の自分がいた・・・・・・・・

人生・・・・・・・・・所詮 いつまでたっても歩き続けるだけのものかもしれない

又来年 ケーキに灯ったろうそくの灯りを見る為に

一年間 元気に歩き続けるしかないようだ


明日 女房からパジャマのプレゼントがあるそうだ

遠い日の憧憬・・・・・・・

2010-01-16 | Weblog

東の空・奥羽山脈  寒河江市中央工業団地より 山の向う側は宮城県  2010/1/16 PM4時半

同上 左沢線上り列車 雪煙りの中に消えていった

同上 ナナ・西の空   雪雲の向う側は日本海


夕方の西の空 今日も灰色の雪雲に覆われていた 

反対に・・・・ 東の空には 時々こうした真っ青な空が

突然表れる


山形とは山ひとつ隔てた隣の宮城県 

こんな時の天気は 

きっと雲ひとつない 冬晴れにきまっている


同じ北国の東北地方 

冬 どうしてこうも気候が違うのだろうか・・・・・・・・?


日本海側に住む者に課せられた

けっして逃れられない

冬の宿命なのかもしれない・・・・・・・・・・


いや・・・・

私にとって 東の空の

冬晴れの向こう側は

幼き日から

そこにはいつも 

きっと何か嬉しいことがありそうな

遠い日の憧れだった・・・・・・・・・


同上


雪に埋もれてしまいそうなナナ

そんなナナも家に帰れば 猫に早変わり

私(散歩から帰って) 上下・頭・足 全身完全防寒・・・・


防寒ブーツ・・・外がどんなに寒くても 足はポッカポッカ

でも 重~~~い ・・・・・・・・・・・・・とても疲れる

バス停

2010-01-14 | Weblog

R112号 バス停留所  2010/1/14 PM5時


散歩コースの途中にある国道沿いのバス停留所

昨年同様 もうすぐ全部が雪の中に埋もれてしまいそうだ


いったいどこでバスを待っていればいいのだろうか・・・・・・・・誰でも悩みそうだ

でも 心配御無用・・・・・・・・・

えっ ・・・・どうして      ・・・・・・・答えは最後に


雪の壁 2mを越えたものものも出てきた

信号が変わって 横断歩道を渡り始めたおばあさん

雪の中 傘を差して読書をしていた女子高生・・・・・・?

若い子はどんな仕草をしてもそれなりに様になっていた

交差点の雪の塊 道路が次第に見えずらくなくなって来た

吹雪の中 ナナは相変わらず元気いっぱい

JR左沢線高松駅ホーム・ホームミラー
 
ホームと線路の区別が付かない

鏡には ホームに寒そうに立つ私とナナが写っていた


心配御無用・・・・・・・・・・・答え (乗り降りする人など誰もいない)

答えになっていない・・・・・・スミマセン