ミュー ・ 百花春至為誰開

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初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

志賀直哉 「山形」

2010-03-18 | Weblog
志賀直哉著 エッセイ 「山形」 

明治40年の夏の事をありのままに書いた 

と 志賀直哉自らが後にそう述べている

山形を舞台にした名作である


その名作「山形」の中


「奥羽線のない頃私はこの辺を一度旅したことがある、

大石田から二日がけて最上川を下り、酒田から象潟を通り本庄まで・・・・・・・・・・」

と記されている


おそらく明治30年(1897年)

14歳の直哉が友人の黒木三次と共に旅した時のものと思われる


洞興寺山門(とうこうじ) 寒河江市白岩 2010/3/17 AM11時


志賀直哉のエッセイ「山形」の中に出て来る洞興寺

この辺りの寺では滅多に見ることの出来ない

見事な楼門を構えた寺である


寒河江周辺では最も古い歴史を持つ曹洞宗寺院で

後に澄江寺 祐林寺 陽春院・・・・と

曹洞宗寺院が大江家との関係で

多くなっていった


画竜点睛・・・・・・楼門の天井に描かれていた 今にも抜け出して来そうな見事な迫力の龍の絵

洞興寺本堂


洞興寺は今からおよそ500年前 文明十年(1478年)

葉山修験道途中に当たる白岩城鬼門の地に

時の城主 大江家広によって開基された


志賀直哉がこの地を訪れた時代は

東京から赤湯温泉までしか汽車がなかった


山形から大石田までの13里

炎天下の中を下駄履き姿で

全て徒歩で移動しなければならなかった

時代である


この洞興寺 ・・・・・・・・・・・・

かって志賀直哉が訪れた頃の明治時代には

寺子屋として「国民教育揺籃(ようらん)之地」とされ

この地方一帯の学問の場としての

重要な役目を担った事があった


寒河江市白岩 旧六十里越街道 曲がりくねった細い道は昔の面影を僅かに残している
今では南側にバイパスが走り 近年更にもう1本のバイパスが走り 地元に住む人以外にこの道を通る人は皆無に近い



この洞興寺のある白岩という所

戦国時代には

寒河江城を西から攻めてくる

庄内の敵を迎え撃つ為の

要衝の地でもあった


旧六十里越街道標

旅館饅頭屋

同上

同上(大正時代)


出羽三山巡礼の宿泊者で往時の賑わいを偲ばせる饅頭屋

志賀直哉がこの地を訪れた時も

きっとこんなふうに

大勢の巡礼者で賑わいを見せていたのだろう・・・・・・・・・・・・・・・


くしくも時代を遡る事 およそ100年である

それではこの先100年 

いったいどんな世の中に変わっているのだろうか・・・・・・・・・・?

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (工房八重)
2010-03-19 08:55:48
雪の残る、まだ気温の低い所で梅や福寿草、

クロッカスの咲いている様子に、植物の適応性

に驚かされます。ラビイーさんのブログから

色んな知識を、吸収させていただいてます。

精神的に豊かな生活を送りたいので、

刺激になっています。解り易く、詩的な文章

や写真も魅力ですね。雪国は春がいっせいに

来るとか! 春の模様の写真を楽しみにしてお

ります。
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春 百花斉方 (ラヴィー)
2010-03-19 20:21:33
工房八重様

今日の寒河江は今年一番の暖かい日でした

いよいよ春本番 

身も心も一気に衣替えの季節がやって来ました


山形の春はこれからまさに・・・・・百花斉方


今年 どんな春に巡り会えるのか 今から楽しみです

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巡り会い (きみくん)
2021-06-29 18:18:23
2021年6月28日に山形市からサイクルで行きました。そこで初めて志賀直哉との関係を知り、びっくりしました。30度越えの暑い日でしたが、山形の素晴らしさを体験した気分です。車や電車でなく自転車で行ったのも幸いしているのでしょうか。次は誰と巡り会えるか楽しみです。
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