刺すような風がほとばしる。
冬のさなかにも春のたくらみが感じられる。
真昼までは熱い裸の真珠の空、ものかげに鳴くこおろぎ、
そして今は、大きなすずかけの木々を振りほどき、探りまわる風‥‥。
数冊の本をたずさえ、子供をつれてぼくはこの島に逃げてきた
メリッサの子供をつれて。
なぜ「逃げる」という言葉を使うのかぼくにもわからない。
病気の保養ででもなければこんな遠いところへ来るわけがない、
と村の人たちは冗談を言う。
よかろう、そういう言いかたのほうが良ければ、
ぼくは自分を癒しにここへ来たのだ‥‥。
「ぼく」は、もうアレキサンドリアにいない。
そこがどこの島だかわからないけれど、
その島で、アレキサンドリアのことを思い出している。
(‥‥)ぼくたちをその植物群としてあつかったあの都会、
ぼくたちのなかに争いをまきおこしたあの都会
-その争いは彼女のものにほかならなかったのに、
ぼくたちはじぶんたちのものだと思いちがえたのだ
-愛するアレキサンドリア!
このことすべてを理解するためにぼくはこんなに遠くまでやって来なければならなかった。
毎夜、大角星(アルクトゥールス)がかろうじて暗闇から救いだしてくれるこの裸の岬に生活し、
あの石灰の埃りにまみれた夏の午後の日々からはるかに離れた今となって、
やっと、過去におこったことについてはぼくたちのだれにも責任がないということがわかってきた。
裁きをうけるべきなのはあの都会なのだ、
たとえ犠牲をはらわねばならぬのはその子供ら、ぼくたちであるとしても。
その「過去」に何がおこったのだろうか?
「ぼくたち」は、どんな犠牲をはわわなければならなかったのだろうか?
「 アレキサンドリア四重奏 」 著 ジュスティーヌ by ロレンス・ダレル

仙台市青葉区R48青葉山トンネル入口
寒河江市から仙台市まで
≒70km 70~80分
途中、奥羽山脈越え関山峠までは
一面凍りつくような
極寒の銀世界
仙台の街に近付くにつれ
空は澄切った真っ青な色に変わり
どこをみても
雪など全く探す事が出来ない
昨日、小用があって
仙台まで車で出掛けて来た
仙台の街を訪れるのは凡そ2年振りであった
僅か2年ではあるが
仙台の街を少しの間離れていただけで
街が近付くに連れ
次第に懐かしい香りのようなものを
感じて来た
仙台と寒河江 緯度はほぼ同じ
違いは
奥羽山脈の表と裏 晴天と雪雲
冬の気候はまるで正反対
トンネルを抜け 五分も経たぬ内

東一番丁 + 広瀬通り交差点
平日の昼時と言うのに
まさに人、人、人で
ごった返していた
それに比べ 平日の昼間
寒河江の街で
真冬に街中を歩く人を見掛けるのは
稀有である

東二番丁 + 定禅寺通交差点

仙台駅西口、新幹線高架橋&高層ビル群
仙台にはこれまで
学生時代の四年間
社会人として四十歳代前半の3年間
合計7年間を過ごした
何れにしても
直近で既に三十年近く
時を経ようとしている
十年ひと昔!
は 昭和の話
今では 三年ひと昔
と言ったところだろうか?
30年も遡るとなれば
気が遠くなりそうな
時間の経過である
車で街中を走って見ても
私が住んでいた頃の
昭和の面影など
何処を探しても見当たらない
そそくさと小用を済ませ
土産として仙台銘菓「萩の月」を買った以外
他には何処へも寄らず
すぐに帰りの途についた
仙台に行く度に
いつも思い出す事がひとつある
それはビルの屋上に掲げてある
「白松が最中」と言う看板の事である
ある日そのビルの前を
会社の上司と一緒に車で通った時
埼玉から来た上司が
「白松が最中」は絶対おかしい
きっと「白松の最中」の間違いではないのかと・・・・・
そう言って私に尋ねて来た
・・・・・・・・・・・・・・・・・
なんとなく上司の言っている事の意味が
分かるような気もした
しかし 仙台に住む人達は
ほとんどの人がこの「白松が最中」の看板に
疑問を抱く人は いない
が と の の違い
その違いが分かるようになるには
やはりこの街に住む人々の暮らしや風土を理解せずには
決して納得出来ぬような気がする
山形にも同じようなCMがある
♪ おらがふるさと山形の 白い牛乳お菓子になった
ミルクケーキの味みれば 色よし 味よし 香り よし
山形土産におしどりミルクケーキ
♪ おらのふるさと山形の・・・・・・・
標準語で言えばこちらも が ではなく の のような気がする
しかし どちらかと言えば が似合っている

定禅寺通のけや木並木
杜の都仙台
その象徴とも云える けやき並木
冬が過ぎ
陽春の日射しが差し始める頃になると、
眩しいほどに
若葉が一斉に萌え出ずる
5月の爽やかな風と光
そよそよと
一斉に通りを駆け抜ける
今はまだ、
葉を落としたまま
黒ずんだカサカサした裸木を晒す
けやき並木の街路樹
この けやき並木は
戦後の仙台の街の復興や人々の暮らしの移り変わりを
黙して語らず
唯 じっと見つめ続けて来たことだろう
もちろん…ミューが
この街で青春時代を過ごし
そして
単身赴任でこの街で働いていた日々の出来事も
じっと見続けていた事だろう
かってこの街で暮らしていたミューも
きっと誰よりもこの街を愛しているに違いない
しかし・・・・
自分達がこの街に生かされている植物群である事等
本当に知っている者は誰もいない