ミュー ・ 百花春至為誰開

月山・葉山・野菜つくり・短歌・スケッチ

初夏の朝日連峰 & 果樹園 ※寒河江市・柴橋

慈恩寺スケッチ

2008-05-31 | Weblog


今日は隣の慈恩寺の田園風景スケッチ。

田植えもそろそろ終りに近い。田んぼに植えられたばかりの早苗は、見るからに細くて弱々しかったが、あれからだいぶ成長し、一株、々が整然と真っ直ぐに並んで立っていた。





スケッチする場所をいろいろ探していたら、写真のネコが人なっつこく近づいてきた。

喉の周りを撫でてやったら、気持ちよさそうに頭を下げた。

そっと抱き上げたら・・・・・そっと噛んで来たので、///慌てて///離した。

やっぱり知らないネコはやたらと抱いたりするものではないなと少し反省。

それにしても、そっと柔らかく噛むとは、なんて粋なヒマラヤンだと思った。


昨日午後、JAのあぐりヘルパー募集に早速登録して来た。

さくらんぼ収穫・りんご摘果、収穫・・等の農作業のパート。

サラリーマン時代とはまったく違った、のんびりと畑仕事の手伝いのようなものをしてみたい・・・・・。

私はのんびりと・・・・・なんて気楽な気持ちで働きたいと思っているが、使う方は本気。私にとってそこが一番うまくないところ。

でもパートにしろ何にしろ、働く限りは本気にならなくては・・・と思うと、なぜか気が重くなってくる・・・・・。

高松陸橋スケッチ

2008-05-30 | Weblog


今日も梅雨空。

朝からどんよりした梅雨特有の、いつ雨が降って来てもおかしくないような曇天。

昨日のスケッチの残りを仕上げる。

下の道路が国道112号線、手前が山形市方面、この先は鶴岡方面だ。

山形までは車で約30分、鶴岡までは月山の山越えで、約1時間半ぐらいかかる。

緑地帯には先日単位で私達が植えたサルビアがだいぶ大きく育っていた。

交差している陸橋が国道287号線、左に車で20分ぐらい走ると一昨日の棚田に行ける。

陸橋に大型トラックを走らせて見たが・・・・・、あまり関係なさそうだ。


さて、5月も明日でおしまい。

今年の5月はいつもの年と違ってなんとなく足早に過ぎ去ろうとしている。

やはり毎日の中身が希薄すぎて、記憶に留まるようなものがないからなのだろうか・・・?。


昨日、午後からハローワークにアルバイト探しに。

さくらんぼもぎのパートがたくさんあった。

でも朝8時から夕方5時半とか6時とか・・・。

これでは一寸・・・と、つい腰が引けてしまった。

好きな時に好きな時間働けるものはないのだろうか・・・・と?。

夜息子にその話をしたら・・・・、畑があって、どうして自分でやらないかって聞かれるよ・と言われた。

まったくその通りだ・・・・?。前にも書いたようにそれには深い訳があって。

農協でも「あぐりヘルパー募集」をしている。

いろんな事に挑戦してみたいのだが、体力にはあまり自信がない。

絵も描きたいし、デジカメも撮りたいし、ショパンも聞きたいし・・・・・・。

さてさて、どうする・・・・・?。





さくらんぼ・・・Ⅱ

2008-05-29 | Weblog






前回5月15日から丁度2週間経ったさくらんぼ。

だいぶ実も大きくなって来て、薄っすらと色ずいて来た。

初夏の果物さくらんぼ、後10日ほどで本格的な収穫が始まる。







今朝はぐずついた空模様、本格的な入梅かも。朝ごはんを食べ、すぐに犬の散歩。

この時期のさくらんぼ畑、雨よけのテント掛け、鳥除けのネット掛けと、なかなか忙しい。

※ 後で聞いた話だが、私がこうして散歩中、山形県を震源とした地震があったそうだ。寒河江は震度2で、それでもだいぶ強く揺れたらしい。中国の大地震があったばかりで、いよいよ日本でも大地震かという感じだ。

ヒメサユリ & 棚田

2008-05-28 | Weblog




隣町大江町、大山自然公園の「ユリまつり」が始まった。

初めて見に行った。

ここのユリはヒメサユリ(姫小百合or乙女ユリ)で何箇所かの斜面に群生して咲いていた。

看板には、咲き始めとあったが、ちょうど見頃のようだった。

朝日、飯豊、吾妻山系にしか見られない貴重な植物らしい。

カサブランカのように姿、形が、がっちりとした大型のユリではなく、茎、葉、そして薄いピンク色をした花、実にすべてが弱々しい、まさに姫小百合の名にふさわしい可憐な雰囲気だ。





ここから私の自宅が見える。12~3km位で車で20分くらいだ。平野部分の中央部に突き出したように見える山の先端部分。





雑木林の中、点々と薄いピンク色をした姫さゆりが咲いていた。









展望台からは朝日連峰が一望に見渡せる。残念ながら肉眼では見えたのだが霞がかかっていて写真ではよく分からない。



大山自然公園から4~5km離れた熊伏公園へ、



真冬に暖日山の写真を撮った最上川に架かる橋を渡る。



暫く山道を登ると視界が開けてくる。ここから日本の棚田100選に選ばれた「くぬぎ平」の棚田の風景が一望できた。

初めの写真のように、ここにもヒメサユリが咲いていた。









田植えの終わった棚田、水に光る田んぼ、最上川の流れ、緑の谷間に広がる町並み、そして山の斜面に点々と咲く可憐なヒメサユリ、どれもが自然のままで、とてもきれいな山峡に拡がる静かな田園風景でした。

羽前高松駅・・・Ⅲ スケッチ

2008-05-27 | Weblog


今日は妻の手術の日だった。

2時間半掛かって、無事終了。予約時間が午後1時、待合室に戻ってきたのは3時半だった。

手術が始まる前いつも血圧を測るらしいが、今日はなかなか安定せず、何回か測ったらしい。

ここ2,3回は、入院せず日帰りで済んできた。

今日も術後血圧が安定するまで1時間ほど静養したきたらしいが、入院せずに日帰りで済んだ。





いつもの、同じパターン・・・・・食事の後デイルームでお茶を飲み一休み、山形市街の眺望を楽しんでから受付へ。

今日は9階の一番高いデイルームに。山頂に少し雪を残している一番奥の山が蔵王、その麓に山形市街地が拡がる。中央の高い建物が38階建、山形駅西口の霞城セントラルタワービル。



私は手術の間中この待合室の椅子に座って、まんじりともせずにただひたすら妻の帰りを待つ・・・・・・?。

そんな大げさな事ではないが、いつもの笑顔の元気な姿で戻って来ると、やはりほっとする。

もう1年以上ひと月に2度、県立中央病院へ通っているが、病院はいつも大勢の病人で溢れている。

誰しも健康な時は、自分の体のことをを考えることなどないが、家族に病人を抱え病院通いをすると、急に健康の有難さほど一番大切だと気づく。

我が家では、父母はほぼ毎週、妻は月3度。私は月2度医者通いをしている。

誰も好き好んで病気になりたい人などはいない。

少なくとも自分の不摂生による病気にだけはならぬよう常日頃健康に注意し、規則正しい生活をしなければと改めて考えさせられた。


左沢線羽前高松駅、線路の手前が寒河江市、駅の向こうが大江町。

スケッチの右側の樹はアカシアの樹、白い房状の花が満開。

線路の周り、まさに一面夏草が生い茂っているという表現がふさわしいかも・・・・・・。

駅舎の奥の煙突は缶詰工場の煙突だ。




トルコ・・・・

2008-05-26 | Weblog








灯台下暗し・・・・・・

家から歩いて15分程の所にあるチェリーランドに、トルコ館がある。この頃そのトルコ館から流れている民族音楽が妙に気になってしょうがなかった。よく考えてみたら、トルコ館が出来てから十数年になるが、ゆっくり内部を見学したことがこれまで一度もなかった。

昨日、自転車で寒河江川まで軽く運動に出掛けた。
堤防に座って一休み、日曜日の午前中とあって、一段と高いボリュームでトルコ館からあの哀愁を感じさせるような民族音楽が流れていた。

メロディーを日本のいろんな歌謡曲に置き換えてみたら、みんなトルコの民族音楽にすんなりと当てはまってしまった・・・・・なぜだろうと?。

特に急ぎの用もなく、暫く振りで中に入って見た。
一歩中に足を踏み入れた途端、灯台下暗しとはこのことだと思った。

どこか遠くに一人旅の夢ばかり追い、自分の家の近くにこんな贅沢な旅気分を味わえる場所あったことをすかっり忘れていた。

内部はまるで宝石箱の蓋を開けた時の驚きのように、この寒河江の田舎町とはとても似つかわぬ、イスラム世界の荘厳な異国情緒に溢れていた。

突然、白いターバンを冠って、横笛を口にくわえ、腰からナイフを提げたアラビアンナイトの少年(マネ・笛を吹く少年)でも出て来そうな、まるで一っ飛びに見知らぬ外国の街に旅に出て、一人立っているかのようだった。



白地に青の模様がついたタイル貼の壁、全ての床が大理石、中央の床が一段下がって、そこに大理石の噴水、ドーム型の天井とシャンデリアと8本の円柱、そして先の尖った小さなアーチ型の小窓とステンドグラス、建物内部全体がアジアの西端に位置する不思議な民族、トルコの街のような雰囲気。



この青銅製の水差しの脇に、トルコ民族にとって、日本人のように毎日あくせく働きづめではなく、水タバコを吸いながら、世間話に興じ、ゆっくりとその日一日を楽しむのが彼等の至上の幸福と書いてあった。

こんな美しい曲線や、無駄な彫金を施した水差しは、皆が毎日をゆったりとした気持ちで生活しない限りは、決して生まれてこないだろうと思った。

日本人はまだまだ何もかもにあくせくし過ぎ、現実生活との戦いに疲れ切っているような気がしてならない。





トルコ館を出て広場に。日曜日の午前中のほんの1時間足らず、トルコ旅行気分を味わって来ました。

寒河江市とトルコ館・・・?さくらんぼの発祥の地がトルコだったとかで、どこかの市と姉妹都市を結んでいる為らしい。


かっこう&ショパン

2008-05-25 | Weblog
ピアノの詩人 ショパン「ピアノ協奏曲第1番ホ短調」を聞きながら書いている。

人魚と青年の悲しい恋物語、映画「スプラシュ」の中で挿入歌として流れ、韓ドラ「天国の階段」で、第2楽章の優しいメロディーが流れる。

第1楽章は私にはモーツアルトと同じにしか聞こえてこない。

私の音楽知識は所詮そんな程度でしかない。

40代~ずっとイージーリスニングとしてクラシック音楽を聴いてきたが、そのほとんどは、バッハ、モーツアルトで、なぜか2,3年前からショパンに惹かれている。ブラームスはまさに「ブラームスはお好き?」の通り難しい。

幻想即興曲第4番変ハ短調が1番の好み。続いてノクターン変ホ長調、遺作変ハ短調が好き。

クラシックの流れとして、バロック→古典派→ロマン派と私の嗜好も一応時代の流れと順応しているようだ。

神童と言われたモーツアルトを季節に例えると春、父と呼ばれた老練なバッハは秋、そしてベート-ベンは難しすぎて、感動の沸かない凍えそうな冬。

躍動感あふれる命を感じさせる「鱒」を作曲したシューベルトは夏、そしてショパンもロマンチックで優しいメロディーからして季節は夏。と、勝手に私流に解釈している。

今日のタイトル「かっこう&ショパン」

今朝、神社の杜のてっぺんから、今年初めてかっこうの鳴き声が聞こえてきた。

「カッコーー・カッコーー・カッコーー」

かっこうは夏鳥といって5,6月にかけ、東南アジアから日本にとんで来て、産卵し、秋に再び南に帰っていくそうだ。

「夏を呼~ぶ・森のこ~え」と「かっこう」の歌詞にもあるように、あの透き通った甲高い鳴き声を久し振りに聞いて、季節が春を通り越していくのが感じられた。

そんな訳で急に夏の季節のショパンを思い出す。

天才作曲家といわれる人はどうも皆、夭折するらしい。

モーツアルト35歳、シューベルト31歳、そしてショパン38歳である。

彼らがもう少し長生きしていたら、もっともっと素晴らしい音楽を残してくれたのにと思うと少々残念だ。

私は間もなくすると彼らの倍も生きていることになる。

人の一生で出来ることは、生まれた時から運命によって決められているのかもしれない。

彼等は決められた短い命で、やらねばならぬことすべてを終わし、足早に駆け抜けて逝っただけなのかもしれない・・・・・・・・。

「羽前高松駅・・・(Ⅱ)」スケッチ

2008-05-24 | Weblog


寒河江市の今日は田植えの真っ最中。

あと2~3日で、この辺りの田植えは終わるだろう。

2月ごろ冬景色の同じ駅を駅前から描いたが、今回は駅裏の田んぼの田植え前の風景。

左の大きな3本の樹は桜の樹で、満開の時、ホームで待つ人たちを毎年楽しませてくれる。


先日、寒河江市の郷土資料館で珍しい写真を見つけた。



昭和2年に寒河江公園の山の頂上にある広場に複葉飛行機が飛んできた時の写真。



現在は寒河江市の運動公園となっている。

約300m×200mぐらいの広さで1周400mのトラックが1面あるだけだ。

※ この頃、やたらと昔の話ばかり多いような気がする。

これも15年以上も前の話。

当時行きつけの焼き鳥屋があって仕事帰り、週に2回ほど通った。

いろんな世間話をしている中で、当時70歳位だった焼き鳥屋の主人の話によると、昔昭和の初め頃、長岡山に飛行機が飛んできた事があったという。

あの狭いところにどんなふうにして飛行機が離着陸し、又何んの為にという話になった。

理由は、飛行機見せの興行だった。そしてその興行主が、焼き鳥屋の主人の親父さんだった。

その時は半信半疑だった。

15年後の先日、偶然にもその写真を見つけた。

「昭和2年・・・」と書いてあったが、もちろん何のために飛んで来たかは書いていなかった。



当時の寒河江市の中心街の町の様子。

この写真を見て感じたことは、一般市民が初めて見た飛行機の驚きの様子より、むしろそれを見世物にして商売をしようとした、奇想天外な興行主の発想である。

この写真の中央に写っている着物姿の人物がおそらく興行主かと思われる。

そして回りを取り囲む者たちの笑顔・・・・。

昭和の初めの頃は、こんなおおらかな発想が通用した時代だったのだろう。

それにしても、なぜ飛行機が飛んで来たかを知っているのは、もしかして私だけかも知れない・・・。

この興行主に勝るとも劣らない、何か「おおらかな発想」を企てなければと毎日考えているのだが・・・・・・今日の空模様に似て、なぜかグレーで少し落ち込み気味な私・・・・・・・・・・・。


アカシアの花

2008-05-23 | Weblog






アカシアの花が満開の季節。

一昨日山寺に行った時、自転車道沿いのアカシア並木の花が満開だった。

家の裏の線路沿いの土手、寒河江川の川原、などこの辺では至る所に自生している。

4~5年前、アカシアの花を天ぷらにして食べると美味しいと聞いて、早速新鮮な花を摘んできて食べてみた。

天ぷらにしても、思ったより花の形がそのまま残りきれいに揚った。

サクサクとこぼれるような食感、季節にふさわしい甘い香りのする自然が、そのまま口から味わえるようで結構美味しかった。


延々と続くアカシア並木

本来のアカシアはエンジュの樹と言われ、床柱などに使われている高級木材だ。

写真のアカシアはニセアカシアが本当の名前だ。

少し寄り道なってしまうが、エンジュの樹に、あまりよくない思い出がある。

10年以上も前の事、ある方から増築の設計依頼があった。

かなりの旧家の屋敷で、息子さんが戻って来て同居するため、増築したいとの事だった。

一部坪庭を壊し、既存離れの蔵座敷にリビング、水まわりの増築だった。

仕方なく坪庭に生えていたエンジュの樹を伐採する事になった。

このエンジュの樹は自分が生まれる以前からあった樹で、是非増築する玄関ポーチの柱に使用したいというご主人の意向で、丁寧にお払いをし伐採、そして柱に。

エンジュの樹は黒基調の木肌に白の木目が鮮やかな堅木だ。

建物が完成し、ポーチの柱に立派に再生したエンジュの樹に、ご主人様はたいそう喜んでくれた。

しかし、私には何故かしっくりとなじめない違和感があった。

それから1年もしないうちにご主人が病気で亡くなられた。

もともと病床にあって、増築工事以前から週に2度人工透析を受けていたのだが、なんとなく私は完成のとき感じた違和感を思い出してしまった。

あのエンジュの樹さえ切らなければもっと長生きできたのかも知れない・・・と。


建築に関わるさまざまな風習。

例えば「三隣亡」。

十二干支のうち、午(うま)、寅(とら)、猪(いのしし)この三つの日や年が三隣亡で昨年は猪、所謂年間の三隣亡である。

三隣亡は誰もよく気にするが、表に出てくるのは3つのうちのどれかひとつで、その他の干支は出てこない。しかし、年間を通して午、寅、猪にあたる日は隠れ三隣亡としてある。

だいぶ寄り道してしまったが、私はあまり家相とかは信じないほうである。

しかしこのニセアカシアの花が咲く時期このエンジュの樹にまつわる思い出を決まって思い出す。

三隣亡、大将軍、・・・etc 神の戒めとして、「のべつ幕なし」に普請をしてはいけないとした人間の知恵のひとつなのかもしれない。

普請は心と体と(お金・・?)の健康体の時に限る教訓かも・・・。

やっぱり何事もひと休止して、じっくり事を運ぶ事の大切さを教えているのだろう。

花にまつわる話は限りがないほど多い。

こんなきれいな「アカシアの花」にまつわる私の思い出話でした・・・・・。

あやめ

2008-05-22 | Weblog


今日もいい天気だ。

でも風が強い。昨日でなくてよかった。

今の自転車はギアのおかげで坂道はそう気にならないが、風は大敵。

昨日久し振りに50kmも自転車に乗って、果たして体のほうは大丈夫だろうかと少し心配したが、今朝起きてみて自分でも不思議なほど特にどこも支障がなかった。

一晩寝てよく考えてみたら、自転車は健康にいいことに気づいた。

息子から「良く頑張ったな・・」と褒められた・・・・。

これからはあまり頑張らずにホドホドに乗ろう。


あやめの花のスケッチ。

描いている途中思ったこと。

こんな複雑な形をした花や花びらの模様、果たしてどんな意味を持っているのだろう・・・・?。

自然界、すべて理屈で説明出来ないところが又、生の神秘さなのだろうか。

それに比べ、私の毎日の生活、なんとも単純な毎日の繰り返し。

私の生活の中で理屈で説明できない神秘的なもの・・・・・・・・?



※ 先日からテンプレートにうまくタイトルが表示されなくなった。
  画面を右端まで移動するとようやく現れてくる。
  そんな訳で、今日から同じ夏の別のテンプレートに。