大崎市ひふみ整体院・ヨガ&呼吸法ブログ

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被災地を訪れてきました。

2011-04-06 10:48:54 | ひふみ日記

週末に沿岸部の被災地を訪れてきました。

 

日曜日は松島~野蒜海岸~奥松島(大浜周辺と縄文村)

月曜日には石巻~女川

 

松島とくに、野蒜海岸と奥松島周囲は私が学生の頃から

暇があれば遊びにいっていた思い出の海岸。

 

高校生の時は友達と連れ立って電車を乗り継ぎ、海水浴に行き、運転免許を取得してからは真夜中に友達数人と当てもないドライブ&焚き火をしながら不思議話に盛り上がり、社会人になってからは釣りやサーフィン、ここ数年は仕事前の早朝の時間に野蒜海岸に行き、浜辺でヨガと瞑想などとてもお世話になってきた思い出が詰まった場所。去年の秋はこの片道3キロの海岸線を行ったりきたりマラソンの練習もしたっけな。

私が死ぬまで、死んでからも当たり前に存在すると思っていた土地。

太一がもうちょっと大きくなったら一緒に海水浴に行くと思っていた海岸。

 

それが全部、変わり果てていました。

 

海岸線に沿って南北に走るアスファルトの道路が根こそぎめくれ上がり、剥がされ、流され土がむき出しになり、所々に海水の満たされた大きな池が出来上がり道路標識のぶっとい柱がアメ細工のようにネジレ曲がって倒れてました。

 

あれだけ訪れた土地なのに、遠くの景色を確認しないと、自分がどこに立っているのかも分からないほどの変わり様でした。

 

野蒜海岸から奥松島への道路は自衛隊の復旧活動のお陰で、鉄板を敷き詰めた簡易道路が作られていましたが、以前の道のあった場所とはまったく異なりどこを走っているのか分かりませんでした。 

 

簡易道路の両脇もまだ完全に海水が引いたわけでなく橋の上を走行しているようでした。

 

奥松島縄文村周囲は被害は少なく、一安心しました。

数千年前に実際に縄文人が生活していたといわれる場所もほとんど無事。

大昔の人は災害に対して安全な場所を選んで生活していたのかなとふと思いました。

以前は「何でこんな陰っこに生活してたんだろう」

と疑問に感じましたが、今回なんとなく納得しました。

こういうのを叡智というのでしょうか。

 

単に便利だから、広いから、快適そうだからと理由だけで土地は選べないのかもしれませんね。

経済活動ありきでの土地開発もかなりのリスクを背負っていると認識しないといけないのかもしれないですね。

そう考えると、東京沿岸の埋立地域から東海道、名古屋に至る、太平洋ベルト地帯などはどうなんでしょう。静岡県の浜岡原発。どうなんでしょう。もし今回と同じような災害が起こった時は想定外ではすまされないでしょうね。

  

縄文村の状態に反して太平洋に面した、大浜はほとんど壊滅状態。

 

いつも釣りエサを購入させていただいていた釣具屋さん、小腹が空いた時にパンやお菓子を買っていたこじんまりとした商店。つりの帰りには必ず使っていた自動販売機。

全部、根こそぎ、無くなっていました。

 

浜の砂地も引き波でもっていかれたのか、大きくえぐられ、防波堤から水辺までの距離感が変わっていました。

3月11日を境に全部変わってしまいました。

  

今朝のテレビで気仙沼の被害に遭われた牡蠣養殖家が言っていましたが

津波の後は海底が根こそぎ掃除され海がイキイキとするそうです。

 

大浜の防波堤に立ち、360度見渡すと、変わり果てた陸地とは対照的に

皮肉なほどに海がキラキラと輝いてみえました。

これも地球の仕組みなんでしょうか。

 

なんかわからなくなりました。

 

ひふみゆらゆら


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