今朝の朝日新聞に城山三郎の「そうか、君はもういないのか」の記事が載っていた。
わたしは城山の作品は好きでかなり読んだ。この作品は図書館に予約しているのだけれど、
まだ順番が回ってこない。
妻を亡くした後の寂しさ、張り合いのなさなどが書かれているようだ。
もっともその後も活躍はされていたけれども。
もう9年も前のことになるけれど、江藤淳が奥様を亡くされた後、自分も脳梗塞で倒れ、
名文の遺書を書いて自殺するという事件があった。「妻と私」で病院に通った愛妻家の
姿が描かれていた。
連れ合いを亡くしたものが味あわねばならない、何ともいえない空しさ、寂しさ、
やり切れなさ。
わたしはこうしてブログを綴って吐き出しているから救われたのではないかと自分では思っている。
ことに、毎日を旅行先の病院で過ごしていたときの不安、恐れ、大げさに言えば
奈落の底に落ちていくような気分だった。
城山三郎はやはり書くことで少しは救われたのだと思うけれど、江藤淳の場合は
書くことも救いにはならなかったのだろうか。
自分も病気になって、子供もいなかったから絶望したのかもしれない。
わたしは城山の作品は好きでかなり読んだ。この作品は図書館に予約しているのだけれど、
まだ順番が回ってこない。
妻を亡くした後の寂しさ、張り合いのなさなどが書かれているようだ。
もっともその後も活躍はされていたけれども。
もう9年も前のことになるけれど、江藤淳が奥様を亡くされた後、自分も脳梗塞で倒れ、
名文の遺書を書いて自殺するという事件があった。「妻と私」で病院に通った愛妻家の
姿が描かれていた。
連れ合いを亡くしたものが味あわねばならない、何ともいえない空しさ、寂しさ、
やり切れなさ。
わたしはこうしてブログを綴って吐き出しているから救われたのではないかと自分では思っている。
ことに、毎日を旅行先の病院で過ごしていたときの不安、恐れ、大げさに言えば
奈落の底に落ちていくような気分だった。
城山三郎はやはり書くことで少しは救われたのだと思うけれど、江藤淳の場合は
書くことも救いにはならなかったのだろうか。
自分も病気になって、子供もいなかったから絶望したのかもしれない。