夕方になって1年前の記事が届いた。
「退院記念日」。そうだった。2年前の今日退院してきたのだった。
昨年はまだ記憶も新しくこの日を「退院記念日」にすると嘯いていたのに
2年目になると切実感がなく、わたくしの誕生日月ということで友人3人と
ランチに行ってはしゃいできた。
まぁ、忘れるくらいの方がよいけれど。自分のことでもこの程度で関係のない
ことは片端から忘れていく。*****
1昨日の夜そろそろベッドに入ろうかという夜中に、香水が沢山あることを
思い出していたので、思い切って迷っていた香水シャネル5番を2本、メルカリに
出品してみた。試しのつもりだった。
2本で3千円。使いかけのものを1本2千円で売りに出している人が
いたのでこの値を付けてみたら1分で買い手がついた。
それからが大変。何しろメルカリにしても何にしてもものを売却した経験
がないのでアタフタしてPCとにらめっこ。
しばらく買い手などつかないだろうとゆったり構えていたので、どうしてよいか
分からない。
今日午前、やっとコンビニから発送した。
まだ10本ある。しばらくゆっくり考えることにした。
息子にこの事情を「安すぎたのかしら?」とラインしたら「そうやって
相場観がつくわけさ」と返事。母親のすることに呆れたた様子。
やり方も分からないのに挑戦する度胸、「自分で自分を褒めてやりたい」
なぁんて(笑)。
今朝、新聞読みながら聞いていたTVが「還暦はまたゼロになるのだから新たに
始めればよい。歳をとったと考えない方はよい」みたいなことを言い、
「還暦」は生まれた年と同じ干支になることですからとインテリ風の
コメンテーターが言うとアナウンサーが「僕も知らなかった」と応じた。
嘘だぁ!と思わずつぶやいてしまった。
十干、十二支の最小公倍数の60年で生まれた年と同じ干支になる。
常識だよね?高校で教わらなかった?
以前、英会話を習いに行っていた時、カナダ人の先生に説明するのに苦労
したことを思い出した。十二支がすでに分からない。もっと十干は彼には
理解しにくかった。
甲子園ができたのは大正13年、甲(きのえ)子(ね)の年だと子供のころに
父から教わった。
このことはカナダ人にも少しわかってもらえたような気がした。
日本語はかなり難しい。最初のころ、まったく日本語が話せなかった彼は
わたくしと友人の英会話上達よりはるかに早く日本語に熟達し、漢字を
一生懸命覚えていた。「鬱」という字が書けるかと私たちに威張って
書いていた。夫が倒れて英会話をやめてからすでに13年が過ぎた。
先日、フォローしている方のブログに作家村上龍氏の父親とのかかわりを書いた
記事が載った。城山三郎「打たれ強く生きる」からの記事である。
龍氏は高校時代ぐれて非行少年の仲間入りし警察のお世話にもなった。
父は教育者であった。
龍少年は九州の故郷を捨て東京に去った。父親はその彼のもとにはがきを書いた。
ただ故郷のありふれた日常の有様をつづった内容のはがきを毎週、7年間にわたり
2000通も書き送ったそうである。
龍氏は一度も返事を書かなかったにも関わらずである。
城山三郎はこれを「彼に対する信頼、優しさ、根気はまことの父親ならではと思う」
と締めくくっている。
この記事を読んだとき、昔読んだ気がした。本棚の城山三郎コーナーを見ると
あった。城山三郎の本はかなり読んでいたのである。
奥付に昭和60年1月初版で3月発刊版を購入している。*****
なかなか「打たれ強く」は生きられない。平凡な暮らしをしてきたので
打たれることもあまりなかった。
当時は本当に忙しかったのに暇を見つけて本を読んだが、毎日が暇人なのに
今大した本を読んでいない。そういうものかもしれないと実感する。