行きは岐阜郡上からせせらぎ街道と言われている道を通り、高山に出て平湯を経て白骨温泉へ。途中工事中のところがあり、迂回路
をとることとなった。かけ流しの気持ちのよい温泉だった。かなりお客さんが多く、最後の夏をこんなに遠いところまで足を運んで
楽しんでいるようだった。
帰路は野麦峠を経て秋神温泉、久々野、下呂という道だった。
野麦峠は山本茂実の「ああ野麦峠」で知られたところで岐阜の飛騨地方から長野の紡績工場へ働きに行った少女たちが歩いた峠であ
る。かなり立派な「野麦峠の館」という建物が建っていた。明治、大正時代の女工哀史を物語る展示物がある。
まだ幼さの残る若い女たちが家族の生活のために稼ぎに峠を越えた。厳しい労働で病に倒れ、兄に背負われて峠まで来たとき、
「ああ、飛騨が見える」といって息絶えたという女工の話は映画にもなったそうだ。
次の首相が野田さんに決まった。
幹事長に輿石氏が内定したとのこと。
どんな政治が始まるのだろう。
をとることとなった。かけ流しの気持ちのよい温泉だった。かなりお客さんが多く、最後の夏をこんなに遠いところまで足を運んで
楽しんでいるようだった。
帰路は野麦峠を経て秋神温泉、久々野、下呂という道だった。
野麦峠は山本茂実の「ああ野麦峠」で知られたところで岐阜の飛騨地方から長野の紡績工場へ働きに行った少女たちが歩いた峠であ
る。かなり立派な「野麦峠の館」という建物が建っていた。明治、大正時代の女工哀史を物語る展示物がある。
まだ幼さの残る若い女たちが家族の生活のために稼ぎに峠を越えた。厳しい労働で病に倒れ、兄に背負われて峠まで来たとき、
「ああ、飛騨が見える」といって息絶えたという女工の話は映画にもなったそうだ。
次の首相が野田さんに決まった。
幹事長に輿石氏が内定したとのこと。
どんな政治が始まるのだろう。