先日の日曜日、お昼。
NHKのニュースを観ながらお昼ご飯を
食べかけたところだった。
インターホンが鳴った。
見ると近所に住む中学校の同級生である。
彼は時々日曜日のお昼ごろやってきて
小1時間愚痴をこぼしていく。
同じ敷地内に住む息子の連れ合い(嫁)
への不満を吐き出したいのだ。
今食べ始めたところだ。
この後小1時間も愚痴を聞くのは
うっとうしいなと思った。
申しわけないけれど居留守を使おう。
と、思った時再びピンポーンが鳴った。
ためらった。
彼はしばらく玄関ドアの前にたたずんだ後、
肩を落として去っていく。
思わず玄関にいき、ドアを開けた。
彼は振り向いて戻ってきていつものように
玄関の三和土(土間)においてある2脚の
椅子のいつもの椅子に座った。
そして言った。
「お母ちゃんが死んでしまった」
「えっ、いつ?」
「15日。すぐ葬式を済ませた。」
県都の官庁街のすぐ近くに住んでいた私
ちは定年退職後「畑仕事をしたい」と
言い出した(長続きしなかったが)
夫の希望通り母の所有地であるこの土地に
家を建てることにした。
実家にいるときからどこかにあるとは聞いて
いたものの一度も見たことのない土地である。
もちろんご近所のどなたも知らない。
そこへ中学校の同級生だったと声をかけて
くれたのが彼であった。
彼の連れ合いも同級生だったようで
ほかの仲間も誘ってくれて毎月食事会を
するようになっていた。
ところが3年前彼女が認知症になり、
精神病院に入院したころからしばしば
愚痴を語りに訪ねてくるようになっていた。
嫁が顔を合わせても一言も口を利かない
のだそうだ。
「おはよう」とも「具合はどう?」とも。
真偽のほどは分からないのでもっぱら
聞き役に徹して。寂しいに違いはない。
男は案外甘えん坊で寂しがり屋だから。
彼女は施設でコロナにかかり病院に
運ばれたものの肺炎になり食事が
とれなくなって胃ろうをするかどうか
決断を迫られ断ると「多分1か月くらいの
命だ」と言われていた。
その時が来たのだ。
彼の心情を思うと辛いけれど強く生きて
もらいたい。
あの時、ピンポーンに出てよかったと
今更だけれど思っている。
話しを聞くことしかできない。
話すことで少しでも悲しみが癒えるのなら。