女3人寄れば“かしましい”・・・と言いますね^^
新春早々、高校時代の仲間とお出掛けすることに!
当初の目的地とは逆方向になったものの“かしまし号”は温泉目指し出発
かしまし3人が温泉巡りの前に立ち寄ったのが「禅福寺」
ここは、江戸時代には朝鮮通信使が度々立ち寄り、
その迎賓館として使われていた場所だそうです
日本初の国立公園に指定された瀬戸内海国立公園の一つで
景勝と言われた“鞆の浦”にその禅福寺はあります
その本堂の隣の「対潮楼」から望む絶景を、第8次朝鮮通信使・正使「趙泰億」は
「朝鮮より東で一番美しい景勝地」と讃え、従事官の「李邦彦」に書かせた
「日東第一形勝」という墨書が、対潮楼に掲げられています
対潮楼からの絶景は通信使の楽しみに
谷村新司さんの「いい日旅立ち」のジャケットにも使用された、その絶景
朝鮮通信使は、1607年から1811年の間に12回
通訳、書家、画家、僧侶、医師など、総勢350名から500名にもなる大人数で、
国賓として招く幕府の対応は、かなり神経を使ったものだったようです
また、鎖国時代の日本にとって、先進文化や、学術等を学ぼうとした、
国際交流の場であったと言われています
こうした通信使を迎え入れる港の住民達は、この上ない栄誉だったとも
500名近い人数を宿泊させ、接待をするのだから
その“藩”の役人は相当大変だっただろうなぁ~
面白いのは、対潮楼に泊まり、その絶景を見ることを楽しみにした通信使一向が
別の宿寺と聞き、夕食もとらずに寄航している船に帰ってしまう事件もあったとか
鞆の商人が木額に仕立てた、第8次通信使の上官三使が詠んだ五言律詩
「通信使」とは“信(よしみ)を交わし合う” “信頼を深め合う” 使節という意味とか
高校の友達との“信(よしみ)”を交わしながら、かしまし3人は
「平成いろは丸」に乗り込み、仙酔島へ向かったのでした
いにしえの風・・・つづく