何かひとつクリアしたとき、わかったとき、やった!と思えた時、など、
その直後、あるいはしばらくしてから、
「なんで!?」「そのことは終わったはずなのに・・・」といったことが起こる。
そんな経験、ありませんか?
私の実体験ですが先日、夫婦の会話で久々に”ムカッ”ときたことがありました。
「あたたは○○してくれない、あれしてくれない、コレしてくれない、何もしてくれない」
以前、私は奥さんのことを「くれない族」と呼んでいました(笑)
「うるさい、うるさい!聞きたくない!言うな!だまれ!」
といえば言うほど、奥さんの不平不満はさらにつのり、それ以上に爆発する・・・
これを繰り返してきたのですが、人間の関係性の仕組みや、目の前に現れている”現実”と見えるものの正体を私が理解していくことで、「くれない族」はしばらく目の前に現れなくなっていました。
目の前で不満や不安を現す奥さんの姿は、じつは私が隠し持っている不満や不安だったわけです。しかし、表向きの私は、「なにがあっても安心だぁ~」と安心(プラス)に傾いているわけですから、目の前の不安(マイナス)は見たくありません。
お前が不安だから、不平不満ばかり言うから悪くなるんだ。もっとプラスに考えろよ。と自分の中に同じマイナスがあることはしっかりフタをして隠し、プラス、プラスとプラス思考に傾いていったことが同じ大きさのマイナスを目の前に見るハメになったわけです。プラス思考はじつはマイナス思考と同じものだったのです。
人を批判したり、変えようとすると、こういうことを引き起こします。
・・・こういうことはすでに理解して終わったはずだったのに・・・
でもこの世のシステムは完璧です。
先日の奥さんの久々の爆発は、私がまたプラスに傾きすぎたことを教えてくれるものだったのです。旧友たち10数名で集まった際に、私が「幸せ、感謝」を連発したことで、奥さんはその反対の極の不安を見せてくれたのでした。
そして、これが肝心なことなのですが、
「またやってしまった~ダメだぁ~」とか
「悪い自分を反省して、改善しなければ」とか、なんとかしよう、とすると元の木阿弥。
またまた以前と同じ堂々巡りにはまるのです。
目の前の現実は自分の傾きを教えてくれるもの。
「あっそうか!」と受け取って、どうこうしようとせず、
「ありがとう!じゃ~ね~」でさよならです。
目の前に出てきたものは、過去の残像だったのですから。
コメントありがとうございます。
今回の記事はちょっと高度な理解なんですよ。
一度受け取って、本当に終わったと思ったことが、もう一度目の前に現れてくる。
二度目のさよならです
昨日、私はプラス思考よりで妻がマイナス思考よりだった理由が分かりました。
>私はプラス思考よりで妻がマイナス思考よりだった理由が分かりました
人間は、自分がどっちよりなのか、自分ではわからないんですね。
目の前を見て、感じることで初めて、自分がどっちによっているかわかるんです。
目の前の人を「他人」と見たとき、「反対の極」が見え、
目の前の人を「自分」と見たとき、同じものが見える、そういう鏡の仕組みを理解していくと現実が変わっていきます。
執着を手放したり手放すことに執着したり
不思議なことをやってましたが、
何もしなくて良かったんですね。
何でも好きなことやりますね。
そのとおりですね