さっぷいさっぷい外語学院(生徒:ゴタ、張るカイロさん)

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5759番:仏教日記【元品 (がんぽん) の無明を切る大利剣】

2025-01-12 21:02:32 | 日記

元品 (がんぽん) の無明を切る大利剣

 

法華経はしばしば剣に譬えられます.

この「元品の無明を切る大利剣」という

言い回しもそのひとつで、法華経の題目

を唱えることで、自然(じねん)に諸煩悩

の根源、すなわち元品の無明がスパッと

断絶できるということのようです.

 

煩悩って、私たちと身近な存在です.

女好きの男にとって「女」は宝であります.

酒好きの男にとって「酒」は胸が震える喜

びの飲み物です.やはり「宝」です.

 

お金好き(きらいな人はいないと思う)の

男(女も)にとってお金は「宝の中の宝」

 

本当のことを言えば、これらの宝よりも

わが身の健康のほうが宝なんだけど、病

や事故でぶっ倒れるまでは気がつかない.

 

さて法華経の大利剣で煩悩が断ち切れたら

どうなるか?私は高僧ではないので、そん

な体験がないから、想像でしか言えないの

ですが、「死」が恐くなくなる.

 

というより、「不死」の境地を自然に覚る

ようなのであります.「不死」と言う言い方

が納得いかない方には、生きている今をもって

死んだときと変わらない境地に入る、という

こととご理解いただければよろしいかと思い

ます.そこには生死の境い目が存在しない、

ということであります.

 

生きているのか死んでいるのかわからないという

生物は、なんだか吸血鬼ドラキュラを彷彿とさせ

ますが、彼は人の血液を盗む泥棒、法華信者は

人の窮地を救う菩薩.まるで違います.無辺行菩薩だぞ~!

 

それから法華経は「妙教の剣(つるぎ)」とも言われます.

何をする剣かと言いますと、間違った考えをしている人

を「はっと」気づかせる折伏という説き伏せを剣に

譬えていうのであります.

 

説き伏せは日蓮の出た鎌倉時代なら有効だっただろうが、

教育の発達した現代では全く通用しません.現代社会での

折伏といえば、われとわが身への折伏以外、ありえません.

 

そのわが身に折伏、すなわち、「はっと」気づかせる

ことができれば、万万歳であります.

 

どういうことかと言いますと、先ほどのお酒.

好きな人には宝なのですが、度を越せば、宝

は毒に変じるのですが、その変じた瞬間が

わからない.それを見破るのが自己折伏.

 

難しいことだが、法華信者なら、ぜひこういう

自己折伏はやっていただきたいと思うので

あります.


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