Zen禅

心理学に基づく坐禅の研究-心の風景を眺め、流れていく気持ちの音を静かに聴く(英訳)

言語学習ー演習

2016-10-18 | 英語、韓国語
同じ先生に習ったのに必ず上手と下手の差がついてしまうのはなぜか? 

日本人の英語勉強は小学校から始めて大学受験でピークだ。

大学生になったら英語はTOIECのスコアだけで必死で肝心な話す能力はほぼゼロのままである。

メディアで英語話すコツを教える人の英語を聞くと、

英語圏で通じない発音や表現を使う人が大勢いる。

または、話すと言っても丁寧な言い方ではなく、

耳だけで覚えた無礼な表現さえ恥じなく使ったりしている。

英語の発音やアクセントを聞けば、日本人か韓国人か中国人かを判断できるのは、
そう不思議なことではない。

なぜなら、非英語圏の人々はアクセントについてその重要性を知らないからだ。

しかし、知ったとしても演習をどうすればいいか、知らないのである。

私は個人が書いた英語学習ブログは読まないことにしている。

クッキングサイトのように必ず、ああしろ、こうしろ、こうでもない、そうであるなどなど、
注文の多い店であるからだ。

ただ英語で留学したからって英語を話せる人もそう多くいない。

英語を習っていく上で一番大切なのは先生だ。

けれど、同じ先生から習っても必ず能力の差ができてしまう。

言語だけに限らず、学習全体からいうと、
その差は明らかだ。

早く習える人は、基本から始めて常に演習できるのに対して、
いつまでもできない人は、基本を飛ばし暗記に取り掛かる。

日本の英語の先生は英語に自信がないまま教えている。

盲人が道を教えているのだ。

私は韓国出身なため、ハングルはもとろん母国語だ。

日本語は短大や大学の授業を通して身に着けた。

英語は独学であるが、アメリカで住むのになんの不自由がない。

3か国語も自由自在だと言語を使うことの共通点や差などに着目するようになり、
言葉の奥に人間性を観察したりと脳のトレーニングにしている。

何かを習う、学習の障害を無くすために、
最も大切なことは、演習、つまりトレーニングである。
 
誰かその演習の仕方について質問があれば対応するので気軽にきいてほしい。

今回は自分の記事に英語通訳を添付しない。

Google通訳が如何におかしいか納得する機会になるかもしれない。





Comments (3)
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