(これは2011.3.16から2013.5.18までのブログの修正版です。文字化けなどまだおかしな箇所がありましたらお教えください)
江戸時代における一大ベストセラー、貝原益軒の『養生訓』をしばらく解説していきます。この本は医学的、文化的に非常におもしろく健康のためにもなるものです。しかしまたそれだけでなく、この本は江戸期において日本独特の医学、漢方、鍼灸を形成するための哲学が内包されており、その点でも重要な位置をしめています。これから少しずつそれらに迫って行きましょう。
(原文)
総論 上
人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。況、大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食色慾を恣にし、元気をそこなひ病を求め、生付たる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母へ不孝のいたり、愚なる哉。人となりて此世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。如此ならむ事をねがはば、先、古の道をかうがへ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危をおそるる事、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃なかるべし。豈、楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財の山を前につんでも用なし。然れば道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福なし。故に寿きは、尚書に、五福の第一とす。是万福の根本なり。
(解説)
先ず、なぜ養生しなければならないか、について述べられています。自分自身の命を大切にしなけらばならない理由、それは慾でも本能でもなく孝悌のためなのです。『論語』に「君子は本を務む、本立ちて道生ず、孝弟なる者は其れ仁の本たるか」とあるように、儒教における最も大切なもの、仁の根本にあるのが、孝悌なのです。自分が死んでしまっては、それを行うことができないので養生することが大切なわけです。ただ長く生きることが目的なのではありません。孝行し、仁義を尽くし、人生を楽しく幸せに生きること、それが重要です。
『尚書』は『書経』とも呼ばれますが、それの洪範という章の中で、もと商の国の宰相であった箕子が周の武王に、国家・政治・王に大切なものを列挙しています。一つめは五行、二つめが五事、三つめが八政と続き、そして九つめに五福があります。この五福は「一には曰く寿、二には曰く富、三には曰く康寧、四には曰く攸好徳、五には曰く考終命」とあり、註に「人、寿有りて、後に能く諸福を享す、故に寿、之を先す」とあります。寿(イノチナガシ)があるからこそ、富を得て、身心の健康を保ち、人としての道を楽しみ、寿命を正しく終えることができるのです。
(ムガク)
江戸時代における一大ベストセラー、貝原益軒の『養生訓』をしばらく解説していきます。この本は医学的、文化的に非常におもしろく健康のためにもなるものです。しかしまたそれだけでなく、この本は江戸期において日本独特の医学、漢方、鍼灸を形成するための哲学が内包されており、その点でも重要な位置をしめています。これから少しずつそれらに迫って行きましょう。
(原文)
総論 上
人の身は父母を本とし、天地を初とす。天地父母のめぐみをうけて生れ、又養はれたるわが身なれば、わが私の物にあらず。天地のみたまもの、父母の残せる身なれば、つつしんでよく養ひて、そこなひやぶらず、天年を長くたもつべし。是天地父母につかへ奉る孝の本也。身を失ひては、仕ふべきやうなし。わが身の内、少なる皮はだへ、髪の毛だにも、父母にうけたれば、みだりにそこなひやぶるは不孝なり。況、大なる身命を、わが私の物として慎まず、飲食色慾を恣にし、元気をそこなひ病を求め、生付たる天年を短くして、早く身命を失ふ事、天地父母へ不孝のいたり、愚なる哉。人となりて此世に生きては、ひとへに父母天地に孝をつくし、人倫の道を行なひ、義理にしたがひて、なるべき程は寿福をうけ、久しく世にながらへて、喜び楽みをなさん事、誠に人の各願ふ処ならずや。如此ならむ事をねがはば、先、古の道をかうがへ、養生の術をまなんで、よくわが身をたもつべし。是人生第一の大事なり。人身は至りて貴とくおもくして、天下四海にもかへがたき物にあらずや。然るにこれを養なふ術をしらず、慾を恣にして、身を亡ぼし命をうしなふ事、愚なる至り也。身命と私慾との軽重をよくおもんぱかりて、日々に一日を慎しみ、私慾の危をおそるる事、深き淵にのぞむが如く、薄き氷をふむが如くならば、命ながくして、ついに殃なかるべし。豈、楽まざるべけんや。命みじかければ、天下四海の富を得ても益なし。財の山を前につんでも用なし。然れば道にしたがひ身をたもちて、長命なるほど大なる福なし。故に寿きは、尚書に、五福の第一とす。是万福の根本なり。
(解説)
先ず、なぜ養生しなければならないか、について述べられています。自分自身の命を大切にしなけらばならない理由、それは慾でも本能でもなく孝悌のためなのです。『論語』に「君子は本を務む、本立ちて道生ず、孝弟なる者は其れ仁の本たるか」とあるように、儒教における最も大切なもの、仁の根本にあるのが、孝悌なのです。自分が死んでしまっては、それを行うことができないので養生することが大切なわけです。ただ長く生きることが目的なのではありません。孝行し、仁義を尽くし、人生を楽しく幸せに生きること、それが重要です。
『尚書』は『書経』とも呼ばれますが、それの洪範という章の中で、もと商の国の宰相であった箕子が周の武王に、国家・政治・王に大切なものを列挙しています。一つめは五行、二つめが五事、三つめが八政と続き、そして九つめに五福があります。この五福は「一には曰く寿、二には曰く富、三には曰く康寧、四には曰く攸好徳、五には曰く考終命」とあり、註に「人、寿有りて、後に能く諸福を享す、故に寿、之を先す」とあります。寿(イノチナガシ)があるからこそ、富を得て、身心の健康を保ち、人としての道を楽しみ、寿命を正しく終えることができるのです。
(ムガク)
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