こだわりメモ帳

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・ 暑いときの本読み

2008年07月24日 | ◆ こんな本

民俗学博物館 黒檀梟 retouch

 毎年、今年は暑いといいながら、夏をすごす。
出たい所もあるけれど、風通しをよくしてジッとしてるのがいい。
本読みしながら、時々昼寝が一番いい。
神仏習合の興味も一段落し、「空海の風景」を読みに入っていた。
古代神祇の力がうすれ、仏教が大きくなってくるのが空海を含む時代であるが、
司馬さんは、この小説に『神--仏』のことは入れていない。
面白かったのは、勉学修業の時代を経て自費(支援金)留学生で遣唐使に加わり、
密教皆伝を受けるまでで、後編後半の最澄とのかかわりに入ってからはそれ程でもなかった。
一行づつきちんと読まないと前にいけないこの本は他とは違う難物であった。
以下抜書き


■ ここで、余談として触れねばならない。 (例の余談ながら・・・である)
日本の律令制度は唐のまねであったとはいえ、重大な一点で唐の政治体制と異なっていたのは、
唐には日本のような太政官がないことであった。太政官は行政の最高機関であり、
八っつの省と諸寮司を統(す)べている。・・・・・
唐では、そうではなかった。太政官にあたる機能は専制者である皇帝自身であった。・・・・・
日本では・・・・・多分に君臨者であって実際的な政治上の決定と指揮は太政官が行っていた。

■ ---なんだ、あの男は。
と、空海は、自分の思想からみて、鬱懐(うつかい)がつのったはずである。
経を読んで知識として教義を知ることは真言密教では第二のことであった。真言密教は宇宙の気息の中に
自分を同一化する法である以上、まず宇宙の気息そのものの中にいる師につかねばならない。
師のもとで一定の修行法則をあたえられ、それに心身を没入することによってのみなま身の自分を
仏という宇宙に近づけうるのである。・・・・・それを最澄は筆授で得ようとするのか、と空海は思いつづけている。

(このあと、借経と筆写ばかりの最澄に、はじめはすべてを譲る決意でいた空海は変化していく。)
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