散歩道 - いつもと違う角を曲がればそれは新たな発見の始まり♪♪

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自分史Part-1(1980年代)

2010年01月27日 20時38分45秒 | 自分史
写真:1月23日ヘレボルス倶楽部のミステリーツアーに参加して、
浜島園芸さんで見た「黒ダブルのクリスマスローズ」
それにしても浜島園芸さんのクリスマスローズは低価格です。近場の人は是非行ってみてください。価格に驚きました。
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今日は、久しぶりに、この時間に、お風呂に入り、自宅のPCの前に座っています。
最近の忙しさはなんだろうと思いつつ、後輩の結婚祝いのプレゼント用に入手したクリスマスローズのダブル・レッドが、ほんまもんの真紅赤で、これが個人的に捜し求めていた株なんですよ。

」目の前にあるのにお祝いで渡すのが・・・(爆)
残念ですが、お祝いにぴったりなんで、予定通り、金曜日にうちから、目的地に旅立ちます。種を取れと言明しよう。決めた!
株探しに協力頂いたN様、本当にありがとうございました。

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最近は、Blogを更新する暇も無いくらいの忙しさですが、会社勤めを始めて約30年。金融界も激動の30年だったような気もしますので、備忘録として、時間の合間に「自分史」を投稿してみたいと思います。

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1973年10月に起きた「第4次中東戦争」から始まった「第1次石油ショック」、1979年2月に起きた「イラン革命」が引き金になって起きた「第2次石油ショック」、引き続き、1980年に勃発した「イラン・イラク戦争」から1980年前半は、世界的に物価上昇を生み、高金利をかもし出し、景気後退の世界的大不況の真っ只中から泡(バブル)が空中に漂うようになりました。

バブル景気は、1987年10月に起こった「米国ブラックマンデー」による世界恐慌を経由して絶頂期から下降線を辿り、1991年に泡となり崩壊します。

そんな時代にの1980年代前半に、学校をぎりぎりの成績で卒業し、私は日本橋兜町にある小さな金融機関に滑り込みました。

ここから、私の社会人生活がスタートしました。当時、新入社員男性は無条件で独身寮へ入寮。団体生活の始まりでした。当時の独身寮は、一人部屋で4.5畳程度に押し入れ。二人部屋は6~8畳程度。朝夕2食付で寮費が月に500円程度だったような気が・・・
初任給は10万円ちょい!だったと思います。

1980年代は円高不況。政府は、内需景系拡大に取り組み、あわせて、日本銀行の金融緩和政策/低金利政策が金余り現象を生み、株価や地価も大幅に上昇、これがバブル経済を生み出しました。

証券界も右肩上がりで伸びて行き、東証の出来高が膨らみ、株券が会社の金庫から溢れ出る日々。株券と日銀券を交換するために、日々夜は株券を抱いて金庫で眠る日々。また、日中は、毎日かばんに株券を積み込み、チャリンコの前の籠に放り込み、顧客を駆け巡り、受け渡し代金である小切手類や現金を回収したりしていました。多分3年は続いたと思います。

当時はチャリンコの前の籠には何千万円分の価値がある株券やその見合いの日銀小切手を無造作に放り込んで、兜町界隈を駆け巡っている人が数多くいて、盗難等の考えはあまりありませんでした。

私生活はほとんど無く、お金を使う日も無く、会社との往復の日々でした。休日は動く気もなくバタンキュウ! でもね! 独身貴族は、自由気ままに豪遊できるのです。先輩は後輩を引き連れ、豪遊三昧。最初は金はいらなくても、年を一つ取る事に後輩が出来れば、おごるわけですよ。

連鎖の仕組みは良くできているもんで、お金は湯水のように出て行きます。当時は基本給より残業代が多いのが日常茶飯事でした。残業も200時間越えも・・・こうなるとストレスもたまり、一気に豪遊なんですよね。お金がなくなっても給与天引きのお昼の食券と寮の2食で食うに困らず。お金は連鎖で成り立つ。覆水盆に帰らず・・・良くわかりました。良い経験をさせてもらったかも・・・

こんな時代だったので、ドサクサに紛れ、猫の手も借りたい事実から、私もハンディーを背負いつつ、頑張れたのだと思います。人間形成はここで、完成したのかもしれません。チームの一員として、如何に共同作業が大切か、流れを見て、生き物のようにPriorityを変え、仕事をこなす大切さ・・・

リーダーシップを取るとはどういうことか! 1秒たりとも時間を無駄に出来ない現実。頑張れば出来るもんです。

メッセンジャーボーイと株券に翻弄され、年を王ごとに受渡業務の窓口も多様化し、経験し、知識と実践が身に付き、中堅として、何でも屋として、先頭に立ち、頑張ることは、直属の課長も十分に認めてくれるにもかかわらず、部長以上の方々はハンディー者として私を捉えるんですよね。

まぁ! どうあがいても健常者には質では勝っても量で負けるのは事実なんですけどね・・・これは悲しかったです。

1980年代後半は、自分の存在さえ認めてくれずの鳴かず飛ばずの便利屋さん状態だったのかも知れません。正直なところ、事実と異なる事を言いまくる部長や常務に嫌気が差し、会社が本当に嫌になりつつ・・・転機を迎えます。

転機は、1988年5月(6月かも?)に、寄った、京浜急行黄金町駅ガード横の小さなおすし屋さんでした。

自分史Part2(1990年代)に続く・・・

天気:晴れ
気温:最低温度:氷点下-1.5℃ / 最高温度:12.7℃
今日の歩数: 16670歩 / 消費カロリー:544.50Kcal
歩行距離:約10.84km

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4 コメント

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忘れることは・・・・ (栗吉)
2010-01-29 22:56:55
ばろんさん お久しぶりです。お元気でしたか?

忘れることは個人的には良いことだと思いますよ。結局、忘れれば、新たな世界に普通に歩んでいけるのかも知れません・・・と思ったりします。過去を切り捨てられる生き方も良いかも・・・なんか!憧れてしまいます。過去のしがらみなんか捨てて生きたいよぉ?♪ってね。
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思い返すことも必要? (栗吉)
2010-01-29 22:55:52
エフママさん こんにちは、

私の場合、昔を思い返すと本当にいろんなことがありました。でも、良いことはほとんど忘れ去り、どん底時代の腹立たしいことばかり、思い出すけど、それが反面教師のように将来に向けて奮い立たせてくれるんですよ。

いや! 奮起しようとしているのかな。これも自分のゆがんだ性格がそうさせているのかも知れません。なんか自分がマンネリ感漂う世界に落ちいってしまうと走馬灯のように過去が過ぎっていくんですよ。。。。こまったもんだ。
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Unknown (ばろん)
2010-01-29 19:17:36
自分史
細かい事色々忘れてしまってて
昔の事色々よく覚えてる友達のこと
関心するんですよ。
必要ないものだから忘れるのだといわれたけど
あんまり忘れ過ぎかも
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Unknown (エフママ)
2010-01-28 20:48:33
こんばんは
自分史 昔をみつめると ほんまに色々あったなあ!
苦労したり 泣いたり 歯をくいしばったり
いろんな出来事がいっぱいありすぎて 自分は、、、、過去を見ないで今日 明日をみつめたいです
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