この日、歴史好きの孫を連れて、長久手の戦いの地を巡検しました。
信長の死後、秀吉が徐々に権勢を強めていきます。これに対し、信長の次男・織田信雄(のぶかつ)と家康が組んで戦いが勃発。これが天正12年(1584)の小牧・長久手の戦いです。
信雄支配下の犬山城が秀吉側に落ちると、家康は小牧山に兵を集め、秀吉軍と対峙。小牧山付近で両軍が衝突したあと膠着状態に。その後、秀吉軍は池田恒興(つねおき)の提案で、家康の本拠地岡崎を急襲します。
そのルート上にあったのが、家康陣営の岩崎城。やって来た秀吉軍と岩崎城側との間で交戦があり、岩崎側は全滅。これを岩崎城の戦いといいます。
■岩崎城
まずやって来たのは、愛知県日進市にある岩崎城跡です。
駐車場に車を止めて、道なりに歩いていくと、
城の概要を書いた看板がありました。これを読んで、
前方の土橋を左に渡ると、
立派なお城!
でもこれ、当時のものでも、当時のものを再建したものでもありません。
無料の館内に入ると、手作りの鎧兜の展示。
展示会場に小窓があって、開けてみると、
岡崎の方向が見えました。
お城から石垣の下におりて、見上げると、
お城が小高い山にあったのがよく分かりました。
駐車場に戻る途中、岩崎城歴史記念館で御城印を購入。
孫 「また一枚、増えた」
への次郎 「じゃ、次は長久手古戦場に行ってみようか」
■長久手古戦場
秀吉軍が岡崎に向けて移動を始めると家康、すぐに秀吉軍を追撃。長久手付近で激戦となり、池田恒興はここで戦死。その後、両軍にらみ合い、やがて和睦となります。
日進市のお隣・長久手市にやって来ました。
奥さん 「ここだよ!」
への次郎 「おっと、見過ごすところだった」
ここが長久手古戦場資料館です。
左にちらっとイオン。背後の高架はリニモ。右後ろは、リニモの長久手古戦場駅です。
無料の館内には、火縄銃・鎧兜などの展示がありました。
館内を一通り見たあと、
建物の外に出ると、目の前の丘に、
長久手古戦場の碑。上って行って周囲を見回していたら、
次々と人が森の中に入って行きます。
後をついて行くと、
こんなものが。
池田恒興はここで落命したとのこと。この一帯がまさに、長久手の戦いの激戦地でした。
3人で合掌したあと、周囲をぐるっと見回しました。
今では完全に住宅地になっていて、古戦場を思わせるものは見当たりませんでした。でも、四百数十年前に、確かにここで3000人以上が命を落としています。
帰りの車に乗る際、もう一度、手を合わせました。