への次郎が行く

カメラと地図を片手に気ままに出かけます。

新城の古戦場を散策しました

2024年04月03日 | 散策

天正3年(1575)、織田・徳川連合軍武田軍新城で激突しました。世にいう長篠設楽原(ながしの したらがはら)の戦いです。戦いはまず、長篠城で始まりました。

 

城跡があるので行ってみると、

長篠城址・史跡保存館がありました。

 

入館すると、

城を攻めた武田勝頼軍と、城主奥平家の甲冑や文書などが展示されていました。

 

資料館から出てくると、向かいに本丸跡がありました。

堀の向こうに土塁。古城の雰囲気がありますよね。

 

タンポポが一面に咲いた広い本丸跡に入ると、端にこんなものがありました。

奥さん  「鳥居強右衛門がはりつけにされた場所だって

への次郎 「川の向かいの木がまばらになっているあたりだね

 

奥平家の家臣であった鳥居強右衛門(とりい すねえもん)は、武田軍に包囲された長篠城の窮状を岡崎城の家康・信長に連絡。帰城の際に武田軍にとらえられ、長篠城本丸の向かいではりつけにされました。

 

奥さん  「信長が鉄砲隊を使ったのは、ここ?

への次郎 「いや、ここじゃないよ。そこに行ってみようか

 

 

長篠城跡から車で15分、設楽原歴史資料館にやって来ました。

 

入館すると家康の絵があり、その前で記念写真。

 

奥に進むとありました、多数の鉄砲

 

屋上に出ると、向かいの山すそに馬防柵(ばぼうさく)がチラッと見えました。

への次郎 「馬防柵が見えるから、あのあたりが決戦場だね

    「はやく、行こう!

 

歴史資料館から車で3分、決戦場の入口にやって来ました。

ここに車を止めて、歩いて行くと、

 

ありました、馬防柵。

手前が織田・徳川軍の陣地で、武田軍は右方向から攻めてきました。

 

たった10時間の戦いで、武田軍1万人、連合軍5千人がここで命を落としたそうです。3人で合掌し、この地を後にしました。

 

 

山道をインターめざして走っていたら、菜の花の向こうに満開の早咲き桜

出遅れた今年のソメイヨシノ、いよいよ出番のようですね。