ちょうど一年前、
伊豆の河津桜を見に行くために
母を預けたお泊り先のその施設の中で
母は、骨折をしたのでした。
それから3か月半の入院生活があって
母は、また元気に復活しました。
小規模多機能型居宅介護施設を紹介され
毎日元気に「登園」しています。
ただ、やはり
認知症の波が
結構短い間隔で現れるようになって
その都度「忘却」の部分が顕著になっていきます。
正月明けから2週間ほどで
その波が、それも結構大きな波がやってきて
約10日間、施設に行くのを嫌がり
仕方がないので、私や姉が送り迎えをしたり
私が休んで母を家で見たりしました。
認知症は、感情の病気の部分も大きいと思います。
認知症鬱、とでも言いましょうか。
起きられない、
食欲がない、
元気がなくなる、
悲観的になる、
そういう時は、うつ症状の方への対応と同じで
力づくはダメ、
強い言葉もダメ、
励ましもダメ、
のような気がします。
母の場合は、こういう時期が過ぎるのを待つ・・・
とでも言いましょうか?
(ただ、いつになったら調子が戻るのかが読めないことがつらい)
「黙って見守る」ということをしてきました。
朝、そう~っと、様子を見に行った時に調子を聞く。
少し話をすれば、その日の調子がわかりますから・・・
それで、その日、施設(デイサービス)に行くか決める・・・
そんな日を10日ほど繰り返していたら
いつの間にか、
前向きになって明るくなって、
今はまた、毎日「迎えが来るもの」と思って
起きて待っています。
ただ、健忘は少し進んでいます。
洗面所も、時にはトイレまでも
場所がわからなくなることがあるのです。
そうやって、
認知症が進行していくのでしょう。
仕方のないことです。
母、まもなく92歳です。
認知症を発症してから、
まもなく8年を迎えます。
伊豆の河津桜を見に行くために
母を預けたお泊り先のその施設の中で
母は、骨折をしたのでした。
それから3か月半の入院生活があって
母は、また元気に復活しました。
小規模多機能型居宅介護施設を紹介され
毎日元気に「登園」しています。
ただ、やはり
認知症の波が
結構短い間隔で現れるようになって
その都度「忘却」の部分が顕著になっていきます。
正月明けから2週間ほどで
その波が、それも結構大きな波がやってきて
約10日間、施設に行くのを嫌がり
仕方がないので、私や姉が送り迎えをしたり
私が休んで母を家で見たりしました。
認知症は、感情の病気の部分も大きいと思います。
認知症鬱、とでも言いましょうか。
起きられない、
食欲がない、
元気がなくなる、
悲観的になる、
そういう時は、うつ症状の方への対応と同じで
力づくはダメ、
強い言葉もダメ、
励ましもダメ、
のような気がします。
母の場合は、こういう時期が過ぎるのを待つ・・・
とでも言いましょうか?
(ただ、いつになったら調子が戻るのかが読めないことがつらい)
「黙って見守る」ということをしてきました。
朝、そう~っと、様子を見に行った時に調子を聞く。
少し話をすれば、その日の調子がわかりますから・・・
それで、その日、施設(デイサービス)に行くか決める・・・
そんな日を10日ほど繰り返していたら
いつの間にか、
前向きになって明るくなって、
今はまた、毎日「迎えが来るもの」と思って
起きて待っています。
ただ、健忘は少し進んでいます。
洗面所も、時にはトイレまでも
場所がわからなくなることがあるのです。
そうやって、
認知症が進行していくのでしょう。
仕方のないことです。
母、まもなく92歳です。
認知症を発症してから、
まもなく8年を迎えます。
なかなか、心穏やかに介護をしているばかりではありませんが、できるだけそうしたいと、なるべくゆとりを持てるようにしています。
そういう端から、昨夜は夜中に起きられてその後、私のほうは眠れず、大変な寝不足です。
私のブログを読んで、お母様を思い出していただきありがとうございました。
母も、90を過ぎました。いつお迎えが来ても良いように、こちらも覚悟を決めて向き合いたいと思います。
やはり少しづつ進行しているのでしょうね。それはご家族と一緒だからテンポがゆっくりではないかと思います。
また戻られたようでホッとしましたが、らせん状でしょうか?他人ごとでなく、私もいつも兄を思い、一緒に過ごしてないので、何もできませんが…お察しできます。
ブログを読ませてもらうと母を思い出します。
腰椎圧迫骨折、デイサービス、ショートステイ、老健施設
ヘルニア手術、特別養護老人ホーム、肺炎などなど。
いろいろなことがありました。
96歳までがんばってくれました。