客殿神社
通称:観音様
客人社としてアラハバキとは無関係では無いと考え取材に行きました。
アラハバキは、門客神(もんきゃくじん)として祀られている場合も多いようです。
門客神とは、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となったと考えられているからです。
鎮座地:横手市平鹿町醍醐字薊谷地74
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受姫神(とようけひめのかみ)
アラハバキは特に表記されておらず、不明ではありますが取りあげました。
特に神社らしい社殿があるわけではなく、建物の中に神棚があるような形です。
由 緒:創立年代不詳、しかし樋ノ口館の客殿のあった所に奉斎された神社と言い伝えられている。
堂ノ後21に鎮座していたが、昭和49年、現在地に遷座した。
明治43年3月5日、神明社を合祀。
ご覧の通り、鳥居に社名が書いてあるわけでもなく、拝殿に書いてあるわけでもなく、どこから見ても何の神社がわかりません。
でも地図には、しっかり社名が書いてあるのでした。
面白いのが入り口に・・・・なんで??
お地蔵さんでしょうか? 足元に小さい石が2個・・・?
風化した地蔵なのでしょうか? とにかく誰も居なく尋ねることも聞く事も出来ませんでした。
嘉永三戌・・・の文字が見えました。1850年です。
前回の荒羽祇神社/仙北郡美郷町にあった木に巻かれた縄がここにもあった。
続けて同じような木に巻かれた縄が気になって写真に収めて置いたのですが、どうも調べてみると人形道祖神と言う民族信仰が関係しているようだ。
木で作られた丸いものが刀のツバみたいなもので真ん中の棒は刀のようです。
これだけでは、想像できないと思いますが、本来は大きな藁の人形があって腰にこの刀をつけているのです。
これは、簡単に言うと疫病などの侵入を防いだり清められると考えられたようです。
実は、記事にしていませんでしたが東北歴史博物館を見学した際、展示していた藁の厄除けの人形の写真をストックしていたのです。
このような民間信仰は東北に点在しているようです。
疫病(えきびょう)を送り出す神
かつて疱瘡(ほうそう)などの流行病は疫病神(やくびょうがみ)のしわざと考えられていました。
そのため流行病がはやらないように、疫病神をワラ製の人形に封じ込めて、村境まで送り出し、その場に放置したり、川に流したりしました。
中には、家族人数分の餅や団子を作り、ひとりひとりが身体の具合の悪いところにこすりつけ、人形に持たせる例もあります。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
通称:観音様
客人社としてアラハバキとは無関係では無いと考え取材に行きました。
アラハバキは、門客神(もんきゃくじん)として祀られている場合も多いようです。
門客神とは、「客人神(まろうどがみ)」のことで、「客人神」は地主神がその土地を奪われて、後からやって来た日本神話に登場する神々と立場を逆転させられて、客神となったと考えられているからです。
鎮座地:横手市平鹿町醍醐字薊谷地74
御祭神:天照大御神(あまてらすおおみかみ)・豊受姫神(とようけひめのかみ)
アラハバキは特に表記されておらず、不明ではありますが取りあげました。
特に神社らしい社殿があるわけではなく、建物の中に神棚があるような形です。
由 緒:創立年代不詳、しかし樋ノ口館の客殿のあった所に奉斎された神社と言い伝えられている。
堂ノ後21に鎮座していたが、昭和49年、現在地に遷座した。
明治43年3月5日、神明社を合祀。
ご覧の通り、鳥居に社名が書いてあるわけでもなく、拝殿に書いてあるわけでもなく、どこから見ても何の神社がわかりません。
でも地図には、しっかり社名が書いてあるのでした。
面白いのが入り口に・・・・なんで??
お地蔵さんでしょうか? 足元に小さい石が2個・・・?
風化した地蔵なのでしょうか? とにかく誰も居なく尋ねることも聞く事も出来ませんでした。
嘉永三戌・・・の文字が見えました。1850年です。
前回の荒羽祇神社/仙北郡美郷町にあった木に巻かれた縄がここにもあった。
続けて同じような木に巻かれた縄が気になって写真に収めて置いたのですが、どうも調べてみると人形道祖神と言う民族信仰が関係しているようだ。
木で作られた丸いものが刀のツバみたいなもので真ん中の棒は刀のようです。
これだけでは、想像できないと思いますが、本来は大きな藁の人形があって腰にこの刀をつけているのです。
これは、簡単に言うと疫病などの侵入を防いだり清められると考えられたようです。
実は、記事にしていませんでしたが東北歴史博物館を見学した際、展示していた藁の厄除けの人形の写真をストックしていたのです。
このような民間信仰は東北に点在しているようです。
疫病(えきびょう)を送り出す神
かつて疱瘡(ほうそう)などの流行病は疫病神(やくびょうがみ)のしわざと考えられていました。
そのため流行病がはやらないように、疫病神をワラ製の人形に封じ込めて、村境まで送り出し、その場に放置したり、川に流したりしました。
中には、家族人数分の餅や団子を作り、ひとりひとりが身体の具合の悪いところにこすりつけ、人形に持たせる例もあります。
「あらはばき」はこちらにまとめています。
「アラハバキと謎の古代史」
明けましておめでとうさんです。 m(_ _)m
今年もよろしくナ♪
田舎に行くとこの手の物置に鳥居みたいな神社ってけっこうあるよなぁ~
てッ、うちの町の神社も半分以上このタイプだけどな ^_^;
こんでもこの辺りの鎮守なんだべな、明治9年は地租改正と大合併の年だからここでも「薊谷地(アザミヤチ)村」と「下樋口(シモトイノクチ)村」が合併して、鎮守様の境内さ記念碑建てたんだべねぇ~
人形道祖神 モノの本を繙いて調べてみます
独断ですが、プライヴァシーに留意して
貴スバラ年賀状 皆さんにご紹介 ♪
ってか、物置みたい?
中尊寺の金色堂みたいに、この中にお社があるとか??
そうゆうことか・・・
もう一社次回UPしますが、同じように拝殿が座敷になってました。
でもそこは、奥に本殿らしいのがありましたが、今考えると、寒いお国はこのようになっているのかも?と考えましたよ。
今年も4649
秋田には人形道祖神が多いようです。
知っていれば、探して写真を撮ってきたのですが、帰ってから調べたものですから、しかし、以前博物館の記録を取っておいたのが本日活かされました。
普通は誰も見向きもしない神社です。
しかし、古くからあることには間違いないでしょう。
人形は古代から呪術めいた使い方をされることも多かったようですね。
わら人形は、違う意味にも使われていますがね。
今でも密かに行われているでしょうね。
そして~
泣き虫にげろ?!
これも
いいですね (^_-)~☆
今年も精力的に活動しているんですね!☆
お面(?)面白かったです。
南の島の 精霊を模ったお面に似てますね♪
私は怠け虫退治だなー 苦笑☆ pt☆