スサ族
スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神<除疫の神>)という。
「牛冠をかぶった貴人」の意味です。
「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。
※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。
日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。
※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。
垂仁天皇の条には「御間城(みまき:垂仁)天皇の世に額に角がある人が船に乗って越国(福井県)
の笥飯:けひ(気比)浦にやってきた。
そこで、この地を角館(つぬが:敦賀)と言う。
その人に何処の国の者か?と尋ねたら、こう答えた。
オオカラ国(任那加羅)の王子で、名をツヌガアラシト、別名をウシキアラシチカンキという。
とある。
ソナカシチは朝鮮語。 ソ=牛 ナカ=出て来る シチは尊称で「牛のように角の出ている貴人」
ツヌガアラシト=角がある人
ウシキアリ=額に角があること
「韓国史」の中で韓国の学者は、弁韓及び辰韓人たちが、かぶった冠の前面に角状のものがついているのを見てこう呼んだ。と述べている。
牛頭=朝鮮の地名で、ソシモリ(江原道春川村の牛頭州)という。
「日本書紀」にもスサノオがソシモリへ行ったことが記され、朝鮮の牛頭山には天主堂があった。
この神を祭神とする京都の八坂神社の社伝には、「斉明天皇の二年(656)新羅の牛頭山における、スサノオノ命の神霊を迎え祀る」と見える。
そして勧請したのは、遣唐使の吉備真備だとも朝鮮人だとも伝えている。
石見で「韓」または、「辛」と名のつく地名のところには、必ずスサノオ神話が伝承されている。
その子、イソタケルを祀る神社にも「韓」の字が冠せられている。
スサノオはアマテラスの弟として権威づけられたため、出雲人の大祖神のようにされてしまったが、出雲国風土記でもスサノオは須佐地方の一首長に過ぎない。
オオクニヌシとも血縁は無い。
「記紀の作者がスサノオに与えた演出はただ一つ! 出雲国造りのオオナムチのしゅうとになることだけであった」
まだ、記事の途中ですが、この記事は「謎の出雲帝国*吉田大洋著」から編集しています。
自分は、この本を読んで出雲神族の富氏との会話の中で、古代出雲の王朝が渡来族(天孫族)に侵略されて行く場面を読み出雲の本来の姿を表現したくて書き始めました。
しかし、長くなっており、詰めて書きたいのですが、詰めるとその理由がわからなくなったり証明が出来なくなったりします。
しかし、長文は本意ではありませんので、できるだけ短くしたいと思います。
ここで、渡来族とか天孫族とか書いていますが、日本人の成り立ちを考えれば、当然渡来人の集まりでもあります。
その流れは、多くありますが、次の機会に書きたいと思います。
また、神社を訪れれば天孫族も出雲もその神話や歴史上の人物が神として祀られています。
私自身は、批判も否定もしません。
古来からある神社・仏閣には、心から手を合わせるつもりです。
こんな私みたいな者が居るから、富氏は口外しなかったのでしょうね。
6話へつづく・・・・
スサノオの別名を牛頭天皇(インド祇園精舎の守護神<除疫の神>)という。
「牛冠をかぶった貴人」の意味です。
「日本書紀」崇神天皇の条に「任那(みまな)がソナカシチを遣わして朝貢した。
※4~6世紀頃、朝鮮半島南部にあった伽耶諸国の日本での呼称。
日本書紀では、4世紀後半に大和朝廷の支配下に入り、日本府と言う軍政府を置いたとされる。
※朝貢=外国人が来朝して貢物を奉ること。
垂仁天皇の条には「御間城(みまき:垂仁)天皇の世に額に角がある人が船に乗って越国(福井県)
の笥飯:けひ(気比)浦にやってきた。
そこで、この地を角館(つぬが:敦賀)と言う。
その人に何処の国の者か?と尋ねたら、こう答えた。
オオカラ国(任那加羅)の王子で、名をツヌガアラシト、別名をウシキアラシチカンキという。
とある。
ソナカシチは朝鮮語。 ソ=牛 ナカ=出て来る シチは尊称で「牛のように角の出ている貴人」
ツヌガアラシト=角がある人
ウシキアリ=額に角があること
「韓国史」の中で韓国の学者は、弁韓及び辰韓人たちが、かぶった冠の前面に角状のものがついているのを見てこう呼んだ。と述べている。
牛頭=朝鮮の地名で、ソシモリ(江原道春川村の牛頭州)という。
「日本書紀」にもスサノオがソシモリへ行ったことが記され、朝鮮の牛頭山には天主堂があった。
この神を祭神とする京都の八坂神社の社伝には、「斉明天皇の二年(656)新羅の牛頭山における、スサノオノ命の神霊を迎え祀る」と見える。
そして勧請したのは、遣唐使の吉備真備だとも朝鮮人だとも伝えている。
石見で「韓」または、「辛」と名のつく地名のところには、必ずスサノオ神話が伝承されている。
その子、イソタケルを祀る神社にも「韓」の字が冠せられている。
スサノオはアマテラスの弟として権威づけられたため、出雲人の大祖神のようにされてしまったが、出雲国風土記でもスサノオは須佐地方の一首長に過ぎない。
オオクニヌシとも血縁は無い。
「記紀の作者がスサノオに与えた演出はただ一つ! 出雲国造りのオオナムチのしゅうとになることだけであった」
まだ、記事の途中ですが、この記事は「謎の出雲帝国*吉田大洋著」から編集しています。
自分は、この本を読んで出雲神族の富氏との会話の中で、古代出雲の王朝が渡来族(天孫族)に侵略されて行く場面を読み出雲の本来の姿を表現したくて書き始めました。
しかし、長くなっており、詰めて書きたいのですが、詰めるとその理由がわからなくなったり証明が出来なくなったりします。
しかし、長文は本意ではありませんので、できるだけ短くしたいと思います。
ここで、渡来族とか天孫族とか書いていますが、日本人の成り立ちを考えれば、当然渡来人の集まりでもあります。
その流れは、多くありますが、次の機会に書きたいと思います。
また、神社を訪れれば天孫族も出雲もその神話や歴史上の人物が神として祀られています。
私自身は、批判も否定もしません。
古来からある神社・仏閣には、心から手を合わせるつもりです。
こんな私みたいな者が居るから、富氏は口外しなかったのでしょうね。
6話へつづく・・・・
すーさんの六代の子孫がオオクニヌシとも言われるし、古代史、ますます訳がわからなくなります
一層拙も勉強させて貰います ♪
興味津々 (^^♪
しかも~ 出雲が舞台
ありがたいです~ね (^_-)~☆
一つは参考文献の真実度にもよるでしょう。
参考文献の発行が古いものは歴史解釈が変わっているものもあるでしょう。
富氏が話したことだけをピックアップすれば簡単なのですがね。
一応この著者も出雲の歴史学者なので、富氏の話を裏付けて書いています。
スサについては、興味深いところだけ抜粋しました。
何せ、古代史については想像の組み合わせであることも多少あるでしょう。
へ~と思うことがまだあるんですよ。
自分も驚いたところは、書きたいと思います。
実は、このシリーズは、コメントはありませんが、読者が一定して毎日あります。
出雲の方々も興味深いでしょうね。
長い事ブログから離れていて、久しぶりに皆さんのブログを覗いたらあまりの記事の多さに驚愕! 私がボーっとしている間にすっかり時間が経ってしまったのを実感しております。
来月始め頃の更新を目指して只今新作を描いておりますが、また宜しくお付き合い下さいませ。^^
神話の世界だけでなく、科学的に解明するのも難しいですね。
オオクニヌシと血縁がない。
うーん、自分の史観を変えねば・・・。
記事とは関係ないですが
昨年の ≪大・芋煮会≫の 記事をリンクさせていただきました m( )m
今年も ダイナミック!な 芋煮風景
楽しみにしてます☆
ジョジョと水木しげると沖縄の民俗が好きな
未熟者です。
最近、急な体調変化による脳活性で
閃きが多くなったのですが
お昼のTVで水木先生が
最近、妖怪?に出雲族の滅亡を(漫画に)描け
とよく夢で見ると
仰られていたので
気になって検索しましたところ
このブログがヒットいたしました。
タイトルの神社の名称はがんがめ神社で
よろしいでしょうか?
またの更新楽しみにしています。
ですからね。
長くなってしまいました。
私が書きたかったのは、今の歴史家の知らない隠された伝承です。当然この本も古くはなって来ましたが、しかし、第3者の目から見れば、今伝わる神話とてはるか太古の昔のこと、想像でしかなく、神さまがゲロ(嘔吐物)糞から生まれているのです。これは古事記に書いてあるのですが、作り話しにしか聞こえません。それまたはいずれ
これが終わったら化学的に日本人のルーツを探ります。NHKで放映されたものですが、驚いたのが、富氏が伝承による先祖の歩みと一緒だったのです。
出雲にたどり着くずーっと以前に大平洋側で塩造りを教えたことも話しています。塩釜のようです。
そんな訳で興味がわいたのです。
今入院してまして、今年もあるのですが行けるかどうか?
一話から御覧いただいたでしょうか、読んでいただければ嬉しいです。
出雲族の末裔の一族はいるようです。
水木さんにねぇ~
本当はもっと知っててしかるべきですが、口外すれば抹殺された時代がありましたからね。出雲の人すらしらないのです。
是非書いて欲しいところです。
タイトルの神社は、最初なんのことだろうと悩みました。
タイトルの画面ですね。
旧字体を行書にしたからますます読み難いのですね。
亀にもにていますからね。
あれは、塩竈神社 塩釜神社 つまり、しおがま神社です。陸奥国一宮(奥州一宮)です。
現代の骨壺にあたるモノで、遺骨は3年程風葬したものを洗骨して、納めたそうです。
高貴なサンカと同じ様な葬礼が、少し前の沖縄でものこってたのかもしれません。
因みに未だ、沖縄では火の神(竈神)信仰が各家庭レベルで日常的に有ります。
タイトルの文字は、監竈と勘違いしました。
監督の監の字は、塩田の支配・見張りに由来が有るのでしょうか。
不勉強ですみません。
折りに触れ、ブログを読ませて頂けたら幸いです。
大きさは権力といいますか、偉い方は大きいと聞きました、一人一つだそうですね。
立派な焼き物で柄が入っていたのを覚えています。
掛かり付けのDr.が沖縄出身なんですよ。
私も、7~8回訪れていまして大好きなところです。離島に行ったことがないので、次は離島ですね。
沖縄は琉球王国であり、攻撃した島津藩は闘うことさえしらない琉球を攻め、結果日本になってしまいました。
戦争に巻き込まれ苦難の道を歩む事になってしまったのです。ついこの間まではアメリカでしたからね。
本当に可愛そうなことをしたと思っています。
いいですね~
私も職場を引退したら巡りたいと思います。
記紀自体が曖昧であり、神話は実話を描いているように思います。
色々な説があり頭の中が混乱しています。
現場を訪れてその空気を確かめたいものです。
博物館は外せませんね。
古代の神社を巡っていますが、鉄との関わりは非常に大事です。
出雲神族が秘密にしていることが沢山あるはずです。
当時の朝廷に睨まれていたからです。
大社の向きにも秘密があるはずです。
私もまだまだ勉強不足ですが、知りたいことが山積みです。
旅を楽しんで下さい。
製鉄の神様に関係が深くなりますね。
時代が変ると足の神に変化します。
たたら吹きは製鉄の時、片足で風を送るのですね。
その為に足が悪くなり、足の神とも言われます。
また、火を見つめる為目を失明したりします。
そこで目の神に変化することもあります。
「たたら」はキーワードとして古代からの神との関係は重要です。
さりげない祠にも伝説が多く見られます。
なかなか東北から島根は遠くてチャンスを逃しています。
必ず行きたいところです。
感動したようですね。しばらくは行けないので、とりあえずネットで拝見してみます。
ありがとうございます。