遠野の民俗学は、伊能嘉矩(いのうかのり)が明治27年「オシラ神に就きて」を発表した時から始まります。
遠野の佐々木喜善(きぜん)の話を柳田國男がまとめ、日本民俗学のもっとも代表的な古典と言われる『遠野物語』が生まれました。
当時、佐々木22歳、柳田33歳であった。
柳翁宿(りゅうおうじゅく)
旧高善旅館を移築したもので、明治から昭和まで遠野を代表する旅籠でした。
柳田國男が始めて遠野を訪れたのは明治42年のこと、度々この旅館に宿泊していたようです。
二階の客室では、柳田國男などが宿泊し民俗学調査の拠点ともなった部分です。
明治・大正の頃の状態に再現されてます。
だから、この日は風が強く、歪んだガラス戸は「バタバタ」音をたて外れるかと思いましたよ。
この部屋で、民俗学の調査をしたのでしょう?
遠野の神棚はチョット変わってますね。
遠野昔話村には、物語蔵があり、遠野地方に語り継がれてきた多くの昔話が収められた昔話ボックスや大画面のスクリーンがあります。
詳しく知りたい方は・・・
遠野物語Wikipedia
柳田國男Wikipedia
硬い話はこのページにまとめてしまいます。
以前に紹介した、我が家の書棚にある「東北文化研究」吉田貞吉責任編集
下巻 第二巻第三号(昭和4年9月)第五号(昭和五年12月)
発行所 東洋書院 揃定価16,000円
佐々木喜善の名前もあります。
なんと、この本の7割はおしら様<オシラ神>について話してあります。
中巻には、佐々木喜善先生の「ザシキワラシ」についても書いてありました。
しかし、この文献は、話のストーリーよりもどこから生まれて、どのように伝え変わって来たのかを、学者の目で見ています。
この3冊を読んだら、小生も民族学者にでもなれそうな気がしてくる本です。
面白そうな文献もあるので、いずれ又機会を見て書きたいと思います。
オシラ様について、関連記事のHPがありました。
興味のある方は覗いて見て下さい。
『おしらさま信仰』
遠野の昔話は、語り部(かたりべ)という、おばあさん達がいます。
今は、常設しいつでも聞けるようになりました(時間が決まっています)
団体の場合は、予約して伝承園やふるさと村、昔話村で聞くことができます。
遠野の特徴は始まりに「むかし、あったずもな。」で語り始め、「どんとはれ」で終わるのが特徴です。
当然語り部は、遠野の方言で話しますので、理解しにくい地域の人もいることでしょう。
おしら様とは・・・
後程、また触れますが、遠野でも代表する、神(信仰)で、それにまつわる物語があります。
語り部により話は微妙に変わります。(あしからず・・・民話ですから)
ある貧しい百姓の家に、馬と笑って話をする娘がいました。
娘は、馬を愛し夜になれば厩舎に行き寝ていました。
しかし、父は娘が馬と夫婦に成りたいという事を聞き、怒った父は、娘に用を言いつけ留守のうちに馬を桑の木にくくりつけて、生きたまま皮を剥いだのです。
そこに戻った娘は、驚き悲しみ、途中で馬が息絶えると、はいだ皮が娘をくるんで空に舞い上がって行ったのです。
両親は馬を自ら殺してしまったたうえに、娘までなくしてしまい、3日3晩、泣いてくらしました。
すると両親の夢枕に立った娘が、親不孝の償いに養蚕を教えることになるのです。
「おれぁ、悪りぃい星のもとさ生まれたために、親孝行もしねで天さ来てすまったから、なんじょにか許してけろ」って言ったずもな。
「そのかわり、来年の三月の十四日の朝間、土間(にわ)の臼の中見てけろ」って言ったずもな。
「そしえば(そうすれば)、そごの臼の中に、馬の頭こみでな(馬の頭のような)ぺっこな虫いっぺいいるから(小さい虫がいっぱいいるから)、その虫さ、馬つるして殺した桑の木の木の葉っぱ取ってきて、かせでけろ(食べさせて)」って言ったずもな。
「それ、とどっこづ虫(蚕って虫)で、三十日もあずけば(養えば)こんたにおっきくなって(大きくなって)、めえっこ(繭)になってっから、繭っこになったら糸とって」って、糸のとりかた教えたずもな。
そして、「糸とったら、機織って」って、機の織りかたも教えたずもな。
「そうして、その織物売って、とど(父)とがが(母)暮らすたててけろ(暮らしを立ててください)」つ夢、見たずもな。
「おしらさま」つものわ、養蚕の神さまでもあれば、目の神さまでもあれば、おなご(女)の病気の神さまでもあれば、また、「おしらさま」のある家さ、良えことあればある、悪ことあればあるってお知らせする、お知らせの神さまでもあるんだとさ。 どんとはれ。
実は、佐々木喜善氏のおしらさまは、「父は之を悪(にく)みて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。 」
何故、佐々木氏は馬の皮剥ぎの話を柳田氏に言わなかったのか・・?
それとも、柳田氏がカットしたのかは、どれが本当なのか、小生にもわかりませんが・・・・?
佐々木喜善の祖母の姉という超能力者はイタコであったのかもしれないという話もあります。
この「おしらさま」はイタコに伝えられた話だからです。
語り部で有名な、鈴木サツさんによると、彼女は父から沢山の昔物語を聞いて育ち、そのほとんどを記憶しているが、この「オシラサマ」の話だけは、父から聞いていないそうです。
オシラ様の写真は、南部曲屋とオシラ様に記事に掲載
さぁ、これ以上突っ込むときりがないので、この辺で止めときます。
さぁ、次は河童を探しに行きま~す。
おしらせ
10/30仙台の街の様子でYouTubeの動画が見れなかったと思います。
今、直しました。私の過去の記事を説明している画像もあります。
江戸時代からの街づくりの様子がわかると思いますので、仙台に興味のある方は是非ご覧下さい。
つづく
遠野の佐々木喜善(きぜん)の話を柳田國男がまとめ、日本民俗学のもっとも代表的な古典と言われる『遠野物語』が生まれました。
当時、佐々木22歳、柳田33歳であった。
柳翁宿(りゅうおうじゅく)
旧高善旅館を移築したもので、明治から昭和まで遠野を代表する旅籠でした。
柳田國男が始めて遠野を訪れたのは明治42年のこと、度々この旅館に宿泊していたようです。
二階の客室では、柳田國男などが宿泊し民俗学調査の拠点ともなった部分です。
明治・大正の頃の状態に再現されてます。
だから、この日は風が強く、歪んだガラス戸は「バタバタ」音をたて外れるかと思いましたよ。
この部屋で、民俗学の調査をしたのでしょう?
遠野の神棚はチョット変わってますね。
遠野昔話村には、物語蔵があり、遠野地方に語り継がれてきた多くの昔話が収められた昔話ボックスや大画面のスクリーンがあります。
詳しく知りたい方は・・・
遠野物語Wikipedia
柳田國男Wikipedia
硬い話はこのページにまとめてしまいます。
以前に紹介した、我が家の書棚にある「東北文化研究」吉田貞吉責任編集
下巻 第二巻第三号(昭和4年9月)第五号(昭和五年12月)
発行所 東洋書院 揃定価16,000円
佐々木喜善の名前もあります。
なんと、この本の7割はおしら様<オシラ神>について話してあります。
中巻には、佐々木喜善先生の「ザシキワラシ」についても書いてありました。
しかし、この文献は、話のストーリーよりもどこから生まれて、どのように伝え変わって来たのかを、学者の目で見ています。
この3冊を読んだら、小生も民族学者にでもなれそうな気がしてくる本です。
面白そうな文献もあるので、いずれ又機会を見て書きたいと思います。
オシラ様について、関連記事のHPがありました。
興味のある方は覗いて見て下さい。
『おしらさま信仰』
遠野の昔話は、語り部(かたりべ)という、おばあさん達がいます。
今は、常設しいつでも聞けるようになりました(時間が決まっています)
団体の場合は、予約して伝承園やふるさと村、昔話村で聞くことができます。
遠野の特徴は始まりに「むかし、あったずもな。」で語り始め、「どんとはれ」で終わるのが特徴です。
当然語り部は、遠野の方言で話しますので、理解しにくい地域の人もいることでしょう。
おしら様とは・・・
後程、また触れますが、遠野でも代表する、神(信仰)で、それにまつわる物語があります。
語り部により話は微妙に変わります。(あしからず・・・民話ですから)
ある貧しい百姓の家に、馬と笑って話をする娘がいました。
娘は、馬を愛し夜になれば厩舎に行き寝ていました。
しかし、父は娘が馬と夫婦に成りたいという事を聞き、怒った父は、娘に用を言いつけ留守のうちに馬を桑の木にくくりつけて、生きたまま皮を剥いだのです。
そこに戻った娘は、驚き悲しみ、途中で馬が息絶えると、はいだ皮が娘をくるんで空に舞い上がって行ったのです。
両親は馬を自ら殺してしまったたうえに、娘までなくしてしまい、3日3晩、泣いてくらしました。
すると両親の夢枕に立った娘が、親不孝の償いに養蚕を教えることになるのです。
「おれぁ、悪りぃい星のもとさ生まれたために、親孝行もしねで天さ来てすまったから、なんじょにか許してけろ」って言ったずもな。
「そのかわり、来年の三月の十四日の朝間、土間(にわ)の臼の中見てけろ」って言ったずもな。
「そしえば(そうすれば)、そごの臼の中に、馬の頭こみでな(馬の頭のような)ぺっこな虫いっぺいいるから(小さい虫がいっぱいいるから)、その虫さ、馬つるして殺した桑の木の木の葉っぱ取ってきて、かせでけろ(食べさせて)」って言ったずもな。
「それ、とどっこづ虫(蚕って虫)で、三十日もあずけば(養えば)こんたにおっきくなって(大きくなって)、めえっこ(繭)になってっから、繭っこになったら糸とって」って、糸のとりかた教えたずもな。
そして、「糸とったら、機織って」って、機の織りかたも教えたずもな。
「そうして、その織物売って、とど(父)とがが(母)暮らすたててけろ(暮らしを立ててください)」つ夢、見たずもな。
「おしらさま」つものわ、養蚕の神さまでもあれば、目の神さまでもあれば、おなご(女)の病気の神さまでもあれば、また、「おしらさま」のある家さ、良えことあればある、悪ことあればあるってお知らせする、お知らせの神さまでもあるんだとさ。 どんとはれ。
実は、佐々木喜善氏のおしらさまは、「父は之を悪(にく)みて斧を以て後より馬の首を切り落せしに、忽ち娘は其首に乗りたるまゝ天に昇り去れり。 」
何故、佐々木氏は馬の皮剥ぎの話を柳田氏に言わなかったのか・・?
それとも、柳田氏がカットしたのかは、どれが本当なのか、小生にもわかりませんが・・・・?
佐々木喜善の祖母の姉という超能力者はイタコであったのかもしれないという話もあります。
この「おしらさま」はイタコに伝えられた話だからです。
語り部で有名な、鈴木サツさんによると、彼女は父から沢山の昔物語を聞いて育ち、そのほとんどを記憶しているが、この「オシラサマ」の話だけは、父から聞いていないそうです。
オシラ様の写真は、南部曲屋とオシラ様に記事に掲載
さぁ、これ以上突っ込むときりがないので、この辺で止めときます。
さぁ、次は河童を探しに行きま~す。
おしらせ
10/30仙台の街の様子でYouTubeの動画が見れなかったと思います。
今、直しました。私の過去の記事を説明している画像もあります。
江戸時代からの街づくりの様子がわかると思いますので、仙台に興味のある方は是非ご覧下さい。
つづく
少なくとも拙は期待しています。
両親は馬を亡くしたうえってなっていますが
両親が殺したんでしょ
当然の報いだと思うよ
それなのに~
娘さんは優しいよね
絹の織物まで教えるなんて
この昔話は何を言いたいのかなぁ~
岩手出身でも、実はおしらさまの話、詳しく知りませんでした(大まかには把握していましたが)
遠野もよく通るんですけど、通過するのみ。
今度ゆっくり見てみたいです。
次の河童の話も楽しみにしてます。
カテゴリーは東北文化研究ですかね?
自分も書いてておかしいと思いました。
娘の気持ちをよくわかってくれましたね。
長くなるので、解釈をカットしました。
自分の罪というか、先立ったことの誤りと、生活を裕福にするために、蚕の仕事を教えたのです。
また、登場しますのでよろしくです。
後ほど、おしら様についてまたでてきます。
まず、おしら様の由来のような話をして置きたかったのです。
コメントありがとうございます。
この後、今も続いているおしら様の信仰や行事の前振りの記事です。
これがわからないと、理解できないかと思いまして・・
おっかねぇごだ…
民話ってちょっと残酷な部分もあるよね
河童は楽しみです~
それとこれは違いますが・・・
カッパはきゅうり食いながら見て下さい。