写真は毛越寺山門です。 今回は通りすがりなので手短に・・・
平泉を語ると、それは「阿弖流爲」・蝦夷征伐や奥州の豪族安倍一族(実は、安倍貞任の弟宗任の末裔が安倍晋三氏だとか?)
前九年の役、後三年の役、・藤原清衡・基衡・秀衡の三代と私の勝手なイメージでは、失礼ですが、できそこないの四代泰衡または源義経・金売り吉次・奥の細道・松尾芭蕉と係わる人々があまりにも多く、説明は長くなりますので、簡単にご紹介いたします。
達谷窟毘沙門堂から道なりに来ると毛越寺(もうつうじ)に出ます。
この寺については、いずれご花が咲く頃紹介したいと思います。
曲水の宴・浄土庭園が有名です。
二代:藤原基衡が12世紀頃造営に着手し、その後三代:秀衡が引継ぎ当時は堂塔40、僧坊500という規模を誇る国内無二の霊地とされました。
「吾妻鏡」には「万宝を尽くす」との記述がある。
特別史跡・特別名勝の二重に指定を受け、「大泉が池」を中心とする浄土庭園が広がる。
曲水の宴の時に撮影に行きたいのですが、なかなか休みが合いません。
観自在王院跡
二代基衡の夫人が12世紀半ばに建立した寺院で、毛越寺の隣にあります。
『吾妻鏡』によれば、大阿弥陀堂内の壁には京の名所などが描かれ、仏壇は銀、高欄は磨金でした。
現在は、復元された「舞鶴が池」を取り囲むように、南門跡、西側土塁、西門跡などが整備された。
敷地の北隅には基衡の妻の墓がある。
春の藤原まつりでは、その死を悲しむ奇祭「哭(な)き祭り」が行われる。
(この藤原まつりはあまりにも混みインターチェンジから下りられない程渋滞する。だから行かなくなってしまいました。)
中尊寺に向かった
中尊寺の参道入り口の向かい側に松の木がある、そこの石碑には、弁慶の墓と彫ってあります。
武蔵坊弁慶の墓
ちょっと信じがたいのですよね・・・・
確かにこの北側にある古戦場跡で、沢山の矢を受け亡くなった話は有名ですね。
弁慶の立往生です。
中尊寺の裏手にも駐車場があるのですが、ご利益があるように下から歩きました。
では、表参道登りますか。
いやーきついです・・・
今の時期は雪ですべりやすいので気をつけて下さい。
参道の端にロープの手すりがあります。
あれがないと下りは危険かも、この時は、雪が少なかったので。
2015年に新たに記事を書いています。
毛越寺
平泉を語ると、それは「阿弖流爲」・蝦夷征伐や奥州の豪族安倍一族(実は、安倍貞任の弟宗任の末裔が安倍晋三氏だとか?)
前九年の役、後三年の役、・藤原清衡・基衡・秀衡の三代と私の勝手なイメージでは、失礼ですが、できそこないの四代泰衡または源義経・金売り吉次・奥の細道・松尾芭蕉と係わる人々があまりにも多く、説明は長くなりますので、簡単にご紹介いたします。
達谷窟毘沙門堂から道なりに来ると毛越寺(もうつうじ)に出ます。
この寺については、いずれご花が咲く頃紹介したいと思います。
曲水の宴・浄土庭園が有名です。
二代:藤原基衡が12世紀頃造営に着手し、その後三代:秀衡が引継ぎ当時は堂塔40、僧坊500という規模を誇る国内無二の霊地とされました。
「吾妻鏡」には「万宝を尽くす」との記述がある。
特別史跡・特別名勝の二重に指定を受け、「大泉が池」を中心とする浄土庭園が広がる。
曲水の宴の時に撮影に行きたいのですが、なかなか休みが合いません。
観自在王院跡
二代基衡の夫人が12世紀半ばに建立した寺院で、毛越寺の隣にあります。
『吾妻鏡』によれば、大阿弥陀堂内の壁には京の名所などが描かれ、仏壇は銀、高欄は磨金でした。
現在は、復元された「舞鶴が池」を取り囲むように、南門跡、西側土塁、西門跡などが整備された。
敷地の北隅には基衡の妻の墓がある。
春の藤原まつりでは、その死を悲しむ奇祭「哭(な)き祭り」が行われる。
(この藤原まつりはあまりにも混みインターチェンジから下りられない程渋滞する。だから行かなくなってしまいました。)
中尊寺に向かった
中尊寺の参道入り口の向かい側に松の木がある、そこの石碑には、弁慶の墓と彫ってあります。
武蔵坊弁慶の墓
ちょっと信じがたいのですよね・・・・
確かにこの北側にある古戦場跡で、沢山の矢を受け亡くなった話は有名ですね。
弁慶の立往生です。
中尊寺の裏手にも駐車場があるのですが、ご利益があるように下から歩きました。
では、表参道登りますか。
いやーきついです・・・
今の時期は雪ですべりやすいので気をつけて下さい。
参道の端にロープの手すりがあります。
あれがないと下りは危険かも、この時は、雪が少なかったので。
2015年に新たに記事を書いています。
毛越寺
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