縁起を書くと長くなるので、わかりやすく短縮します。
前記事のように
悪さをする蝦夷に国府も抑えることができなくなり、桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に命じ蝦夷征伐の勅(ちょく)を下された。
脱線しますが、征夷大将軍は本来、蝦夷征伐をする大将が征夷大将軍のはずです。江戸時代まで続く将軍の始まりですね。鎌倉時代あたりからは地位としての征夷大将軍だたのです。方面によって呼び方は変わったようです。
悪路王らは達谷窟より三千余の賊徒を率い駿河国清美關(するがのくにきよみがぜき)まで
進んだが大将軍が京を発するの知らせを聞くと、引き返し守りを固めた。
延暦二十年(801年)激戦の末、悪路王・赤頭・高丸の首を刎(は)ね、ついに蝦夷を平定した。
悪路王
また脱線しますが、その首が飛んで行ったのが宮城県鳴子温泉郷にある
鬼首温泉(おにこうべ)だという伝説もあったような・・・
大将運は戦勝は毘沙門天のご加護と感じ、清水の舞台をまねて九間四面の精舎を建て、
百八躰の毘沙門天を祀り、毘沙門堂(別名を窟堂)と名づけた。
またまた脱線、この蝦夷征伐、実は、青森の「ねぶた祭り」とも関係があるのです。
また話す機会がありましたらその時に・・・
おまたせしました・・・中へ入りましょう。
駐車場からは、この茅葺の御供所が見えます。桜の時期はこの枝垂れ桜が綺麗ですよ。
入り口です。 達谷西光寺 お一人様300円です。
壱之鳥居
姫待不動堂
智証大師が達谷西寺の飛地境内として姫待瀧の本尊として祀ったものを、藤原基衡公が再建した。
また、宮城県栗原の信者が生涯一度の大願を掛けに参拝する習わしが現在も続いている。
火伏・眼病の神様。拍手を打って祈るもよし。
「ナマサマンダバサラナンセムダマカロシヤナソハタウムタラタカムマン」と御真言を唱えるもよし。 私はベロが回りません。
奥に行くと金堂(こんどう)御薬師様です。
「ヲンコロコロセムダリマトウギソハカ」と御真言を唱えるとよし。
建替えしたそうです。
道を戻り弐之鳥居をくぐります。
参之鳥居
おや 狛犬が写真を撮ってくれと言ってます。
毘沙門堂です。 今度は反対側から撮りました。
岩面大佛
この磨崖佛は、前九年の役で亡くなった敵味方の諸霊を供養するために陸奥守 源 義家公が馬上より弓張(ゆはず)を以って貼り付けたと伝えられている。 まぁ信じがたいが・・・
高さは16.5m 顔の長さ約3.6m 肩幅約9.9m 全国で五指に入る大像で「北限の磨崖佛」として名高い。
蝦蟇ヶ池弁天堂
中の弁才天は慈覚大師の作と伝えられる。
注PS:仲良き男女は共に参らぬこと・・・・天女の前で縁結びを願うと逆に縁切りになる。
この辺にしておきます。
では、平泉に行ってみようか・・・・
最新の画像[もっと見る]
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
- 多賀城碑(壺の碑)/多賀城市 5ヶ月前
(・_・)ノ TBしちゃいました♪
・・・。首って・・・ 大宰府とか・・・どこでも飛んで行くんね・・・汗
かまへんよ~
かまへんよ~