前回の続きです。
藤崎デパートは、一番丁と中央通りの角にあります。
そうです、あの仙台七夕まつりのメインストリートです。
中央通りと簡単に表記しましたが、仙台駅からハピナ名掛丁・クリスロード中央通り・マーブルロード大町が東西にアーケードになってます。
T時の形になって、一番丁が南北にサンモール一番丁・ぶらんどーむ一番丁・一番丁買い物公園と接続し、雨に濡れずにおよそ1.7キロを繋いでいます。
この町の名前に記憶がありませんか
実は、仙台藩犯科帳の中で、市中引き回しをした町の一部です。
名掛丁=御名掛丁 中央通り=新伝馬町 大町 などです。
それでは、昭和の通りと現在の通りを比べて見ましょう。
まずは、一番丁です。
昭和33年~40年頃です
現在の一番丁
時計なんですよう~時間が来ないと動かない
時計にこだわりました。 気づかなかった、人形?
こっちの時計は、3人・・・何の説明書きも無いのですが、私の想像では、伊達政宗の命により、サンファンバウティスタ号(黒船)を造り、ローマ法王に謁見に行った支倉常長の像だと思います。 その様子を表しているのでは、これについては、いずれ詳しく記事にしたいと思います。
七夕の一番丁です。2007年8月の記事
昭和の七夕・・・
僕のママです。
次は、中央通りに行きますか・・・ それとも、夜の国分町に行きますかね?
追記:2012年2月28日
コメントに一番町じゃないか? という意見がありましたので、マップを貼り付けます。
「町」と「丁」の問題ですが、
仙台城下では、武士の住むところを「丁(ちよう)」と呼び、足軽、職人、町人の住むところを「町(まち)」と呼んで区別していました。
町人と武士の住む区域は明確に区画されていました。また、町境には「丁切(ちようぎり)」と『子ばれる木戸が設けられていたのです。
現在の住所は一番町ですが、通りについては「丁」を使用しています。
それでは大正元年に発行され、明治45年に再販されたものです。
大正4年の地図です。
これは昭和3年の復刻版です。
どれも一番丁と表記されています。 トップの写真の通りですね。
それでは、現在の地図をご覧下さい。先日購入した最新版です。
ご覧の通り町名は「町」を使っていますが通りは「丁」を使用しているのです。
しかし、愛称とされる呼び名は、「ぶらんどーむ一番町」や「サンモール一番町」・「一番町買物公園」
などと表記していますので、町を使うのも住所表記と一緒なので間違いじゃありませんね。
私としては、仙台藩の城下町であったことを忘れないように残していただきたい丁ですね。
仙台の横丁これからも取材したいと思います。
藤崎デパートは、一番丁と中央通りの角にあります。
そうです、あの仙台七夕まつりのメインストリートです。
中央通りと簡単に表記しましたが、仙台駅からハピナ名掛丁・クリスロード中央通り・マーブルロード大町が東西にアーケードになってます。
T時の形になって、一番丁が南北にサンモール一番丁・ぶらんどーむ一番丁・一番丁買い物公園と接続し、雨に濡れずにおよそ1.7キロを繋いでいます。
この町の名前に記憶がありませんか
実は、仙台藩犯科帳の中で、市中引き回しをした町の一部です。
名掛丁=御名掛丁 中央通り=新伝馬町 大町 などです。
それでは、昭和の通りと現在の通りを比べて見ましょう。
まずは、一番丁です。
昭和33年~40年頃です
現在の一番丁
時計なんですよう~時間が来ないと動かない
時計にこだわりました。 気づかなかった、人形?
こっちの時計は、3人・・・何の説明書きも無いのですが、私の想像では、伊達政宗の命により、サンファンバウティスタ号(黒船)を造り、ローマ法王に謁見に行った支倉常長の像だと思います。 その様子を表しているのでは、これについては、いずれ詳しく記事にしたいと思います。
七夕の一番丁です。2007年8月の記事
昭和の七夕・・・
僕のママです。
次は、中央通りに行きますか・・・ それとも、夜の国分町に行きますかね?
追記:2012年2月28日
コメントに一番町じゃないか? という意見がありましたので、マップを貼り付けます。
「町」と「丁」の問題ですが、
仙台城下では、武士の住むところを「丁(ちよう)」と呼び、足軽、職人、町人の住むところを「町(まち)」と呼んで区別していました。
町人と武士の住む区域は明確に区画されていました。また、町境には「丁切(ちようぎり)」と『子ばれる木戸が設けられていたのです。
現在の住所は一番町ですが、通りについては「丁」を使用しています。
それでは大正元年に発行され、明治45年に再販されたものです。
大正4年の地図です。
これは昭和3年の復刻版です。
どれも一番丁と表記されています。 トップの写真の通りですね。
それでは、現在の地図をご覧下さい。先日購入した最新版です。
ご覧の通り町名は「町」を使っていますが通りは「丁」を使用しているのです。
しかし、愛称とされる呼び名は、「ぶらんどーむ一番町」や「サンモール一番町」・「一番町買物公園」
などと表記していますので、町を使うのも住所表記と一緒なので間違いじゃありませんね。
私としては、仙台藩の城下町であったことを忘れないように残していただきたい丁ですね。
仙台の横丁これからも取材したいと思います。
支倉常長、帰国してから、どんな人生を送ったのでしょうね。
記事を楽しみに待ちます。
よく考えたら、十字で大きなアーケードは丁の字でした。
あみだくじのように入り組んでいるのは、会津と米沢がそうですね。
仙台は割と碁盤の目になってます。
山城だからですかね?
おじゃましたいもので~す (^^♪
とても~宿取れないでしょう~ね
仙台に住んでいても、分からないのが多いのですが
ひーさんのブログを見ていると、事細かく書かれていてよく分かっていいですね
昔の仙台も素敵な街だったのですね。
ひーさんのママさん美しい
又、いろいろご紹介お願いします。
今日もタイヤキ屋さんの前を通りましたが
たくさんの人が並んでいました
いつになったら食べる事ができるのかなぁ~
気長に待つ事にします
蚊取線香あげま~す
東北三大祭り ねぶたのみ経験。
仙台七夕、秋田竿灯祭 いつか観たいなぁ
母に内緒で無断で使用してます。
冬に篭っていた北国の人々は、夏に爆発するのです。
七夕は、唯一自分が動かないと見れません。
他の祭は、座っても見れますが、七夕だけは、自ら歩かないと・・・ww
わたしの すこ~し お姉さまかしら
すっかり親しみを感じてしまいました
仙台の七夕祭り 豪華ですね
いつ頃から始まったのでしょう?
七夕祭り・・・ 昔から盛況でしたのねぇ~
帰省する方や観光客と・・・
いつだったか・・・
朝のNHK TV小説?思い出しました♪