社 名:日枝神社
御祭神:主祭神 大山咋大神 合祀神:大歳神事代主神社大国主神/亘理元安斉元宗大人命
境内社:三峯山神社・黄金山神社御分霊・水神社・山王稲荷社・雷神社
忠霊殿:全国戦没者御英霊を祀る(四月二十五日例祭)
祭典日:例大祭十月十日 月次祭・毎月十日 歳旦祭・一月元旦 建国祭・二月十一日 新年祭・二月十七日
新嘗祭・十一月二十三日 他
由緒
天武天皇の御宇(680年頃)加護坊山が比叡山に似ている事から東比叡と称し、加護坊山頂に国家安楽寺を創建しその(鎮守)の守護神として山王大権現を勧請した。当社の御祭神であります大山咋命は、須佐之男神の御孫神にあたり、又の名を山末之大主神と申し、近淡海国の日枝の山に坐す神とされ、即ち、近江国の比叡山に鎮る山の神で、「くい」とは、山の樹木や田畑の五穀をグイグイと押して育てて下さる御神徳と指したものである。爾栄、治山治水、営農の守護神、武神、或は産神として、地方民衆の信仰篤く生活活動に限り無く崇敬を集めた。文禄3年(1594年)、涌谷初代館主、亘理元安斎元宗公歿するや遺骸を当社の麓に葬り5本の杉を植え廟宇とした。大正初期の暴風雨落雷等により風倒したので、現在は代木を植えてある。3代館主(1652年)定宗公は、大貫に池舘を構えて隠栖されたが、その子、宗重公(伊達安芸)は定宗公の御機嫌奉仕にこの険路な山王道路を通われた際に、祖元宗公の廟宇路傍にありては、その威霊を汚さん事を虞れ、当社に合祀し社殿を造営し甲冑、太刀、田畑を寄進して篤く之を祀らしめた。天保年間、13代義基公、文武両道に秀で且つ敬神の念厚く甲冑、太刀、弓矢等を献じ別当寿宝院をして祭祀を一層減修せしめた。明治5年、村社に列せられた日枝神社と改構。明治41年12月16代亘理胤正氏より、山林2町歩を営繕料として寄進されるなど、城主の信仰、誠に深かりしものあり。現在の社殿は、皇紀2600年の記念事業として昭和16年に再建したものである。
~宮城県神社庁による~
四つ前の記事の愛宕神社の管理はこちらの日枝神社が行っているようです。
入り口は、気をつけないと通過してしまいそうになりました。
山に向かって進むと・・・
大きな朱色の鳥居が目立ち扁額は石でできています。
階段は結構きつかったですね。 旧階段は天然石で組まれていましたが、傷みが酷いようでコンクリートで上から覆ったようです。
狛犬は。オーソドックスな形なので敢えて触れませんでした。
境内社 右側のお堂には神輿が収められているようですね。
左の祠には小さな狛犬が・・・
これは?
御神木のようですね。
ここは、初代館主亘理元安斉元宗公廟 涌谷城主初代亘理安斎元宗跡
御祭神:主祭神 大山咋大神 合祀神:大歳神事代主神社大国主神/亘理元安斉元宗大人命
境内社:三峯山神社・黄金山神社御分霊・水神社・山王稲荷社・雷神社
忠霊殿:全国戦没者御英霊を祀る(四月二十五日例祭)
祭典日:例大祭十月十日 月次祭・毎月十日 歳旦祭・一月元旦 建国祭・二月十一日 新年祭・二月十七日
新嘗祭・十一月二十三日 他
由緒
天武天皇の御宇(680年頃)加護坊山が比叡山に似ている事から東比叡と称し、加護坊山頂に国家安楽寺を創建しその(鎮守)の守護神として山王大権現を勧請した。当社の御祭神であります大山咋命は、須佐之男神の御孫神にあたり、又の名を山末之大主神と申し、近淡海国の日枝の山に坐す神とされ、即ち、近江国の比叡山に鎮る山の神で、「くい」とは、山の樹木や田畑の五穀をグイグイと押して育てて下さる御神徳と指したものである。爾栄、治山治水、営農の守護神、武神、或は産神として、地方民衆の信仰篤く生活活動に限り無く崇敬を集めた。文禄3年(1594年)、涌谷初代館主、亘理元安斎元宗公歿するや遺骸を当社の麓に葬り5本の杉を植え廟宇とした。大正初期の暴風雨落雷等により風倒したので、現在は代木を植えてある。3代館主(1652年)定宗公は、大貫に池舘を構えて隠栖されたが、その子、宗重公(伊達安芸)は定宗公の御機嫌奉仕にこの険路な山王道路を通われた際に、祖元宗公の廟宇路傍にありては、その威霊を汚さん事を虞れ、当社に合祀し社殿を造営し甲冑、太刀、田畑を寄進して篤く之を祀らしめた。天保年間、13代義基公、文武両道に秀で且つ敬神の念厚く甲冑、太刀、弓矢等を献じ別当寿宝院をして祭祀を一層減修せしめた。明治5年、村社に列せられた日枝神社と改構。明治41年12月16代亘理胤正氏より、山林2町歩を営繕料として寄進されるなど、城主の信仰、誠に深かりしものあり。現在の社殿は、皇紀2600年の記念事業として昭和16年に再建したものである。
~宮城県神社庁による~
四つ前の記事の愛宕神社の管理はこちらの日枝神社が行っているようです。
入り口は、気をつけないと通過してしまいそうになりました。
山に向かって進むと・・・
大きな朱色の鳥居が目立ち扁額は石でできています。
階段は結構きつかったですね。 旧階段は天然石で組まれていましたが、傷みが酷いようでコンクリートで上から覆ったようです。
狛犬は。オーソドックスな形なので敢えて触れませんでした。
境内社 右側のお堂には神輿が収められているようですね。
左の祠には小さな狛犬が・・・
これは?
御神木のようですね。
ここは、初代館主亘理元安斉元宗公廟 涌谷城主初代亘理安斎元宗跡
チビの方が面白そう ♪
参拝者にはなかなか会えない、マニアックなところばかりです。
有名な大きな大社にも行きたいのですが、いつになることやら?
「明治41年建立の石造の大鳥居」が倒壊してしまい、同じ稲井石材で建て直そうとしたら高価すぎて、厚鉄板製赤色塗料仕上げで建立した、とありました。
多分、こちらも三角扁額で、倒壊したときに「辺」が欠けたのでは無いかと思われます。
石造りの鳥居が一般的ですが、あの震災で倒壊した鳥居もあちこちで見てきました。
色々な原因で倒壊してしまった鳥居も多いのでしょうね。
あの形から見ると三角が欠けた感じに見えますね。
最初に作った石工さんに聞きたいものですね。
ただのデザインだったのか、ある思いをもって作ったのか。 何月が経つと最初の理由が消えてしまい「かっこいいから」・「いま流行だから」・「高価な価値があるから」 と根本的な理由が消えてしまうことがあります。
当時の石工さんに聞きたいものです。