ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

涌谷神社(伊達安芸宗重公)

2015年10月08日 13時56分24秒 | 宮城の散歩道(仙台を除く)
久しぶりに足を延ばしました。
ここは、涌谷城址に隣接し、伊達安芸宗重を祀る神社です。

●鎮座地 🏣987-0121 宮城県遠田郡涌谷町涌谷字下町7
●祭神  伊達安芸宗重公

由緒書きによると伊達安芸宗重公は涌谷伊達亘理氏第4代の館主である。
仙台藩伊達氏の一門として2万3千石を領し、治世20年文武を励み野谷地の開発に力を尽くし産業の復興につとめた名君である。
江戸時代の寛文年中仙台藩主綱村公幼君のため後見伊達兵部の独裁政治を憂い悪人はびこる後見政治の打倒をはかり仙台藩62万石の安泰を期した大人物である。
涌谷領二郷谷地をめぐる不正を証拠として江戸幕府に上訴、寛文11年(1671)3月27日大老酒井忠清屋敷の裁判において乱心した家老原田甲斐の内刀に歿した。
享年57歳、昭和2年11月正五位を贈られている。
明治7年旧館址に神社を創建して公を祀る神号を赤心猛雄命と称する。
大正9年旧物見台に神明造の新社殿が竣工して今日に至る。 もと郷社である。







この場所は中世の涌谷城の本丸だった場所で、城の中では1番の高所で藩政時代には物見台となっていました。伊達安芸宗重公の菩提は城下町にある見龍寺に葬られ霊屋は宮城県重要文化財に指定されています。

上記由緒に記載されている事件は伊達騒動や寛文事件と言われています。
私も記事にしていますがホームページに纏めています。 下記にリンクしました。

伊達騒動(寛文事件)http://sanpomichi114.web.fc2.com/datesoudou.html

これが伊達安芸宗勝の胸像です。猫に睨まれました。

宗重が見つめている方角は仙台城です。「伊達家は自分が守る」と強い意志を感じます。




外千木ですね。一般的に外千木は男性神と言われています。絶対ではありませんが・・


太鼓は年期を感じますね。 あの模様は九曜門でしょうか?



久しぶりの狛犬です。





目は金色に塗られていますね。


今どきの神社は既製品のような形ばかりでつまらないのですが、ここはオリジナルですね。

トンボがわんさかいましたよ。






次は涌谷城址に行きます。

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2 コメント

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お晩なりしたぁ (雨漏り書斎主人)
2015-10-09 22:16:39
なかなか立派なお顔ですねぇ

伊達安芸 と聞くと つい 樅ノ木は残った を連想してしまふ拙ですぅ


狛さまサーヴィス だうも ありがとうござんす。
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雨漏り書斎主人さんへ (ひー)
2015-10-10 19:25:04
久々の狛犬でした。最近あまりにも小さな社ばかりで狛犬が居なかったりして・・・
原田甲斐関係も行きたいのですが、腰が重いようです。

地元の若者でもこの事件のことを知る人はいません。
ちょっと寂しいですね。
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