ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

仙台の夜:横丁今昔物語/名掛丁

2008年12月12日 12時49分36秒 | 仙台・宮城今昔物語
昭和40年

先日、職場の仲間と忘年会と言うこともあり、チョット早めに出てぶらぶら歩きながら、国分町へ向かいました。
まずは、知る人ぞ知る名掛丁センター

オッ!看板綺麗になってる

名掛丁は仙台藩の組士たちの屋敷跡が、商店街に変わった町です。
以前にも述べましたが「丁」は侍「町」は町人街ですね。
藩士の身分は、一門・一家・準一家・一族・宿老・着座・太刀上で門閥七等と言われました。
※「閥」は門柱に掲げて家格を示す札
門閥以下には、大番士・組士・卒・の三等があった。
この中の組士は「御名懸組」とも呼ばれ百十一家あったそうです。
名掛丁はこの組士の町で、城から見ると大町・新伝馬町の町人町の後ろ側で東を守る意味もあったのでしょう。

裏道をそのまま進むと・・・・また路地が・・・・



中へ進むと・・・・・・



次は東一市場・化け物横丁・一番丁・虎横

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30 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
丹治さんへ (ひー)
2008-12-15 09:22:35
今日はいい天気ですね。
「ないじゃなし」あるか無いか?と言えば「ある」ですが、「無いわけでは無い」とすれば「あることはありますが」でしょうから。
条件次第でどうにでもなるよ!と言うところですかね。
長町は確かに街道筋でいろいろな人が往来しました。とありますから微妙に違うのかもしれませんね。
高校の時に仙南の人の言葉は、全くアクセントが違っていたことに驚きました。
まぁ、県北は県北でいまだに独特の言い回しと言うかアクセントもですが、方言が強いです。
祖父祖母が同居してると方言が伝承されてますね。
街場の子は転校生も多く、方言は見られなくなりました。
ところが、変な日本語を話すようになりましたがね。
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ないじゃなし (丹治)
2008-12-15 08:46:39
御城下の北の足軽屋敷は小田原でしたか。「聞いたことがある」と思いながら、どうしても思い出せませんでした。ひーさん、有難うございます。

もう一つ例を思い出しました。

「八つとや、やさしい心もないじゃなし、桂の浜に鳴く千鳥」

旧制高知高校の『豪気節』の一節です。この「ないじゃなし」は「ある」の言い換えでないと意味が通じません。

だとすると、日本語の二重否定は、少なくとも「ないじゃなし」は、「ある」と「ない」の二通りに取れるということでしょうか。

曽祖父の出身は国見だか藤田だか・・・福島市の郊外だったと聞いた覚えがあります。

祖父は仙台生れでしたが、「長町と(いわゆる)仙台では言葉が違っていた」と言っておりました。当時の長町は御城下ではなくて奥州街道の宿場町だったそうですね。そういえば東京だと品川や内藤新宿、千住も江戸の御城下ではなくて宿場町だったとか(初めて聞いたときは実に意外に思ったものです)。

同じ城下町でも武家屋敷と町人町とでは話す言葉が違っていたそうですから(階層方言というのだそうです)、広瀬川の南と北で話す言葉が違っていたというのもうなずける話です。

今日も晴れましたね。職場から見える朝日にキラキラ輝く太平洋が綺麗です。今日も一日頑張ります。
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あーさんへ (ひー)
2008-12-14 22:23:13
そうだ! すみません!
ナカケチョウです。
心配りがたりませんでしたね。
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おはっ (あーさん)
2008-12-14 10:21:41
拙には無縁の地域ですナ ww
でも、 ナガケor ナガカリ
  読み方が気ガカリです ww
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丹治さんへ (ひー)
2008-12-13 21:30:22
今日は、仕事なので携帯からです。
最初の話し忘れそう…
そうそう、京都先斗町!初めてあの町を見たときは感動しましたね~ここが先斗町かと内心喜びましたよ。
それが、アリストテレス……修辞学に繋がるとは、勿論、修辞学など習うわけもないのですが、古来から枕詞や文章を作るうえで、言葉の美として使われてきたのかもしれませんね。
日本の辞典にはありますがドイツの辞典には無かったわけですね。
福田町にも足軽屋敷がありましたか~
小田原辺りにはあったようですが…
いずれにせよ、塩釜・松島も伊達家には重要な拠点でしたからね。
しかし、昔の往来は仙塩街道…今の岩切あたりから山王~浮島~塩釜ですね。
今一橋経由かな?
ちょっと宿題にさせて下さい。
確かに岩出山は息子ですね。やはり門閥はお金じゃなくて名誉なのかも知れませんね。
曾祖父は福島出身ですかぁ市内ですか?自分も調べましたが、本家には小さい頃しか行ったことが無く、若い頃親父に聞いて記録したのが家にあります。確か祖父を入れて5代か6代上までしかわかりませんでした。
柔の真極流を含め、お爺さんに色々聞いておけば良かったと嘆いてる次第です。
紫桃正隆先生の御冥福を祈ります。
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酔漢さんから聞きました (丹治)
2008-12-13 15:02:56
おお、ひー様には松竹梅を御存じでいらっしゃいましたか。仙台薬局となりの「らくだ」にジャンジャン横丁二階の「もが」・・・御世話になった店が次々と閉店して淋しい思いをしておりましたが(時に自分が貧乏神か厄病神じゃないかと思えて仕方ないことがあります)、今はこの松竹梅に安住の地を見つけました。あそこのカウンターで横山光輝の三国志を読みながら飲んでいる客、お店のお姐さんと猫の話で盛り上っている客、大学生ぐらいの若い後輩たちと方言丸出しでゲラゲラ笑いながら飲んでいる客がいたら、それが丹治であります。

ところで現在の修辞学では、二重否定は肯定の言い換えですね。ところが中世のドイツ語では、否定は何回繰り返しても単なる否定だったのです。そして現代日本語でも。「雪に変りはないじゃなし」・・・「ないじゃなし」を「ある」の言い換えと取ったら「富士の高嶺と京都先斗町では降る雪が違う」・・・これじゃ「とけて流れりゃみな同じ」とは参りませぬ。中世ドイツ語と『お座敷小唄』の妙な共通点に気づいた丹治であります。

高校の地理の時間に「福田町は藩政時代の足軽屋敷があった所」と聞いたことがあります。奥州街道の北の方にも同じような所があったとも仙台の御城下の守りと言う意味があったんでしょうね。御譜代の町人町の外側に名掛丁。町人町を守るというのもうなずけます。

それと門閥の家格ですが、禄高とは関係なかったそうですね。肝腎なのは伊達の本家との親疎だということでしょうか。

岩出山の伊達家は、登米や涌谷のように家臣が伊達の姓を許されたのではありません。政宗の末子の系統で、いわば一門も一門。それが一家の白石片倉家よりも禄高は小さかったと思います。宮床の伊達家など、石高で言えば千石あるかないかだったと思います。

片倉、茂庭、西大立目、下郡山、石母田、田手、国分、留守・・・宮城には一目で伊達の家臣の家柄と分る姓がたくさんありますね。これも江戸時代を通じてお殿様が動かなかったからです。因みに小生の家は、曽祖父の代に福島から来た流れ者。曽祖父よりも先には系図をたどれません。ハハハ・・・

つい先日、郷土史家の紫桃正隆さんがなくなられました。小生、紫桃さんの著書を愛読しておりました。心から御悔み申し上げたいと思います。
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ミモザさんへ (ひー)
2008-12-13 14:01:26
ミモザさんに裏道は似合いませんよ。
どうぞ、メインストリートを歩いて下さい。
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路地裏は知らなくて・・・ (ミモザ)
2008-12-13 07:56:38
お早う御座います~♪
名掛丁は知っていますし行った事もありますが、その裏路は知りませんでした。
それに藩士の身分とかもよく分からなくて、
( ..)φメモメモしておきました。
いろいろ教えて頂き有難う御座いますm(__)m
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くじらさん、いやぐずらさんへ (ひー)
2008-12-13 07:31:03
おにく!食べたい!
商品には、鯨としか表記してないんだよね。
ベーコンも割高で買ってもらえません。
どうも安いとイルカのような気がしてね~
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くじら! (ぐずら)
2008-12-13 00:36:43
うぅぅ~!喰いてぇ~!

オイラが子どもの頃は、生なら味で区別できたんだぜぇ~!(ほんとだよ♪)
鯨の美味しいランクゥ~!
栄えある№1は「イワシクジラ」(「尾の身」最高~♪)、次いて「ナガスクジラ」「セミクジラ」「シロナガスクジラ」「マッコウクジラ」「ザトウクジラ」の順だな。
ちなみに「ゴンドウ」「スナメリ」はクジラとは認めません、あれはイルカの類いだでば・・・
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酔漢さんへ (ひー)
2008-12-13 00:04:05
いつもスーパーに買い物に行くと「鯨刺身用」が五百円台であるのですが、ついついパスしてしまいます。
今度はやっぱり買います。
食いたくなりました。
でも最近は、イルカもありえるので気をつけないと。
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クロンシュタットさんへ (ひー)
2008-12-12 23:59:43
あの仙石線の地下道を抜けると丸光があって、都会だな~って感じました。
仙石線の東口とホームの写真を見つけました。懐かしいです。
いづれ・・・・・
♪京都ぽんと町にふる雪も~ あ。それ~
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しまった!松竹梅だ! (酔漢です )
2008-12-12 23:58:13
丹治氏との飲み会。
ここでス!
鯨が旨い!
鯨の刺身を昨年9月一人で6皿喰っちまった!
(ここぞとばかり食いだめの貧乏症?)
「丹治先生と一緒にいた鯨好きなのん兵衛」は
「酔漢」でした!
この店の「鯨の竜田揚げ」は絶品!お試しあれ
しっかり「面」ばれてます(汗)
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雪にかわりはないじゃなし (クロンシュタット)
2008-12-12 22:46:17
そうそう、このあたりにアーケードが出来たのは遅めだったのでしたね。
初めて一人で下馬から仙台に出かけたのは、昭和43年か44年でした。
丸光デパートを覗いただけで、あっという間に仙石線で帰宅してしまいました。

地元吉祥寺はシャッター「上げっぱなし」の街です。それもなんだかなー。
富士の高嶺に降る雪も~と、きたもんだ・・・
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虎龍さんへ (ひー)
2008-12-12 22:42:30
昔のイメージで歩いたのですが、どこも改装が進み、あばら家は、ビルになり時代は変わりつつありますね。

明日も続きます。
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はーさんへ (ひー)
2008-12-12 22:39:06
お座敷小唄は、私の子守唄でした。
ノンベイの親父は、仲間を連れて狭い借家で夜な夜な呑んでまして、お座敷小唄を聴きながら寝たものです。
アカペラで全部歌えますよ。
はーさん16歳で結婚ですか~???
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Unknown (虎龍)
2008-12-12 22:35:15
いい雰囲気ですね^^
なんだかわくわくしてしまいました^^
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ぐずらさんへ (ひー)
2008-12-12 22:33:23
朝日屋は2階になってたね。
あのおんぼろの時数回行ったかな?
よく値段おぼえったね!
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桃源児さんへ (ひー)
2008-12-12 22:30:35
そうなんです。メインストリートの裏側はこんな感じで、昭和の空気が漂ってます。
哀愁があるんですよね~
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オズさんへ (ひー)
2008-12-12 22:28:14
上高地でバイトしてました。
フルーツパフェやナポリタン・・・サンドイッチなど作ったものです。マヨネーズなんかも手作りでしたね~
明日の記事も今書き上げました。
朝にでもUPして出勤します。
お楽しみに・・・!
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維真尽さんへ (ひー)
2008-12-12 22:23:59
やはり、そちらもですか・・・
ここは仙台ですからまだ人がいますが、近隣の町は、お手上げですよ。
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papieeさんへ (ひー)
2008-12-12 22:22:08
今は改装されて綺麗になりました。
牛タンや焼き鳥など、なかなか味のある店がありそうですよ。
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モコさんへ (ひー)
2008-12-12 22:19:55
最近シャッター通りが増えましたね。
チョットはずれの町はどこもシャッターが降りてます。
悲しいですね。
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Unknown (はー)
2008-12-12 22:04:28
昭和40年わたしの結婚した年です~
白黒写真も懐かしい~
お座敷小唄が流行ってましたけれど~
お若い皆さん ご存じないかもですね?
カラオケの流行は何時頃でしたかしら?
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むこうのアーケードは (ぐずら)
2008-12-12 20:43:59
新伝馬町の入口だな・・・
朝日屋も今じゃりっぱなビルになって、一階に路地までできてるけど、
昔は床の傾いた木造二階建ての安酒場で、店員が柔道専門学校のむさい兄ちゃんたちだったっけなぁ~。
たしか、昭和53年頃で冷奴(豆腐半丁)50円、5合の大徳利600円ぐらいだったかなぁ~
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Unknown (桃源児)
2008-12-12 20:02:25
正に夜の町という感じですね。おっと、丁だった。
名掛丁、どことなく昭和の香が残っているように感じます。
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懐かしい (オズ)
2008-12-12 19:31:52
40年と言うと、まだ小学生かなー
それにしても、懐かしい風景です。
上高地って喫茶店だったかしらねー
何か行った記憶があります。
組士が住んでた所が、時代を経て
にぎやかな町になり、そこにひーさんが闊歩してる、
タイムスリップしたかのようですね・・・
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飲み屋街~ (維真尽(^^))
2008-12-12 19:25:55
人出はいかがでしょ~か?

こちらは~
閑古鳥が鳴いているよ~です
まあ~
いまは忘年会シ~ズンですからいいのでしょう~が (^^ゞ
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初めて (papiee)
2008-12-12 17:50:33
路地入るとこんな感じになってるんですね~!
初めて見ました!!
昔ながらの雰囲気タップリですね。
穴場な感じで行き着け作ってみたいな!

火事になったら大変!と
チラリと思ってしまいました・・・。
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飲み屋街みたいですね (モコ)
2008-12-12 17:34:22
綺麗になっていますね
賑やかなんでしょうねぇ~
私達の商店街はシャッターが下りて閑散としています
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