日枝神社
所在地地:宮城県栗原市金成中町22番
ここを訪れたのは、3月27日水沢の江刺藤原の郷の帰りでした。
そもそも目的地ではなく、最初は、炭焼藤太(すみやきとうた:義経を平泉に案内した金売り吉次の親)の墓を探しに行ったのです。
ところが、地図を持って行かなかったので、迷いながらウロウロしている時に、私の目に古い狛犬が飛び込んできたのです。
この狛犬を見たときは、感動でしたね。
なんとなく、バランス悪い形と侵食してしまった顔・・・・それも狛犬らしからぬ顔立ち・・・・。
奥州街道沿いに鎮座するこの神社については、あまり詳しい史料は無いようです。
年齢不詳・・・・江戸後期か? 桃山から江戸初期の可能性も・・・・?
枝振りのいい松が・・・
社殿は奥州街道(国道4号線[旧道])から少し奥まっていた。
扁額が「日吉宮」となっていますが、昔は「山王神社」と呼ばれていたようです。
おそらく日吉大社の山王権現を勧進したと思われます。
また、日吉は「ヒエ」とも読むそうで、そのために「日枝神社」と呼ばれているのかもしれません。
昨日訃報あり、九十六歳の大往生・・・コメ遅れます
所在地地:宮城県栗原市金成中町22番
ここを訪れたのは、3月27日水沢の江刺藤原の郷の帰りでした。
そもそも目的地ではなく、最初は、炭焼藤太(すみやきとうた:義経を平泉に案内した金売り吉次の親)の墓を探しに行ったのです。
ところが、地図を持って行かなかったので、迷いながらウロウロしている時に、私の目に古い狛犬が飛び込んできたのです。
この狛犬を見たときは、感動でしたね。
なんとなく、バランス悪い形と侵食してしまった顔・・・・それも狛犬らしからぬ顔立ち・・・・。
奥州街道沿いに鎮座するこの神社については、あまり詳しい史料は無いようです。
年齢不詳・・・・江戸後期か? 桃山から江戸初期の可能性も・・・・?
枝振りのいい松が・・・
社殿は奥州街道(国道4号線[旧道])から少し奥まっていた。
扁額が「日吉宮」となっていますが、昔は「山王神社」と呼ばれていたようです。
おそらく日吉大社の山王権現を勧進したと思われます。
また、日吉は「ヒエ」とも読むそうで、そのために「日枝神社」と呼ばれているのかもしれません。
昨日訃報あり、九十六歳の大往生・・・コメ遅れます
狛様、かなり年季が入っていますね。顔が摩滅しているのが歳月の重みを感じます。
大往生、そうですか。
これから、大変でしょうね。
狛様も江戸期でしょうね
鳥居も補修の跡が・・・
96才ですか 年に不足はないけれど
お愁傷様です
狛ちゃんの磨耗ぶりは、中国西域での「偶像崇拝禁止」による破壊を受けた仏像のようです。
爆破されたバーミヤンの巨大仏像とかですね。
飾り彫りを見ていたら、中学生のときの図画工作の授業を思い出しました。
自由に作っていいと言われたので、唐草の透かし彫りを作ってしまったのです。渋いよなー。
大往生とのこと。心より哀悼申し上げます。
鎮座してるなんて、
時代をワープした気分になりますね。
狛犬さんの表情に、長い歴史の軌跡が物語っていますね。
今の時代を何と思ってみてるのでしょうかね~
どなた様でしょうか大往生されたのは・・・
ご冥福をお祈りいたします。
最後の方の画像にあるような建物の屋根下に作られてる木製の動物の彫り物ってどこのを見ても見事ですよね。昔の人の技術って凄いなー!
不幸があったのですね。謹んでお悔やみ申し上げます。
それだけ年季が入ってるんでしょうね
96才の大往生ですか
御冥福をお祈りします
伝説は、同じ様な話があちこちにありますよね。
ここに実在したと言う証拠が出てきたために、沸いた時期がありましたよ。
この神社は、通りすがりだったのですが、意外な収穫でした。
この近くに義経の墓がありますので、いずれ行く予定です。
私は、アップした時に気付きました。
年代不詳も気になるものですね。
普通は、肩に筋肉がついて逞しいのですが、ここのは骨が出ていると言う感じですかね。ww
普通中学生が透かし彫りなんか考えませんよ。
セイゼイ、、東京ぼんたの唐草模様でしょう。w
当たり前のことですが、時間は繋がっているとと言うことですね。
そこに、思い出や記憶が重なり、想像するだけで楽しい・・・
亡くなられたのは、妹の義理の祖母になります。
大正生まれ・・・太平洋戦争を女手一つで乗り越え、子供を育て・・・・大和撫子ですかね・・・?