ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

南三陸町・津波震災から8ヶ月

2011年11月01日 21時06分42秒 | 東日本大震災
震災前にここを訪れたのは、2010年11月20日のことでした。
あの3.11から4ヶ月前のことです。 それも因縁なのか津波避難の看板について取材をしていたのでした。

震災があってから何度も南三陸町の被害の状況や津波の様子をTVや動画で見てきましたが、その凄まじさに恐怖でもありました。

約8ヶ月経ち自分も少し落ち着いてきたので、本日向ってみました。

ところが、まだ海には遠いはずなのに、川の横を走る道路のガードレールがくにゃくにゃに曲がっています。
津波が川を遡って来たのでしょう。

パッ!と街が開けたかと思うと、何も無くなっていました。 言葉が出ませんでした。








途中の山には潰れた自動車がぎっしりと並んでいました。








命を救う消防署や病院は・・・







そして気になる場所・・・津波避難の看板があったところを探しました。

しかし、目標物は無く唯一覚えていたのが坂道の下です。

坂があったので行ってみました。

昨年の写真です。看板が立っている台座のコンクリートを見て下さい。







・・・・・現在・・・・・



長い木の柱2本で津波の小さな看板がありますが、根元の金具らしいものだけコンクリートで押さえられていたようです。



無残にも周囲の建物は一切ありません。  残念です。




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10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
凄まじいですね (維真尽(^^♪)
2011-11-01 21:16:45
なんといっていいのか
言葉がありません

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おばんです (ほでなすいっく)
2011-11-01 23:01:04
南三陸は昭和のチリ地震津波があったとこだから
津波対策はバッチリのはずだったのに

本当に言葉が出てきません
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維真尽さんへ (ひー)
2011-11-02 07:36:38
建設機械やダンプ等が多く行きかっていましたが、本当に少しずつしか復旧できないのが現実ですね。
何十年もかかるでしょう。
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ほでなすいっくさんへ (ひー)
2011-11-02 07:39:37
地球規模で見れば、街や人は玩具みたいなものなのでしょうね。
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未だに (酔漢です)
2011-11-02 07:50:35
言葉が出ません。
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酔漢さんへ (ひー )
2011-11-02 18:02:59
町は消えてしまいました。
想い出も財産も命も・・・・

人間なんて所詮弱いものなのですかね。

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お晩です (あーさん)
2011-11-02 22:37:30
改めてTSUNAMIの恐ろしさを・・・

早く復興することを願うのみです <(_ _)>
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あーさんへ (ひー)
2011-11-03 15:38:53
かなり撤去されてさっぱりしていますが。
もう少し残っていると思いました。
もう少し写真を撮ってくれば良かったのですが、震災前の写真で残っていたのは、坂道の上の茶色の建物だけでした。
建設機械が活躍していますが、見ていると一日やってもわずかしか出来ないことがわかります。
とても時間がかかりそうですね。
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切ないです。 (ハム姉さん)
2011-11-03 16:52:12
自然の怖さを思い知らされました。
写真見てると涙が出てくるね。
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ハム姉さんへ (ひー)
2011-11-03 20:07:07
いぜんの様子を知ってるだけに、苦しくなります。
どうしても行きたいところが3~4箇所あります。
「こんにちわ~」と通りすがりに挨拶をしてくれた中学生は元気なのか??調べることは出来ませんがその場所に行ってみたいのです。
児童108名中70名が死亡、4名が行方不明になった大川小学校の近くです。
あの街は今どうなのか? 気になっています。
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