小倉神社
後程平家落人伝説の中で出てくるかも知れませんが先行して紹介しておきます。
鎮座地:大倉字宮前一
祭 神:天照皇大神・大己貴神(おうなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
天水分神(あめのみまくりのかみ)・饒速日尊(にぎはやひのみこと)
旧社格:村社(明治8年3月)
由 緒
平家の一族であった筑後守貞能(平貞能=さだよし)が奥州に来たり、現在の宮城県大倉に留まりましたが、この地に隱棲されるや平家一族が尊崇したあらたかな神社であった、かの山城国乙訓(おとくに)郡に鎮座します式内社小倉神社の分霊を勧請して厚く祀ったと伝えられていますが、その年月は明らかになっておりません。
その後、天正年間に当地の豪族大倉蔵人信成(おおくらくらんど?)が武運を祈願して社殿を改造し篤く祀ったといいます。天正十九年(1591)に大倉家十三代の重忠が佐沼の役に戦死し、大倉家が衰亡するまで本社を篤く尊敬したものと見られる。
昭和37年改修築
ここでは、平貞能が筑後守となっていますが、確か肥後とか筑前だったと思い調べましたら、鎌倉幕府以前、平安時代から鎌倉時代初期にかけては、筑前守及び筑後守を同様に扱われたとありました。
山城国乙訓郡の小倉神社は京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83 に鎮座します。
ちなみに、祭神は武甕槌神・齋主神・天兒屋命・比賣大神です、違うのがチョット気になります。
左阿形 右吽形
先輩狛犬ですが、年代不詳・・・・巻き毛は見れませんね。
若狛様です 左吽形子取り 右阿形玉取り
鐘楼がありました
何やら文字が・・・ 義経・・常盤・・・平家武将筑後守の文字が見えます。
後程平家落人伝説の中で出てくるかも知れませんが先行して紹介しておきます。
鎮座地:大倉字宮前一
祭 神:天照皇大神・大己貴神(おうなむちのかみ)・少彦名神(すくなひこなのかみ)
天水分神(あめのみまくりのかみ)・饒速日尊(にぎはやひのみこと)
旧社格:村社(明治8年3月)
由 緒
平家の一族であった筑後守貞能(平貞能=さだよし)が奥州に来たり、現在の宮城県大倉に留まりましたが、この地に隱棲されるや平家一族が尊崇したあらたかな神社であった、かの山城国乙訓(おとくに)郡に鎮座します式内社小倉神社の分霊を勧請して厚く祀ったと伝えられていますが、その年月は明らかになっておりません。
その後、天正年間に当地の豪族大倉蔵人信成(おおくらくらんど?)が武運を祈願して社殿を改造し篤く祀ったといいます。天正十九年(1591)に大倉家十三代の重忠が佐沼の役に戦死し、大倉家が衰亡するまで本社を篤く尊敬したものと見られる。
昭和37年改修築
ここでは、平貞能が筑後守となっていますが、確か肥後とか筑前だったと思い調べましたら、鎌倉幕府以前、平安時代から鎌倉時代初期にかけては、筑前守及び筑後守を同様に扱われたとありました。
山城国乙訓郡の小倉神社は京都府乙訓郡大山崎町円明寺鳥居前83 に鎮座します。
ちなみに、祭神は武甕槌神・齋主神・天兒屋命・比賣大神です、違うのがチョット気になります。
左阿形 右吽形
先輩狛犬ですが、年代不詳・・・・巻き毛は見れませんね。
若狛様です 左吽形子取り 右阿形玉取り
鐘楼がありました
何やら文字が・・・ 義経・・常盤・・・平家武将筑後守の文字が見えます。
周りは~住宅街?
田んぼです~か?
手入れされてる神社ですね (^_-)~☆
ここまでの道は追って記事にしたいと思います。
おっと、詳しいことは今後の展開を待ちましょう。
祖谷渓とか湯西川とか、温泉とセットになった平家の里には出かけましたよ。
御即位に式年遷宮。神様の世界は慶事が多くてうらやましいです。
顔が摩滅した狛様、歴史を感じます。
梵鐘に義経や常盤の名前、東北らしく感じます。
奥まった山の中ですね。あの伴家は平家の平をもじって伴にしています。つまり、右側の半の下の横棒を上につけると平になります。人偏ですから平の人となりますね。
平家であることを隠したのです。
勿論、声を出す鶏や犬を飼うことはダメでした。また幟をあげることも人家の存在を知らしめるので御法度です。
だから、鯉のぼりをあげる習慣もないようですよ。
隠れて住むのは大変だったのですね。
元は京都の神社でありますが、知らなかった時は、筑前守であることから小倉「こくら」から名前をとったのかと思いました。
若狛様がりりしいですね~♪
先輩狛ちゃんが面白い顔してますね
鐘の常盤って義経の母上でしたっけ??
48号線の近くで、義経とだったかな?
チョット忘れましたが、源氏と平家が仲良く酒を飲んだ話があります。
後で詳しく話します。