ヘ~と思う話は沢山あるのですが、割愛しながら進めます。
オオクニヌシはオオナムチ・ウツクシタマ・アシハラシコオ・ヤチホコ・オオモノヌシ・など多くの名前を持っていた。
つまり、オオクニヌシは代名詞で十七代に渡り何人もいた。
上記の名前も実名ではない。
クナトノ大神も、五十代と伝えています。
ちなみに、オオクニヌシが「大黒様」、コトシロヌシが「えびす様」になったのは平安末期のことで、出雲は平田市鰐淵寺(がくえんじ)が一時、大社を領有し本地垂迹(すいじゃく)説から、七福神の一人として仕立てあげたのです。
諏訪に出雲第二王朝を築く
タテミナカタは服従を好まず、越へ後退。
母方(高志のヌナカタ姫)の勢力をバックに信州へ入り、第二王朝を築いた。
ミナカタは科野(しなの)に乗り込み、テナガ、アシナガ族や守矢(洩矢)の神などを征服する勝利者として描かれている「日本第一大軍神」とされたのはこうした理由からでしょう。
出雲国風土記に名前が出ていないためミナカタを出雲系ではないとする人がいるが、この神の正式名はタテミナカタノトミノ命である。
神社名はミナカタトミ神社。
蛇神として崇められ御神(おみ)渡り神事では氷が裂けるのを「竜が走る」という。
御神体は鎌で、これは神魂神社や出雲大社の御神体の釜に出雲の鉄器を象徴するミナカタを祀る上の社は、拝殿と幣殿だけで本殿を持たない。
彼方の神聖林が本殿に相当する。
この形は、オオモノヌシを祀る、大和の大神神社と同じであり。
出雲系以外のなにものでもない。
記紀によると、ミナカタはタケミカヅチに追われて、諏訪湖に至り、そこで降伏したことになっている。
しかし、富家の伝承にミカヅチは、登場していない。
それは鹿島神は当時存在していなかったからである。
この神を奉じたのは、太安麻呂を出した多氏一族である。
一般に鹿島神はミカヅチではなく、タテカシマだろうといわれている。
鹿島神宮の社殿内陣の構造は出雲大社とそっくりでクナトノ大神も摂社に祀られている。
隣の香取神宮も(フツヌシが祭神)では、出雲の「亀甲」を神紋としている。
記紀においての操作を謀った藤原不比等の話は、私も何度か目にしている。
やはり、この本の中にも記されている。
ミカヅチを記紀において活躍させたのは多氏系の人々と藤原不比等である。
ミカヅチには神武天皇の投影が感じられる。
富氏の伝承には、藤原氏は帰化人だとある。
彼等には氏素姓を高める為にどうしても天つ神の系譜が欲しかったようだ。
最初は天ノコヤネノ命を祖神だとし、次にタケミカヅチを担ぎだしたのだという。
中臣氏(藤原氏)の祖神は天ノコヤネとされる。
ところが奈良の春日大社では、第一殿にミカヅチ、第二殿にフツヌシ、第三殿にコヤネ、第四殿にヒメ神を祀っている。 コヤネのランクは低い。
神魂神社の秋上氏は言う。
「天ノホヒの祖神は天ノコヤネである」
執筆時:今上天皇は、124代(現在は125代)、秋上氏は120代、大社社家の千家氏は83代だ。
千家氏は40代ほど少なく、勘定が合わない。
このズレはホヒの上にツハヤムスビノ神・・・・天ノコヤネ系を加えれば埋まるのです。
社家では、祖神のコヤネを藤原氏に奪われたがその権力に抵抗できず。黙認したのかも知れない?
藤原氏はコヤネを祖神としたが、さして重要な役割を演じた神ではなかったので不安を感じ、さらにミカヅチ手を伸ばしたのだ。
鹿島神宮の宮司、東(とうの)実氏は「いつの頃か東国へやってきた中臣氏が鹿島神の神系と婚姻関係を結びやがて鹿島神宮の宮司となりこの神を崇めるようになったのだろう」
鹿島神と藤原氏は本来関係がない。
ミカヅチは作り出された神であり記紀に載せられたことにより、鹿島神宮も後生タケミカヅチを祭神にしたに過ぎない。
著者は以下の理由から藤原氏を中国系と考えている。
● 中臣氏は大陸系の亀トを職とした。
● 小説家の八切止夫氏は、藤=原で、古くは藤原ではなく「藤」と称した。
事実藤原不比等の娘、光明皇后は「藤三娘」と署名している。
● 藤原氏の専用紋の「牡丹」は中国の国花である。
● 香川県大川郡にある志度寺の縁起と縁起絵図(海女の珠とり伝説)によると不比等の妹の一人は、唐の 国の高宗皇帝の妃だという。
● 不比等は壬申の乱時に、漢王の後裔という田辺史(ふひと)に預けられていた。
名前の史(ふひと)はフヒトからもらったものだ。
幼名をカラコといい曽我氏についていた。
● 藤原氏と秦の始皇帝の後裔の秦氏は数多くの婚姻関係を結んでいる。
● 藤原氏は中国文化思想の流人につとめ、五節句をはじめとするもろもろの年中行事をも取り入れ、
それを従来の行事に当てはめていった。
次で終了しようと思います。9話はこちらから
オオクニヌシはオオナムチ・ウツクシタマ・アシハラシコオ・ヤチホコ・オオモノヌシ・など多くの名前を持っていた。
つまり、オオクニヌシは代名詞で十七代に渡り何人もいた。
上記の名前も実名ではない。
クナトノ大神も、五十代と伝えています。
ちなみに、オオクニヌシが「大黒様」、コトシロヌシが「えびす様」になったのは平安末期のことで、出雲は平田市鰐淵寺(がくえんじ)が一時、大社を領有し本地垂迹(すいじゃく)説から、七福神の一人として仕立てあげたのです。
諏訪に出雲第二王朝を築く
タテミナカタは服従を好まず、越へ後退。
母方(高志のヌナカタ姫)の勢力をバックに信州へ入り、第二王朝を築いた。
ミナカタは科野(しなの)に乗り込み、テナガ、アシナガ族や守矢(洩矢)の神などを征服する勝利者として描かれている「日本第一大軍神」とされたのはこうした理由からでしょう。
出雲国風土記に名前が出ていないためミナカタを出雲系ではないとする人がいるが、この神の正式名はタテミナカタノトミノ命である。
神社名はミナカタトミ神社。
蛇神として崇められ御神(おみ)渡り神事では氷が裂けるのを「竜が走る」という。
御神体は鎌で、これは神魂神社や出雲大社の御神体の釜に出雲の鉄器を象徴するミナカタを祀る上の社は、拝殿と幣殿だけで本殿を持たない。
彼方の神聖林が本殿に相当する。
この形は、オオモノヌシを祀る、大和の大神神社と同じであり。
出雲系以外のなにものでもない。
記紀によると、ミナカタはタケミカヅチに追われて、諏訪湖に至り、そこで降伏したことになっている。
しかし、富家の伝承にミカヅチは、登場していない。
それは鹿島神は当時存在していなかったからである。
この神を奉じたのは、太安麻呂を出した多氏一族である。
一般に鹿島神はミカヅチではなく、タテカシマだろうといわれている。
鹿島神宮の社殿内陣の構造は出雲大社とそっくりでクナトノ大神も摂社に祀られている。
隣の香取神宮も(フツヌシが祭神)では、出雲の「亀甲」を神紋としている。
記紀においての操作を謀った藤原不比等の話は、私も何度か目にしている。
やはり、この本の中にも記されている。
ミカヅチを記紀において活躍させたのは多氏系の人々と藤原不比等である。
ミカヅチには神武天皇の投影が感じられる。
富氏の伝承には、藤原氏は帰化人だとある。
彼等には氏素姓を高める為にどうしても天つ神の系譜が欲しかったようだ。
最初は天ノコヤネノ命を祖神だとし、次にタケミカヅチを担ぎだしたのだという。
中臣氏(藤原氏)の祖神は天ノコヤネとされる。
ところが奈良の春日大社では、第一殿にミカヅチ、第二殿にフツヌシ、第三殿にコヤネ、第四殿にヒメ神を祀っている。 コヤネのランクは低い。
神魂神社の秋上氏は言う。
「天ノホヒの祖神は天ノコヤネである」
執筆時:今上天皇は、124代(現在は125代)、秋上氏は120代、大社社家の千家氏は83代だ。
千家氏は40代ほど少なく、勘定が合わない。
このズレはホヒの上にツハヤムスビノ神・・・・天ノコヤネ系を加えれば埋まるのです。
社家では、祖神のコヤネを藤原氏に奪われたがその権力に抵抗できず。黙認したのかも知れない?
藤原氏はコヤネを祖神としたが、さして重要な役割を演じた神ではなかったので不安を感じ、さらにミカヅチ手を伸ばしたのだ。
鹿島神宮の宮司、東(とうの)実氏は「いつの頃か東国へやってきた中臣氏が鹿島神の神系と婚姻関係を結びやがて鹿島神宮の宮司となりこの神を崇めるようになったのだろう」
鹿島神と藤原氏は本来関係がない。
ミカヅチは作り出された神であり記紀に載せられたことにより、鹿島神宮も後生タケミカヅチを祭神にしたに過ぎない。
著者は以下の理由から藤原氏を中国系と考えている。
● 中臣氏は大陸系の亀トを職とした。
● 小説家の八切止夫氏は、藤=原で、古くは藤原ではなく「藤」と称した。
事実藤原不比等の娘、光明皇后は「藤三娘」と署名している。
● 藤原氏の専用紋の「牡丹」は中国の国花である。
● 香川県大川郡にある志度寺の縁起と縁起絵図(海女の珠とり伝説)によると不比等の妹の一人は、唐の 国の高宗皇帝の妃だという。
● 不比等は壬申の乱時に、漢王の後裔という田辺史(ふひと)に預けられていた。
名前の史(ふひと)はフヒトからもらったものだ。
幼名をカラコといい曽我氏についていた。
● 藤原氏と秦の始皇帝の後裔の秦氏は数多くの婚姻関係を結んでいる。
● 藤原氏は中国文化思想の流人につとめ、五節句をはじめとするもろもろの年中行事をも取り入れ、
それを従来の行事に当てはめていった。
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ロマンを楽しみたいですね。
そもそもは出雲古代史に興味があったわけでは無いのでした。知りたいのは「あらはばき神社」のアラハバキが最初でした。
律令国家ができる以前、縄文から存在するであろうこのアラハバキが気になり調べているうちに、出雲神族の関係や伊勢神宮の荒祭宮などの隠されている真実も知りたくなったのです。
古事記の編纂で歴史を捻じ曲げられたり、当時の豪族の先祖の歴史まで抹殺してしまったことに、少々怒りを感じています。
出雲神話は特に詳しいわけでは無いのですが、神話の裏には悲しい真実が隠されていることを伝えたくて書いたのが最初ですかね。
この記事の参考文献には、大和朝廷から酷い仕打ちを受けた出雲神族の悲しい歴史が記されています。
近い内に日本人の起源ををDNAなどから見たルーツを記事にしたいと思っていますが、大陸から九州に入り内陸に入ってきた所謂弥生人の原型は渡来人との混血から成り立ったことは知られています。
ただ、なんだかんだ言っても、古代については文献が無いわけですから、どの考古学者も歴史かも想像でしかないのです。つまり結論がでないのです。
私もそろそろ結論が出ない中途半端な研究は止めにしようと考えています。
形を変えて伝わってきた表面的な神話や歴史を客観的に見てロマンを感じるのもいいし
欠けた土器を見てその時代を想像しロマンを抱くのもいいでしょう。
文献なんて、後になるとあれは偽書だったなんてことは沢山ありますからね。
外東日流三郡誌などは、町も含めそれに基づいて歴史書まで書いた人まで多くの人に迷惑を掛けたようです。
今後は気軽に楽しみたいと考えています。
どうみても作り話が多いことに不満です。
当時の豪族達の歴史書を抹殺してしまっていることに腹が立ちます。
天皇の血筋や血縁が欲しくて群がる連中がいます。
その者達が、自分の都合で歴史を変えてしまったのです。
考古学を発展させるには、宮内庁管轄の古墳や墓所の発掘を許可するべきです。
あまりにも真実を隠しすぎですね。
読んでるうちに勘違いかと?
皇室以外からの皇后ですね。
ここでは、藤原の苗字が元々は「藤」であることの証明に光明皇后の名が「藤」であることを著者が言いたかったのでしょう 。
納得できる話です。
ただ、光明皇后の署名については、単に略しただけということはないかとも思えます。
混血が進み、日本独自の文化が生まれ 現在に至っているのでしょう 。
アメリカで言えばネイティブアメリカンのように先住民族もいたでしょう 。
それが蝦夷やクマソに当たるのかも知れません。
NHKの番組で「日本人はるかなる旅」で面白い研究をしていました。
遺伝子による民族の系統です。
朝鮮系や南方系も当然あるわけですが、圧倒的に多かったのは、モンゴルの上に位置するロシアの領土内になりますが、ブリヤート自治区です。
驚くほどにそこの住民と遺伝子が一致します。
勿論顔立ちも日本人にそっくりです。
これは最終話にちょっと触れようかと思っていたのですが 、出雲の富しは4000年前に氷の山を越え海沿いを歩き何代にもかけて現在の地にたどり着きました。
その話と重ねると、私の史観ですが一致するのではないかと思ったのです。
いずれ創造の域を脱っせませんが、 これを記事に するか迷ってました。
日本人のルーツ探しは面白いです。
この時間にコメントするのは久しぶりなものです。
神様はその時々で解釈が変わるのですよね。
八百万の神様も元をただせばというところでしょうか。
自分がこれまで知っていると思っていたことが、間違っていたということもあるのですね。
新たな知識を得たような気がしております。
原本がございましたら、非常にありがたいです。
メールをお待ちしております。
===================================
八鍬 研
株式会社 大日
東京都中央区築地1-7-10築地オーミビル5F
E-mail)yakuwa@dai-nichi.co.jp
きっと神様が呼んだのでしょう。
自分が出雲のいたら、全部現地に行って見聞してきますね。
飛ばしましたが、相撲にまつわる神社などきになる箇所が沢山・・・
御柱祭も見てみたいものです。
出雲との関係をもう少し知りたいですね。
こないだの旅行では千家宅も外からですが拝見しました。
そう言えば今年の正月には諏訪大社にも参詣。
一年のうちに出雲大社、諏訪大社と二つも出雲系の名社を訪れたことになります♪
いよいよ~
出雲は神在月となります (^_-)~☆
諏訪との結びつきは深いようです
第二出雲朝廷
在り得ます (^_-)~☆
お役に立つのであればご利用ください。
改めてまして、明日帰宅しましたら、メールを差し上げたいと思います。
お願いがございまして、コメントを書かせて頂きます。
2010年7月12日に書かれているブログを
拝見させて頂きコメント書かせて頂きました。
2010年7月12日のブログにもコメントを
書きましたが、ブログに関して詳しく無いため、念のため同様のコメントをこちらにも書かせて頂きます。
ご理解のほど、御願い致します。
私は、東京で映像制作をしている株式会社 大日の八鍬(やくわ)と申します。
現在、総務省消防庁さんが企画・監修をしている震災対策DVDビデオを委託され、制作をしているものです。
ビデオのテーマが津波対策でして津波の資料を探しておりましたら、ひーさんのブログを見つけ、コメントを書かせて頂きました。
ブログに記載されております、田老町の津波遡上高(上から4番目)・避難標識など津波に関する写真を是非ともビデオで使わせて頂けないでしょうか
ビデオの使い用途は、都道府県・市町村の消防担当に配布をして、地域住民や学生に上映会をすることです。
一般市民の方々に津波に対して正しい知識を持って頂くための非営利目的の啓蒙ビデオです。
提供が可能であれば、詳しい企画書をお送りさせて頂きます。
お忙しい中、まことに申し訳ありませんが、ご検討のほど宜しくお願い致します。
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