松島の牡蠣祭り(2月4日)に行ったのですが、遅くなってしまいました。
瑞巌寺や五大堂は観光客も足を運びますが、瑞巌寺の両隣りにある、政宗の正室である愛姫の廟所
陽徳院御霊屋「寶華殿」や、二代藩主伊達忠宗の次男で、母は徳川秀忠の養女・振姫の子「光宗」廟所である円通院やこの五郎八姫の廟所を見学する人は少ないようです。
バスツアーでは、松島の観光時間は、昼食を含め2時間しか取れないのも原因の一つでしょう。
伊達家に関する記事はサイドバーにあるHPにジャンプして下さい。
伊達五郎八姫霊屋
五郎八姫は仙台藩主伊達政宗の長女で、正室愛姫の嫡出子で結婚15年目にして初めて授かった待望の子であった。
文禄3年6月16日(1594年8月2日)- 寛文元年5月8日(1661年6月4日)
大河ドラマでも「いくら男の子が欲しくても五郎八(ごろはち)とは何ですか?」と愛姫役の桜田淳子が怒っているシーンがあったように覚えています。
政宗は男子名の「五郎八」しか考えていなかったようで、そのまま五郎八姫と命名し、読みを「いろは」にしたのですね。また男名をつけると次は男子が生まれるという俗説からともある。
聞いた話ですと現在の18代当主伊達 泰宗さんのお嬢様は「ひふみ」だそうです。
外しました。もとい・・・
五郎八姫は徳川家康の六男である高田藩六十一万石の領主松平忠輝候の正室になり、万治元年五月八日説明版には万治とありますが、享年六十八歳とありますので上記の通り寛文元年五月八日ではないかと思います。
法名を天麟院殿瑞雲全祥尼大姉と号す。
寛文三年伊達家四代藩主綱村公によって霊屋が創建され、明治二年霊屋が解体され、明治二十二年十四代伊達宗基伯爵の墓銘になる墓が建立され仮霊屋として現在に至る。
五郎八姫が没後今年で353年になる。
五郎八姫はキリシタンと言われているので、お寺でいいのかは五郎八姫しか分からないことですね。
天麟院洞窟群
霊廟背後には疑灰岩壁を掘削、加工した5つの洞窟があり、北から数え、第一窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔があります。
第二窟は、政宗の4男岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に、左右10人の殉死者の塔があります。
瑞巌寺の杉並木ですが、今回の津波により、塩水浸り枯れ始め伐採された杉もあります。
何とか生き延びて欲しいものです。
瑞巌寺や五大堂は観光客も足を運びますが、瑞巌寺の両隣りにある、政宗の正室である愛姫の廟所
陽徳院御霊屋「寶華殿」や、二代藩主伊達忠宗の次男で、母は徳川秀忠の養女・振姫の子「光宗」廟所である円通院やこの五郎八姫の廟所を見学する人は少ないようです。
バスツアーでは、松島の観光時間は、昼食を含め2時間しか取れないのも原因の一つでしょう。
伊達家に関する記事はサイドバーにあるHPにジャンプして下さい。
伊達五郎八姫霊屋
五郎八姫は仙台藩主伊達政宗の長女で、正室愛姫の嫡出子で結婚15年目にして初めて授かった待望の子であった。
文禄3年6月16日(1594年8月2日)- 寛文元年5月8日(1661年6月4日)
大河ドラマでも「いくら男の子が欲しくても五郎八(ごろはち)とは何ですか?」と愛姫役の桜田淳子が怒っているシーンがあったように覚えています。
政宗は男子名の「五郎八」しか考えていなかったようで、そのまま五郎八姫と命名し、読みを「いろは」にしたのですね。また男名をつけると次は男子が生まれるという俗説からともある。
聞いた話ですと現在の18代当主伊達 泰宗さんのお嬢様は「ひふみ」だそうです。
外しました。もとい・・・
五郎八姫は徳川家康の六男である高田藩六十一万石の領主松平忠輝候の正室になり、
法名を天麟院殿瑞雲全祥尼大姉と号す。
寛文三年伊達家四代藩主綱村公によって霊屋が創建され、明治二年霊屋が解体され、明治二十二年十四代伊達宗基伯爵の墓銘になる墓が建立され仮霊屋として現在に至る。
五郎八姫が没後今年で353年になる。
五郎八姫はキリシタンと言われているので、お寺でいいのかは五郎八姫しか分からないことですね。
天麟院洞窟群
霊廟背後には疑灰岩壁を掘削、加工した5つの洞窟があり、北から数え、第一窟は伊達政宗の三男伊達河内守宗清を供養した塔があり、寛永年間の伊達一族の供養塔があります。
第二窟は、政宗の4男岩出山領主伊達三河守宗泰の供養塔を中心に、左右10人の殉死者の塔があります。
瑞巌寺の杉並木ですが、今回の津波により、塩水浸り枯れ始め伐採された杉もあります。
何とか生き延びて欲しいものです。
なんとか残ってほしいですね!
なんとか残したいですがねぇ…
コチラはブログ再開しました
ご心配をおかけしました
古いお寺ですし、松島のシンボルですかね。
メモメモ!
冬に尋ねたことがないので、そうなのかも。
改修工事中と聞きましたが、どうなのでしょうか。本堂のお披露目が待ち遠しいです。
「いろは」。姫の話は聞きました。
案内するとみな「ごろはち」と最初に読みますね。テレビのシーンを思い出しました。
政宗の第二の城とも言われる、単純なように見えて色々仕掛けが・・<
何も知らない観光客は、ただのお寺か?
と言ってかえります。
雪の中の白壁の霊廟、見応えありますね。
一度、行ってみたいです。
なかなか墓地のあるお寺には足が向きませんが、どうしても見たくなると行ってしまうんですよ。
今までも片倉小十郎や支倉常長など伊達家絡みが多いですね。
松島は近すぎてつい後回しになっています。