7日の深夜の事だった、23時32分もう少しで仕事を終えようとしていた。
そんな静まり返った夜に再び大きな揺れが襲った。
「ドドドドド!!」 揺れは次第に地響きへと変化し横揺れが始まった。
この自然の驚異には、何をすることも出来なかった。
その後、地下屋内の電気は落ち、非常灯が点いた。
お客様には営業が不可能なことを告げ屋外に出ていただく。 それでもそれを知らず入って来る始末だ。
まずは、ケガ人や屋内に異常がないか非常灯を片手に走り回った。
エレベーター内に閉じ込めが無いことを確認し、報告! 手分けして出入り口のシャッターを全部閉じた。
全部で7箇所である。本来9箇所なのだが、2箇所は11日の震災で破損しているだ 。
あの11日の地震よりは短い揺れではあったが、かなり強い・・・・
停電になり、非常灯は点灯しているものの屋内の携帯の基地局は稼働していないため圏外のままだ ・・・
この揺れでは、自宅がヤバイかも?? 家族と連絡を取りたいが携帯は通じないし 心配ではあったが、まずは、仕事が優先だった。
非常用の電話があるが、自宅も家族の携帯も繋がることは無かった。
一段落ついてから、出入口に近づいてワンセグのテレビをつけてみると、なんと震度6強と報道している。
シャッター越しに見える街並みは灯りが点っているビルも数多くあり、少し安堵した。
3月11日の地震では、真っ暗になり車の灯りだけが道路を照らしていた 。
あれから数日は、夜が更けると街を歩いている人も少なくなり仙台の街は廃墟の街と化していた。
あれほど賑やかな街は街灯もネオンも消え、不気味としか言いようがなかったのです。
「Wu~~~う~~~」夜更けの街に 、けたたましいサイレンの音が響く・・・・どうやら原町で火災が発生したようだ。
一斉に各部署の復旧活動が開始しされた、すべての点検が終わるのに3時間程を要する。
17箇所に及ぶ 一連の職場では一名が連絡要員の為、 仮眠せずに起きているように指示が入る。
時計は見なかったが電気が復旧したのは3時頃だと思う。 一安心だ。
いつ休めるかわからないので、休める者は休める時に休めと言うことで少しでも仮眠を取る事にした。
しかし、制服のまま仮眠をとるように命令があったため、ワイシャツとズボンはそのままで、ネクタイは着けたまま緩めただけだった 。
通常は5時の起床だが今回は点検のこともあり、4時45分に起床した。
起床したと言うよりは、 上司が部屋の扉をノックして回った。
「トントントン…起きて下さい、各自点検お願いします」
制服の上からジャンパーに袖を通し、構内の巡回にでた、暖かくなったとはいえ仙台の朝はかなり寒い。
異常の無いことを報告し、出入口シャッターを開扉した。
何事も無かったかのように、通常の業務がスタートした。
しんどかったが、市民の為に平常が保たれた。
さぁ、交代の勤務者が出勤してきたので帰れる。
出勤出来ず、職員が来なければ、眠れず24時間仕事をしても8時間までの超過勤務をしなければならない。
帰りの足だがやっと動いたJRが再度止まってしまった 。
仕方がないので 、臨時バスに乗って帰ることにした。バスなんて何年振りだろうか?
国道は信号機が 消灯し渋滞している。 結構な時間がかかった。
バスの車内に着信音が流れる♪ おばちゃんが話し始めた。
運転士さんも気付いて電源を切るよう放送するが、聞こえないふりのようだ ・・・
皆、震災に加え生活のこと・・交通渋滞などなど色々重なりイライラしているはずである 。
ピリピリした緊張が車内に張りつめていたのは事実だった。
バスは終点のアナウンスをした。多賀城駅に着いたのだ、昨夜は寝ていないのに何故かうたた寝をすることも無かった。
自宅に妻はいたが、迎えには来させなかった。
それは、信号機が消えているから、事故のことを考え歩くことにしたのです。
20分も歩けば我が家に着きますから大した距離ではありません。
多賀城駅の元長崎屋の跡地には自衛隊による浴場の設置がされていた。
驚いたのは、沖縄の部隊だった・・・・嬉しく感じた、日本最南端の基地から海を越え応援に来てくれたのだ。
改めて、自衛官・消防局・海上保安庁等々全国の皆さまに感謝したい。
ず~っと震災の話が続いておりますので、申し訳なく思っています。
コメントは不要ですので覗いていただくだけでありがたく思います。
ふるさとから離れている方が情報を欲しがっているかのように震災に関するアクセスが毎日多く
もうチョット続けようかと思います。
次回は、福島県新地の津波の被害をUPします。
自分も忙しく皆様のところに訪問出来ず申し訳なく思っております。
また、福島・茨城・千葉などでも地震が続いております。
どうぞ、ご注意下さい。
そんな静まり返った夜に再び大きな揺れが襲った。
「ドドドドド!!」 揺れは次第に地響きへと変化し横揺れが始まった。
この自然の驚異には、何をすることも出来なかった。
その後、地下屋内の電気は落ち、非常灯が点いた。
お客様には営業が不可能なことを告げ屋外に出ていただく。 それでもそれを知らず入って来る始末だ。
まずは、ケガ人や屋内に異常がないか非常灯を片手に走り回った。
エレベーター内に閉じ込めが無いことを確認し、報告! 手分けして出入り口のシャッターを全部閉じた。
全部で7箇所である。本来9箇所なのだが、2箇所は11日の震災で破損しているだ 。
あの11日の地震よりは短い揺れではあったが、かなり強い・・・・
停電になり、非常灯は点灯しているものの屋内の携帯の基地局は稼働していないため圏外のままだ ・・・
この揺れでは、自宅がヤバイかも?? 家族と連絡を取りたいが携帯は通じないし 心配ではあったが、まずは、仕事が優先だった。
非常用の電話があるが、自宅も家族の携帯も繋がることは無かった。
一段落ついてから、出入口に近づいてワンセグのテレビをつけてみると、なんと震度6強と報道している。
シャッター越しに見える街並みは灯りが点っているビルも数多くあり、少し安堵した。
3月11日の地震では、真っ暗になり車の灯りだけが道路を照らしていた 。
あれから数日は、夜が更けると街を歩いている人も少なくなり仙台の街は廃墟の街と化していた。
あれほど賑やかな街は街灯もネオンも消え、不気味としか言いようがなかったのです。
「Wu~~~う~~~」夜更けの街に 、けたたましいサイレンの音が響く・・・・どうやら原町で火災が発生したようだ。
一斉に各部署の復旧活動が開始しされた、すべての点検が終わるのに3時間程を要する。
17箇所に及ぶ 一連の職場では一名が連絡要員の為、 仮眠せずに起きているように指示が入る。
時計は見なかったが電気が復旧したのは3時頃だと思う。 一安心だ。
いつ休めるかわからないので、休める者は休める時に休めと言うことで少しでも仮眠を取る事にした。
しかし、制服のまま仮眠をとるように命令があったため、ワイシャツとズボンはそのままで、ネクタイは着けたまま緩めただけだった 。
通常は5時の起床だが今回は点検のこともあり、4時45分に起床した。
起床したと言うよりは、 上司が部屋の扉をノックして回った。
「トントントン…起きて下さい、各自点検お願いします」
制服の上からジャンパーに袖を通し、構内の巡回にでた、暖かくなったとはいえ仙台の朝はかなり寒い。
異常の無いことを報告し、出入口シャッターを開扉した。
何事も無かったかのように、通常の業務がスタートした。
しんどかったが、市民の為に平常が保たれた。
さぁ、交代の勤務者が出勤してきたので帰れる。
出勤出来ず、職員が来なければ、眠れず24時間仕事をしても8時間までの超過勤務をしなければならない。
帰りの足だがやっと動いたJRが再度止まってしまった 。
仕方がないので 、臨時バスに乗って帰ることにした。バスなんて何年振りだろうか?
国道は信号機が 消灯し渋滞している。 結構な時間がかかった。
バスの車内に着信音が流れる♪ おばちゃんが話し始めた。
運転士さんも気付いて電源を切るよう放送するが、聞こえないふりのようだ ・・・
皆、震災に加え生活のこと・・交通渋滞などなど色々重なりイライラしているはずである 。
ピリピリした緊張が車内に張りつめていたのは事実だった。
バスは終点のアナウンスをした。多賀城駅に着いたのだ、昨夜は寝ていないのに何故かうたた寝をすることも無かった。
自宅に妻はいたが、迎えには来させなかった。
それは、信号機が消えているから、事故のことを考え歩くことにしたのです。
20分も歩けば我が家に着きますから大した距離ではありません。
多賀城駅の元長崎屋の跡地には自衛隊による浴場の設置がされていた。
驚いたのは、沖縄の部隊だった・・・・嬉しく感じた、日本最南端の基地から海を越え応援に来てくれたのだ。
改めて、自衛官・消防局・海上保安庁等々全国の皆さまに感謝したい。
ず~っと震災の話が続いておりますので、申し訳なく思っています。
コメントは不要ですので覗いていただくだけでありがたく思います。
ふるさとから離れている方が情報を欲しがっているかのように震災に関するアクセスが毎日多く
もうチョット続けようかと思います。
次回は、福島県新地の津波の被害をUPします。
自分も忙しく皆様のところに訪問出来ず申し訳なく思っております。
また、福島・茨城・千葉などでも地震が続いております。
どうぞ、ご注意下さい。
我が家は浴室にヒビが入り7日の余震で西側の土留めが崩れました。
せめて、土地は直さないと・・
地震には道筋があるようです。
立地の状態で変わるようですね。
治まるまで、片付けはほどほどに・・・
16日には復旧するそうなので、一寸の我慢です。
まだ、水も電気も来ない所があるので、贅沢はいえません。
家の修繕をどうしようか思案中です。
休みの日は、娘の入院先に行ったりで、コメントも出来ない状態です。
すみません。
なんか、私生活でも仕事でも地震に振り回されています。
震災だから、仕事を休んでいいですよ。とは、いかなく、電車が不通だろうがバスが混んでようが、何も心配してくれません。
2時間半も自転車を漕いで出勤している人もいます。
やっと通水した水道も7日の地震でまた断水ですよ。
まぁ、こうしてPC出来るだけ幸せです。
ウチは本が落ちる程度で済んでますが、貴地の方は結構地震被害が出てるんでせうね?
自衛隊の入浴設備、有難いですねぇ
TVでは見たけれど、↑の画像を見るとやはり迫力があります。
自宅は外壁、内壁がボロボロで大工さんが入るそうですが、材料不足でいつになるか分からないそうです。
まだ実家にいますが、21日には小学校の入学式があるので帰らなければいけないのですが、旦那が帰りたくないと言っています(笑)
実家と自宅とでは揺れ方が違うようで実家のほうが揺れないみたいです。
丹治さんの弟さんです。都内で出版のお仕事をされておいでですが、やはり、そういった情報は「ネットが頼り」と申しておりました。
「くだまき」では、逆に首都圏にいて、「首都圏で拾った情報を故郷へ」という思いもございます。しかしながら、やはり地元でご苦労されていらっしゃる方々の思いたるや、いかばかりか。本当に申し訳なく感じております。
夜中の地震は、くだまきにもいたしました。
今日も余震。
台風の数よりはるかに凌ぐこの異常さ。
何卒お気をつけくださいませ。
レス不用です。
お気遣いなさいませぬように。
ほんとうに
頑張っておられる様子に
ただただ 感謝です
ご訪問コメント、レス不要ですので
一日も早く普通の生活を、と願いながら。心の平安を祈りながら、余震と戦っています。^^
平凡な日々からかけ離れた毎日で、本当に本当に大変でしょうけど、負けないで下さい。
勝手にコメントして帰ります。
レス不要です。^^