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ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

湊町・酒田 2

2007年10月09日 14時14分50秒 | 山形県の散歩道
本間様にはおよびもないが せめてなりたや殿様に

この歌に歌われているように、庶民には殿様よりも慕われていたようですね。
 
酒田を語るのに本間家を語らずして酒田を語れないほど酒田発展に尽くしてきた本間家は、酒田の歴史の重要な役割を占めています。

36人衆の話がありますが、この話をすると、平泉の藤原秀衡のあたりから話さなくちゃいけないので省略です。

「酒田三十六人衆」と呼ばれた、その子孫は、後に酒田を代表する大商人になったのです。

3代、本間光丘の考え方として、徳は得なり、と言う考えの商法で、人が必要としてる物を与えればそれが帰ってくると言う考えを基に、無償で、社会事業、救済活動に力を入れ、飢饉に備えた、備荒もみ、20000万表を庄内藩に献上し、倉庫を建て籾を蓄えさせています。

本間美術館の本館、清遠閣と鶴舞園は、本間家四代本間光道が200年ほど前に失業対策として建設したものです。
つまり仕事を与えるために、わざわざ作らせたのですね。


清遠閣と鶴舞園




本間家旧本邸は、三代光丘が明和五年(1768年)に庄内藩主酒井家のために幕府の巡見

使宿舎として建造し、献上した建物です。  その後拝領し、本邸として使用。

武家屋敷と商屋造りが一体となっているのは極めて珍しく県文化財に指定されている。




大きな赤松が立っていますが、その赤松には名前があり伏龍の松(がりょうの松)と名前がついています。

その意味は、本間家の家訓の中に、富と名声、地位を得た後にも、

腹八分目より低い七点二分目とし、龍が天に上らずに地に伏せて力を貯えておくと言う意味だ

そうです。

正門から道路を挟んで、本間家の資料館がある。



中には商屋らしい道具が陳列してある。

つづく





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