封人の家を後にして、新庄に入り酒田方面へと向った。
最上川が見えて来た「本合海大橋」を渡ると左側に新庄焼きでできた芭蕉と曾良の像が
見えて来る。 あの辺が芭蕉達が舟に乗った乗船の地のようだ。
バスガイドの殆どが銅像と案内するが実は新庄焼きのようだ。
芭蕉は、この川を見て一句 『五月雨を集めて早し最上川』 と歌ったのですね。
ところが初案は、「集めて涼しい・・・・」と歌っているのです。
このまま国道47号線を進むと酒田に入ります。
酒田の観光で誰もが訪れるのが、この山居倉庫です。
酒田米国取引所の付属倉庫でいわゆる米蔵ですね。
今から114年前の明治26年に出来たようです。
この倉庫の屋根は二重になっていて、隙間があり湿気防止の役割を果たしているようです。
裏側は、南側になるのですが、ケヤキ並木があって、倉庫は木陰になり低温管理倉庫とも云えるでしょう。
黒板の倉庫とケヤキ並木は落ち着いた雰囲気をかもし出してます。
goodですよ。
山居倉庫の前には川が流れており
物資の輸送には、この川と小鵜飼舟(こうがいぶね)と呼ばれる舟が内陸地方から
酒田港まで運んでいたようです。
大きさは様々ですが、写真にある舟は、長さ20メートル、幅3.5メートルあり、前方に帆を
かけ風を利用して、へさきがとがり流線型をしているためスピードもある。
中央には、舟衆の寝泊りする小屋が設けられナベ、カマ、食料品まで満載し
積んだ荷物の量jは米で350俵、今の10トン積みトラック2台分の輸送力がありました。
川には橋が架けられ、山居橋と書いてあり昔ながらの、木造の橋でした。
売店には、 『んめっちゃ』のシールが貼ってある梨が売って
ました。
んめっちゃ=美味しいさ!
ですかね
おまけ・・・酒田に行く途中・・・・道の駅とざわ「モモカミの里」
高麗館だったかな・・聞くところによると、この村にはK国からのお嫁さんが多く、ふるさとK国の宮殿風になっています。
最上川が見えて来た「本合海大橋」を渡ると左側に新庄焼きでできた芭蕉と曾良の像が
見えて来る。 あの辺が芭蕉達が舟に乗った乗船の地のようだ。
バスガイドの殆どが銅像と案内するが実は新庄焼きのようだ。
芭蕉は、この川を見て一句 『五月雨を集めて早し最上川』 と歌ったのですね。
ところが初案は、「集めて涼しい・・・・」と歌っているのです。
このまま国道47号線を進むと酒田に入ります。
酒田の観光で誰もが訪れるのが、この山居倉庫です。
酒田米国取引所の付属倉庫でいわゆる米蔵ですね。
今から114年前の明治26年に出来たようです。
この倉庫の屋根は二重になっていて、隙間があり湿気防止の役割を果たしているようです。
裏側は、南側になるのですが、ケヤキ並木があって、倉庫は木陰になり低温管理倉庫とも云えるでしょう。
黒板の倉庫とケヤキ並木は落ち着いた雰囲気をかもし出してます。
goodですよ。
山居倉庫の前には川が流れており
物資の輸送には、この川と小鵜飼舟(こうがいぶね)と呼ばれる舟が内陸地方から
酒田港まで運んでいたようです。
大きさは様々ですが、写真にある舟は、長さ20メートル、幅3.5メートルあり、前方に帆を
かけ風を利用して、へさきがとがり流線型をしているためスピードもある。
中央には、舟衆の寝泊りする小屋が設けられナベ、カマ、食料品まで満載し
積んだ荷物の量jは米で350俵、今の10トン積みトラック2台分の輸送力がありました。
川には橋が架けられ、山居橋と書いてあり昔ながらの、木造の橋でした。
売店には、 『んめっちゃ』のシールが貼ってある梨が売って
ました。
んめっちゃ=美味しいさ!
ですかね
おまけ・・・酒田に行く途中・・・・道の駅とざわ「モモカミの里」
高麗館だったかな・・聞くところによると、この村にはK国からのお嫁さんが多く、ふるさとK国の宮殿風になっています。
今朝見ていますゴメンナサイ
やはりお仕事柄、詳しく書かれていますね
いろいろ教えていただく事ばかりですね。
お仕事頑張ってください
古い記事は、コメントがないので助かります。
酒田も色んな事を書きたいのですが、少しずつ増やして行きます。
芋煮会発祥の地でもあるんですよ。
当時は、芋じゃなかったようですがね。