達谷窟毘沙門堂~姫待瀧~かつら石
厳美渓から一山越すと正面に大岩壁が見えてきます。
説明は後ほど・・・
岩面大佛です。
顔が見えますか
右カーブして左側が悪路王が住んでいた窟です。
そこに毘沙門堂が作られてます。
この毘沙門堂清水寺に似ていませんか
そうです 坂上田村麻呂の創建です。
説明は後ほど・・・
そのまま真っ直ぐ行くと右手の川に姫待瀧が見えてきます。
大きい瀧では無く川の段差で出来た小さな瀧です。
ここで逃げようとする姫を待伏せしてたのですね。
そこから百メートルくらい行って左側に姫の髪を切って掛けたと言う「かつら石」があります。
これは、逃げようとする姫達の見せしめの為に掛けたものです。
髪は女の命ですからね。 男性もおなじですがwww
意外と見逃してしまい隣県の人は知らない話でしょう。
東北のバスはこのルートを走りますので、東北のガイドさんなら案内してくれると思います。
毘沙門堂については明日お話したいと思います。
つづく
厳美渓から一山越すと正面に大岩壁が見えてきます。
説明は後ほど・・・
岩面大佛です。
顔が見えますか
右カーブして左側が悪路王が住んでいた窟です。
そこに毘沙門堂が作られてます。
この毘沙門堂清水寺に似ていませんか
そうです 坂上田村麻呂の創建です。
説明は後ほど・・・
そのまま真っ直ぐ行くと右手の川に姫待瀧が見えてきます。
大きい瀧では無く川の段差で出来た小さな瀧です。
ここで逃げようとする姫を待伏せしてたのですね。
そこから百メートルくらい行って左側に姫の髪を切って掛けたと言う「かつら石」があります。
これは、逃げようとする姫達の見せしめの為に掛けたものです。
髪は女の命ですからね。 男性もおなじですがwww
意外と見逃してしまい隣県の人は知らない話でしょう。
東北のバスはこのルートを走りますので、東北のガイドさんなら案内してくれると思います。
毘沙門堂については明日お話したいと思います。
つづく
この記事はコメントがないので、ブログを変更したときに 移したきじのようですね。当時は難しく書くと読者が大変なので割愛した部分があり簡単に流れだけ書きましたが、どの部分でしょうか?
京からお姫様をさらって窟の上流(籠姫)の事でしょうか?
姫待不動尊のことでしょうか、紙を切り見せしめにした…と言うところでしょうか?
きっとみちのく人さんは、ガイドさんだと思いますが、バス会社によって教本が違ったり、私の経験でもガイドさんによって話は異なります。
伝説はあくまでも伝説、真実かどうか?
誰もわからないのです。
この記事は、 私の頭の中にあったものを、簡単に記したものです。
悪路王の話をかけば、一ページではおさまらないでしょうね。
真実がわかれば是非ご教授願えればと思います。
私が平泉の記事を書かないのは、膨大な量になってしまうからです。
そうそう、春が来たら義経の痕跡もたどりたいと考えています。
また、このブログを読んで頂ければと思いますので。
同じタイトルでホームページも開いております。
ひーさんの散歩道で検索すればすぐでてきます。
どちらかというと政宗や伊達騒動、古代史が多いですが是非ご覧ください。
また、感想を御待ちしております。
失礼しました。
勉強不足なんですね。私は伝説は確かに沢山のいわれがあるようで…各社とも内容的には一緒でも、言い回しが違っていたり、小道具が違っていたりですね。
姫待滝はかごひめに囲っていた女性たちをまちぶせしたとかかつら石は逃げようとするその女性にみせしめのため黒髪をおいたとか…聞いてます。
ニュアンスの違いですね
ありがとうございました。
頑張ってくださいね。
これは、私も記憶が無いので変換ミスです。
位の高い姫とは私も思っていませんので、普通に姫が正しいと思います。
私の中では、姫と言うより町の女性だと思うのですが、ストーリーとしては姫の方がいいですよね。
金売り吉次の話でも、炭焼き「とうた」のところに「あこや姫」だったですかね?ここでも姫が出てきますが本当だろうか?と疑問に思うのであります。
この話は、どこかに書いているはずです。
まぁ、武家の娘は全部姫なのかもありませんが。
姫君は訂正します。私の入力ミスです。ありがとうございました。