この記事は、しばらく時間をかけてシリーズ化してゆきます。そのあとホームページにまとめたいと考えています。
過去私は自分のの記事の中で、古代出雲には、多くかかわりあってきました。 資料とした本もバラバラでした。
特にホームページにまとめた「古代出雲帝国の秘密」は、吉田大洋著の「謎の出雲帝国」が原型です。
この本は、宮城県内の図書館に一冊だけあったもので、アマゾンでもかなり高値がついていました。
今でも再版を希望する人が多いようです。しかしその内容は、真実からかけ離れていったようです。
しばらく放置していた古代出雲の記事に自分んでメスを入れていきたいと思います。
当時産経新聞の富氏(大国主の直系言われた)と吉田氏のやり取りの中から、吉田氏の考えを元にあの本は作られました。
しかし、吉田氏の理解不足のため真実から外れた内容となってしまったのです。
今回は、富当雄氏の後継者が先祖の記録を活字にしたのです。
富当雄(とみまさお)氏は新聞社を退職後、京都の大学で国文学の講師をつとめ、その時に京都の出版社から出雲の古代史の本をだしたのです。
ところがその本は書店に並んだ途端に消えてしまった。 在庫も無かったようです。
イズモには過去を知られたくない旧家がありその関係者がすべての本と原稿を買い取ったといいいます。
当雄氏は1989年に病没した。 遺言は「真実の出雲史を普及させてくれ」というものであったといいます。
しかし、真実の出雲史を普及させることは困難なことであった。 なぜなら常識と真実が大きく乖離していたからです。
サイノカミとクナト大神
サイノカミの夫婦神像があり向家では、それを先祖神として拝んでいた。
サイノカミの主神・クナト大神は、出雲族の指導者だったと伝えられる。
かれの妻、幸姫の命は、サイノカミの母神となっている。
サイノカミの特色は、子孫繁栄の神である。 つまり「縁結びと子宝の神」とも言われている。
クナト大神と出雲国の発祥
クナトという人は古代インドのドラビダ族の王であったが大勢の部下を引き連れて日本へ民族移動を始めた。
ゴビ砂漠を北に進み、シベリアのアムール川を筏で下って、津軽半島に上陸したという。
その後彼らは南に移住して広がった。
クナト王の子孫はイズモに住み着いた。
インドの熱帯では常緑樹が濃緑色に茂っていた。 それに対して新しい土地では春に芽が出た森の色が目にしみるように美しく感じられた。
かれらは、その色をめでて自分達の地方「出芽の国(イズメ)」と呼んだ。
その発音が変化して「出雲の国」になったと伝わる。
出雲地方ではサイノカミの祭りが盛んになった。
クナト王の直系の向家が出雲東部の神魂(かもす)神社[松江市大庭]の丘にあった。
その地の大庭の地名は神祭りの場だったことから来ているらしい。
そこから東方にサイノカミの主神・クナト大神のこもる大神山(大山:ダイセン)が良く見える。
人々は大庭に集まり、向家が司祭となって大神山を遥拝(ようはい)した。
出雲地方以外からも多くの人が祭に参加した。
その結果、向家が王家と仰がれた。 その氏子の広がりが出雲大国となった。
そしてサイノカミ信仰が出雲王国の国教なった。
明かされた古代出雲大国の秘密2
過去私は自分のの記事の中で、古代出雲には、多くかかわりあってきました。 資料とした本もバラバラでした。
特にホームページにまとめた「古代出雲帝国の秘密」は、吉田大洋著の「謎の出雲帝国」が原型です。
この本は、宮城県内の図書館に一冊だけあったもので、アマゾンでもかなり高値がついていました。
今でも再版を希望する人が多いようです。しかしその内容は、真実からかけ離れていったようです。
しばらく放置していた古代出雲の記事に自分んでメスを入れていきたいと思います。
当時産経新聞の富氏(大国主の直系言われた)と吉田氏のやり取りの中から、吉田氏の考えを元にあの本は作られました。
しかし、吉田氏の理解不足のため真実から外れた内容となってしまったのです。
今回は、富当雄氏の後継者が先祖の記録を活字にしたのです。
富当雄(とみまさお)氏は新聞社を退職後、京都の大学で国文学の講師をつとめ、その時に京都の出版社から出雲の古代史の本をだしたのです。
ところがその本は書店に並んだ途端に消えてしまった。 在庫も無かったようです。
イズモには過去を知られたくない旧家がありその関係者がすべての本と原稿を買い取ったといいいます。
当雄氏は1989年に病没した。 遺言は「真実の出雲史を普及させてくれ」というものであったといいます。
しかし、真実の出雲史を普及させることは困難なことであった。 なぜなら常識と真実が大きく乖離していたからです。
サイノカミとクナト大神
サイノカミの夫婦神像があり向家では、それを先祖神として拝んでいた。
サイノカミの主神・クナト大神は、出雲族の指導者だったと伝えられる。
かれの妻、幸姫の命は、サイノカミの母神となっている。
サイノカミの特色は、子孫繁栄の神である。 つまり「縁結びと子宝の神」とも言われている。
クナト大神と出雲国の発祥
クナトという人は古代インドのドラビダ族の王であったが大勢の部下を引き連れて日本へ民族移動を始めた。
ゴビ砂漠を北に進み、シベリアのアムール川を筏で下って、津軽半島に上陸したという。
その後彼らは南に移住して広がった。
クナト王の子孫はイズモに住み着いた。
インドの熱帯では常緑樹が濃緑色に茂っていた。 それに対して新しい土地では春に芽が出た森の色が目にしみるように美しく感じられた。
かれらは、その色をめでて自分達の地方「出芽の国(イズメ)」と呼んだ。
その発音が変化して「出雲の国」になったと伝わる。
出雲地方ではサイノカミの祭りが盛んになった。
クナト王の直系の向家が出雲東部の神魂(かもす)神社[松江市大庭]の丘にあった。
その地の大庭の地名は神祭りの場だったことから来ているらしい。
そこから東方にサイノカミの主神・クナト大神のこもる大神山(大山:ダイセン)が良く見える。
人々は大庭に集まり、向家が司祭となって大神山を遥拝(ようはい)した。
出雲地方以外からも多くの人が祭に参加した。
その結果、向家が王家と仰がれた。 その氏子の広がりが出雲大国となった。
そしてサイノカミ信仰が出雲王国の国教なった。
明かされた古代出雲大国の秘密2
ところでイズをアイヌ語で訳すと地域では「半島」、体では「鼻」を示すそうです。伊豆も半島。出雲も半島。
そして伊豆佐比売。伊豆の佐姫。幸姫の神。そしてサイの神は天照大神へつながります。
知っているかは不明ですが、今度友人に事実を聞きに生きたいと思っています。
幸い、歴史の中の惑わし手法やデマや系統の変な繋ぎは手法が全く今とも変化していないので相手をきちんとみて言わずとも感じる能力を持つ日本人ならきっと今後はちゃんとした目で見る事が出来るとは思います。
トミは、おばあちゃん関係でも個人的にもどうしても早急になんとか正しい理解しないといけない所でもあります。また別件で向の付く地に縁がありますのでその関係でもそこの家柄については全国各地に名残がないか探してもいます。
十三というとトミとも読めますし、十三湊は大阪十三(ジュウソウ?)や十三塔や虚空蔵の縁日や十三詣り等でも何らかの接点があるとは思っています。
一般的な出雲だけでなく出雲という地名に関してもどうも奈良大阪や伊豆等ではどうも気になる伝説があったりとこっちのが出雲っぽいなあと思う場所も出てきてます。個人的に感じるのは玉が付くところはかなり怪しいと思います。玉造はあちこちのありますし、玉手や玉名はどうもおばあちゃん関係でも気になるんですよね。玉の井も。
子授けや子育てなどに関わり石やお水との縁を司るようなイメージです。
出雲というイメージが今後どのくらい幅と奥行きが出てくるか?とても楽しみです。
残念ながらそこに関わろと気合いで入ったとしても筋ある方にしかできない任務である事は確かでしょう。
ひーさんどうぞ宜しくお願いいたします。
綱永井さんの鼻というのはまさにそう思います。半島岬、現在の平野部よりも接点があるのは今の山や尾根沿い、現在半島とは思えないような場所ですけどお水がいっぱいあった時期には港の機能も果たしていたような場所が気になってます。
猿投山もその当時は関係していたんではと思ってます。
見晴らしは良い場所、そこに砦があれば一望できるようなそんな特殊な地が出雲に関係していないか妄想しています。東北にはかなりありますね。
今後もどうぞよろしくお願いします。
楽しみにしております。2003
それとこの本を読んでいくと出雲の太陽神を内宮に祀るとあります。アマテラス系は天孫系ですよね??意味不明? 伊豆(イズ)も出(イズ)雲も発音は同じ・・・考えてみます。
ただこの時点の発祥した富はやはり日本各地に広がりを見せているのでしょう。
抜粋して書こうと思いましたが、大事なところなので省略できませんでした。次回まではあまりカットせず書こうと思います。
伊勢津彦神が猿田彦命であるとします。そして秩父出神社に祀られている神々の給仕の神に落とされているお手長様(約60社)は猿田彦命とされています。そして諏訪の地主神も手長足長です。
本当は書きたいのですが、天照大神は日本の地主神としか考えられません。天照大神は白蛇として空海に描かれていますし。
私のブログでは柵で書けないですが、それを証明する神社が存在します。煙にまかれると思いますが、今度質問してきます。
帰りに氷川神社も寄ってきます。
伊勢津彦も出雲ですかあ、津はどうも待遇悪くなってますね。大概神社でも出雲系だと外に出されているようにも感じる経験もありますね。
氷川というのもこの前意を決して行ってみました。倭姫命と氷もどうも関係ありそうな感覚でして。東京では簸川神社という字を使って出雲とのこだわりを全面にだしている所もあります。そこで鈴木貫太郎が戦争をやめるように天皇に進言したお話をたまたま道を聞いたおじちゃんに聞いた思い出もあります。どうしても深読みしてます。
個人的な感覚はさておき、感情論の女性の感覚がひーさんのきちんと事実に基づく史実からの分析考察について行けるかはレベルが低くて心配ですけど、聞く耳を持ち頭に入れると納得出来る所がいっぱいあるんじゃないかと楽しみにしております。
今、お金を稼ぐ為のお仕事ではなく自分の縁と興味の分野で研究している方もいっぱいいらっしゃいます。色々な方にいい波動を与えてくれるんじゃないかと、どうぞ宜しくお願いします。5350
各地の王国が動き出してるようにも思います。
関東の王国も追随したいですね。4214
今、伊勢と出雲の本を平行に読んでまして回線が混乱しています。