上杉神社は、何度も言っていたのですが、廟所へは行ったことが無かったので、足を延ばしてみました。
一般のツアーでも、ほとんどが上杉神社のみか、東光の酒蔵や米織会館を見て食事をするのが普通です。
しかしこの時、地図を持っていなかったので感で走っていたのですが、道幅はそれほど広くも無く、城下町らしく入り組んでいることを改めて感じました。
この地は本当に覚えにくい道路になってます。
よく関東のバスが迷子になってウロウロしているのを見かけます。
まっすぐに伸びた、杉木立の参道は薄暗く、正面には上杉家の証の旗が揺らめいていました。
御廟順位
謙信公を中央に二代・三代と左右に分かれています。
八代宗房公までは、紀州高野山清浄心院に納骨されてます。
上杉鷹山公御廟
献花されていたのは、謙信公と十代鷹山公のみでした。
いかに米沢の人に愛されていたのかわかりますね。
私も、謙信、鷹山の両公しか知りませぬ ww
体調が良くなられたのですね?
この地は、謙信公御遺骸の避難所だったようです。それからこの地で火葬にし位牌を収めて廟所にしたようです。
上杉神社とは、離れています。
鷹山公は父を火葬にするのは、忍びないと土葬にしています。
だから9代からは、遺骨が無いため高野山には無いのですね。
何かあるときには
きちんと~
立て直すみたいな 感じでしょう~か?
呑気な長男もいたでしょうけど。
上杉謙信・・・戦国武将の仲で好きな武将の一人です。
戦国時代の本が読みたくなってきました。
毘と龍の旗を見ると、やはり謙信公を連想しますね。