ひーさんの散歩道

道には、様々な歴史や文化が息づいている。
歴史に触れ風景に感動し忘れていた何かを探したい。

上杉家廟所

2008年05月07日 14時38分28秒 | 山形県の散歩道
上杉家御廟


上杉神社は、何度も言っていたのですが、廟所へは行ったことが無かったので、足を延ばしてみました。
一般のツアーでも、ほとんどが上杉神社のみか、東光の酒蔵や米織会館を見て食事をするのが普通です。
しかしこの時、地図を持っていなかったので感で走っていたのですが、道幅はそれほど広くも無く、城下町らしく入り組んでいることを改めて感じました。
この地は本当に覚えにくい道路になってます。
よく関東のバスが迷子になってウロウロしているのを見かけます。





まっすぐに伸びた、杉木立の参道は薄暗く、正面には上杉家の証の旗が揺らめいていました。





御廟順位
謙信公を中央に二代・三代と左右に分かれています。




八代宗房公までは、紀州高野山清浄心院に納骨されてます。


  


上杉鷹山公御廟

献花されていたのは、謙信公と十代鷹山公のみでした。
いかに米沢の人に愛されていたのかわかりますね。


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
神道 (あーさん)
2008-05-07 17:24:02
では”死”を嫌うので、神社とは離れて墓をつくるんですね。


私も、謙信、鷹山の両公しか知りませぬ ww


体調が良くなられたのですね?
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あーさんへ (ひー)
2008-05-07 18:19:03
私もよくわからないのですが、明治5年に謙信公と鷹山公を合祀する上杉神社が出来たようです。
この地は、謙信公御遺骸の避難所だったようです。それからこの地で火葬にし位牌を収めて廟所にしたようです。
上杉神社とは、離れています。
鷹山公は父を火葬にするのは、忍びないと土葬にしています。
だから9代からは、遺骨が無いため高野山には無いのですね。
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やはり~ (維真尽(^.^))
2008-05-07 18:36:34
血筋~ですよね (^_^)v
何かあるときには
きちんと~
立て直すみたいな 感じでしょう~か? 
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いーさんへ (ひー)
2008-05-07 19:01:44
立派な家柄の跡継ぎは、プレッシャーかかるでしょうね。
呑気な長男もいたでしょうけど。
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Unknown (虎龍)
2008-05-07 22:16:17
さすがに迫力ありますね。
上杉謙信・・・戦国武将の仲で好きな武将の一人です。
戦国時代の本が読みたくなってきました。
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Unknown (桃源児)
2008-05-07 23:23:49
神社からは離れているんですね。どの廟も立派ですが、やはり謙信公が中心なんですね。
毘と龍の旗を見ると、やはり謙信公を連想しますね。
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虎龍さんへ (ひー)
2008-05-08 11:02:14
自分も謙信に興味が湧いて来ましたが、今の私には、検診の方が必要のようです。
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桃源児さんへ (ひー)
2008-05-08 11:09:01
博物館も見たかったのですが、日本全国、月曜日の公共施設は定休日ですから、見れませんでした。
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