餅まきが、クライマックスでした。
自分の前にも飛んで来ないかとまっています。
餅は、「幸福のシンボル」のような気がしています。
そんなカットです。
表情が良いと思い、絵にしました。
今日のテーマは、「言って、見つめて」です。
プロフェッショナルで、グラフィックデザイナーの廣村正彰さんが登場された
ものを見ました。
この番組には、数々のプロフェッショナルが登場されます。
プロフェッショナルが話す時に、使われる語彙に出会います。
選択された言葉に感動したり、気付かされたりします。
今回は、「他人に宛てた手紙は、実は他人を通じて自分を見つめること」ではないかと、
手紙寺(證大寺)の住職が言われた言葉です。
私は、毎日のように誰(ほとんどが私を知っている人)が読んでくれてるのか知らずに
ブログを書いています。時々、友人から読んでいるよと教えていただきます。
どうして、毎日書こうとするのか自分でも不思議でした。
読み返したりします。今の心境とは違います。
その日だけのことのようでもあるし、今もそう思っていることでもあります。
それは、過去の自分と向き合う新たな出会いにもなります。
不特定多数の他人に宛てたブログです。
実は、自分に向き合っていたんだと思います。
廣村さんは、「何かが足りない」と気づかれます。
なぜ、寺に手紙なんだと。
掘り下げることで、住職の想いに気付きます。
父からの遺言のような手紙。一瞬にして感動した。
師匠からの励ましの手紙。その時は、分からなかったことが今ではありがたいとなる。
なぜ手紙なのか。住職の想いが伝わるようなサインを考えていきます。
気づき掘り下げること。これが仕事です。落としどころです。
これがあったら、きっと楽しいだろうなと提案します。
死にもの狂いでやってみます。
廣村さんの仕事の流儀は、「確信(きっとこうだろう)」のような気がしました。
挑戦と確信は違います。
確信には、いろんな重みがついています。
今日のテーマは、他人に宛てたものが実は自分をみつめるということに気付かせていただき
「言って、見つめて」と簡潔なキーワードにしました。
道端の 地蔵が清き 道しるべ
2016年11月11日