
熊の摩崖仏です。
私たちは、時々「どうしてこんなもの」をと理解に苦しむ事象や景色を見る。
理解を越えて存在する。
何でも分かろうとすること自体やめた方がよい。
頭より体全体で感じたらよい。
今日のタイトルは、「何にもできない幸せ」です。
2月に町内会の旅行に夫婦で参加した。
飲むこと以外、何にもすることがない。
飲んでは寝て、起きたら風呂に入る。
腹が空いたころ、飯を食う。
そして温泉に入る。
話は、馬鹿話ばかり。
笑って過ごす。笑い疲れたら寝る。
ルーチンワーク(炊事洗濯掃除)をやろうにもできない。
コンピューターを開けることもできない。
しんしんと降る雪を眺める。
ただただ身体を休めることになる。
暇で死ぬかと思うこともない。
目的をもって考えることもない。
ぼーっと一日を過ごす。
こころの休息です。
心配事を片づけたいけど、道具もないし、なにしろその場に行けない。
休んでいいんだよ。と自分に言い聞かせる。
わかったと手足を伸ばす。
思いっきり伸ばす。
頭が空っぽになる。
心配事が消えていく。
家に帰り、いつもの生活が始まる。
また旅に出ることができたらよいな。
釣銭の中から500円玉を貯金箱に入れる。
山里の 木立のあいま 風が抜け
2019年3月17日
<<投稿後>>
やらなければならないことが目白押しの毎日です。
誰がやるとは決まりごとのない仕事を追っかけています。
やりたくてもできない。
そうだったのかと自覚する。
自分はいつしか病んでいた。
それを実感できる時を、自ら捨てていた。
その時感じた気持ちを表現しようと書き始めました。
どうにもうまく表現できませんでした。
なんにもできない幸せ。
できないこと(神の領域)を楽しむ習慣をいつしか捨てていたように思う。