
誰もが気味悪がる「へびの姉さま」です。
機能(食虫草)を追求すると、こうなってしまったんです。
今日のタイトルは、「ぶすも美人」です。
あんたは、黙っとったらめんこいのにと言われる女性がいます。
古手川祐子さんにちょっぴり似ている。
私は、似顔絵を描いています。
お会いした方々の顔と名前を連動させて覚えるためでした。
出来上がった似顔絵をお渡しして、さらに仲良しになる。
二時間以上その方の写真を見ながら格闘します。
中には、写真であれど長時間見られるのが恥ずかしいと言われる女性がおられました。
写真ではなく似顔絵にする。
美を感動に高める作業と、勝手に思い込んでいます。
幾枚かの写真の中から、この人らしさを選びます。
この人の人柄がきらめく写真に心が魅かれます。
少しの間、夢中になる。
人の顔は、パーツでできている。
パーツがその人らしさを強調している。
そう思っていました。
若い時は、それにKnockoutされていました。
薹(とう)が立つ頃から、女性の顔を冷静に観られるようになりました。
生きざまが、その人らしさを醸し出している。
それが、顔に顕れる。
その表情を抜きたいと描いています。
シャッター街の再生に一役買った一枚の写真。
シャッター街に住む老人の顔でした。
生きざまが刻まれた皺(しわ)の数々。
眼は遠くを見ているようでした。
衝撃を受けました。
言葉は不要でした。
ぶす(醜女)と言われて、自らも思い込んでいる顔です。
似顔絵を描いていると、良いところを美しいところを探そうとします。
なぜ明るいのか、ウイットが効いた冗談を言えるのか。
眼であったり、口元はたまた団子っ鼻だったりします。
この人らしさを著すパーツです。
そこに「美」を感じます。
この人がいて、パーツがあるといった発見です。
素晴らしいパーツ(と感じた)から描き始めます。
その人の良さが画面に広がっていきます。
似顔絵を渡したとき、描かれた主人公が「あれっ」という顔をされます。
表情は、「なぜ私を知っている」に変わります。
妻が描かれた似顔絵を見て、夫が不審がる。
主人公と私の間になんかあったのか。
俺しか知らぬ表情なのにとなるのです。
幾度かそんな夫の顔に会いました。
しめしめです。
こんなわけで、「ぶすも美人」になる。
関心がなければ、見た通りぶすです。
良いところを探そうと、関心を持つと「ぶすも美人」に変身するのです。
いやいや、参ったと感動したことも幾度かありました。
あとは、「できるかな」の挑戦が始まります。
眼鏡美人の眼鏡を取った似顔絵を描く。
家族しか知らぬ素の顔を想像する。
裸にするような所業です。
ごめんなさい。
嫌いなら 閉じてしまうの 福寿草
2019年3月19日