
僕一人で渡れるよ。絵のタイトルです。
跨げる距離のはずだった。
あとは推して知るべし。
地域おこしの仕事も、あと二日になった。
同じ地域の協力隊員の目に映る私は、何でも噛みつく猛獣のような存在である。
その私が、赴任当初は悩んでいたことなど露ほども知らない。
誰にも相談ができない。誰にも本音が言えない。
発見をしても、それを是正するのはタブーであった。
触れることさえクエスチョン。
外から目線で内から発信の嘘(望まれていない)を見抜いてしまった。
今日のタイトルは、「新しいことを面白がる」です。
思い起こせば、転職の歴史である。
転職後、三年は社業に触れさせてもらえなかった。
困りごとハンターばかりをさせられ、来る日も試された。
私のことを知らないし、前の会社の悪癖を持ち込む人だと思われた。
つまり、社内に波風を起こす人である。
状況は、同じである。
信頼を得る年数も同じである。
馬鹿々々しいといえば、その通り。
これが、日本人と言ってしまえばあまりにも悲しい。
英会話を習って、準備を完全にして外国に行く。
そうではない。
日本語をどれだけ習得できているかの方が大事なことである。
滝(Fall)の単語を知らなくても、水(Water)と落ちる(Drop)は知っている。
出川よろしく、明るい笑顔と知りたいという表情が前面に出れば、
外国人は面白がって相手になってくれる。
日本語で滝の意味を伝える能力と、誰とでも親しくなれるエンターテイメント性である。
そういう私も、新しいことは苦手である。
コンピューターで文章を書こうにも、
コンピューターが新しくなるごとに文章を書くツール(花子からWORD)が変わる。
そのたびに格闘である。
JRから私鉄に北千住で乗り換えた。
Suicaで自動改札を抜けようとしたら、ブーッブー。
駅員に止められ、ここで一回精算しろという。
馬鹿言ってんじゃないよ、切符なら通してSuicaならだめ。
単に、システムの不備なのにお客に謝ることもなく精算しろと面倒くさそうに言う。
もっと、偉いのを出せと噛みつく。
ふざけんなよ。と生きてきた。
毎日新しい人が入ってくるドイツの空港でのできごとである。
スイス人の同僚が、私をこっちに並べと手招いた。
もう一つの入管手続きの列には、民族衣装を着た黒人の列があった。
黒人というだけで、手続きはいっそう厳しくなる。
黒人がスーツを着ていれば、話は変わる。すんなりである。
飛行機の中でタバコが吸えた頃、スイスの片田舎で老人に、これ見よがしに唾を吐かれた。
機械を勉強するために遠くから来たけれど、ボルトを緩めてまた締めるの繰り返しの訓練だった。
楽ができてよいとは思わなかった。
馬鹿野郎、わが社(外資系)の社長を出せと思ったが言えなかった。
言葉を思い出せなかった。
しかし、夜のバーではスイス人のきれいなお姉さんと
ドイツ語と英語と日本語でやっつけた。
新しいことは、億劫である。
だが、なんだ。二日も格闘していれば慣れる。
ぶすも三日も経てば慣れるし、美人にもあきる。
そんなものなのである。
ますます、新しいことが苦手なお年頃である。
この野郎と、果物や樹木の苗を植える。
実がなるより先に逝ったってかまわねえ。
今、したいんだから速攻です。
立たなくなって浮気はできめえと誰かから聞いたような。
話が飛んでばかりの「新しいことを面白がる」でした。
今度は、別の角度から切り込みたい。
節約だ わかっちゃいるけど いつ使う
2019年3月27日