故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
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見事枝振り(山椒)というタイトルです。
木陰にいつしか生えた山椒です。
小さい木でしたが、精いっぱい枝を広げていました。
今日のテーマは、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」です。
身体は短小でも、鋭い気性や優れた才能があって、侮ることができないのにいう。
(広辞苑より)
この辺りでは、山椒が多く自生しています。
刺のあるのが本山椒と言われています。
木の芽として、収穫したことはありますが、
種をとって粉山椒にしたことはありません。
種の周りの殻を粉にして香辛料として利用するのだと知りました。
中学生までいつも一番前かその次でした。
中学の担任が、小さいことを悩んでいる私を励ますために、
「山椒は小粒でもぴりりと辛い」と教えてくれました。
その真意と優しさがよく理解できないまま、
「小さい」ことに変わりがないとコンプレックスを持ち続けました。
高校生になり、急に背が伸び始め普通になりましたが、
コンプレックスはこびりついたように癒されず、
他の悩みと一緒になり、ちぐはぐな精神状態でした。
先生が、「山椒は、ぴりりと辛い」と言ってくれていたならば、
自分で「小粒でも」を補足して、劣等感は和らいだかもしれないなと
今は考えます。面と向かって「小粒」と言われたことで、
心を閉じたのだと思います。
要はひねくれものだったのです。
娘に、「器量はもう一つだが、気立てはよいな」と言って
褒めたつもりが、猛反発に会います。
余計なことは言わず、「気立てがよいな」と言ってあげればよかった。
もうすぐ、土用の入りです。
国内産の鰻は、高くて口にはできませんが、
粉山椒をいっぱいかけたうな重は、未だに憧れの食べ物です。
代わる何かで、精をつけて来る夏の暑さを乗り切りましょう。
山椒にまつわる話でした。
梅雨空に 干しもの溢れ アイロンがけ
2017年7月25日
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障子に映ったベランダの植物が風に揺れていました。
取り残されたような寂しい気持ちになったことを覚えています。
今日のテーマは、「記憶」です。
記憶とは、
物事を忘れずに覚えている。または覚えておくこと。
また、その内容。もの覚え。
生物体に過去の影響が残ること。
(心)過去の経験の内容を保持し、それを後で思い出すこと。
将来の行動に必要な情報をその時点まで保持することも含む。
(広辞苑より)
このような説明が出ていました。
「生物体に過去の影響が残ること」について考えてみたい。
誰にも辛い想いや思い出したくない過去があります。
心に悪影響を与えることがある。
辛い想いの記憶は未消化のまま、脳に記憶として残ります。
学校でいじめに会う。
最初は小さい悪ふざけのようなものだった。
いずれなくなるだろうと願っていた。
心の傷として残るまでに、
解きほぐすように、自分に向き合い時間があったら、
誰かの助けがあったら、
氷が解けるようにさらっとした水になることがあります。
辛いと思った記憶も、
経験を重ねることでなんでもないことだと理解し、
笑い話になることもあります。
SNSで、「いいね」を求められます。
感覚的に、「いいね」を返します。
果たして良いことなのかと、後で少しだけ思い返します。
情報が溢れています。取捨選択はなかなかできません。
世論に流されるように生きることにしました。
いつからそうなのか記憶を辿っても。判然としないことがあります。
なんとなく気持ちが悪い。
私は、「いいね」を返すのをやめることにしました。
SNSで共感することは少なくなりました。
併せて、大事な思い出として、物を残すことも止めました。
「とりあえず」と残すことを止めました。
ものは、ゴミとして残ります。
未消化の記憶は、気持ち悪さとして残ります。
記憶は、ものとして残さない。
その代わり、気になったことはその場でじっくり考えることにしました。
毎日やっていると、長い時間は必要としなくなりました。
そして忘れる。
考えたことも残すことを止めました。
同じことで悩むこともあります。
また、考え直す。
そして忘れる。
義理だけの付き合いも止めました。
「今」だけに集中しています。
記憶は氷解し、「昔からこうだった」と思うようになりました。
広辞苑による「記憶」の説明に、
「将来の行動に必要な情報をその時点まで保持することも含む」とあります。
気になっていることを毎日考えるようになってから、
そのことを都度忘れると書きました。
脳はよくできているもので、
じっくり考えた事柄は、思い出すことも容易で、
次にじっくり考えたことと、上手く融合してくれます。
考えたことを引き合いに出し、
次の展開に引用することもできるようになりました。
忘れることを恐れなくなりました。
同じ年代の友人と話すと決まって、
物忘れがひどくなってと現役で働く友人が言います。
彼は、物忘れが罪のように思っておられるのです。
私は、誰がそれを知っているかだけを覚えれば良いのです。
必要になったら、その人に聞けば良いとアドバイスします。
記憶の壺は、常に満杯です。
新しい記憶(今朝何食べた)からオーバーフローします。
それでよい。何にも支障はない。
忘れたら、調べたらよいし聞けば良い。
尋ねることも怖くない。
認知症の方がおられます。
時々、道に迷われて誰かの世話になります。
迷ったら、誰かに聞けばと話します。
恥ずかしいから聞けない。と答えられました。
もう一つ、記憶に関して注意していることがあります。
嘘をつけなくなりました。
あの人にこんな嘘をついた。
覚えていられなくなりました。
嘘も方便。
これが出来なくなった分、世間が狭くなったとも言えるでしょう。
物忘れ 恐れるなかれ また習い
2017年7月24日
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対話に必要なのは、この笑顔です。
今日のタイトルは、「対話」です。
対話を取り上げた、高校生とのシンポジームを見学しました。
自分なりに得るものはありました。
高校生の生の声が聴けました。
パネラーのコメントが聞けました。
対話がテーマなのに、一方的な発表会でした。
最後にパネラーが、何度も何度もこんな風景を見てきました。
「高校生は素晴らしい」と聴衆が言われます。
しかし何にも変わらないのです。
たぶん当事者としての切実な想いでしょう。
一生懸命やっているが伝わらない。
そうでしょうか。
高校生だって、なんも変わらない。
いつもの生活にまた埋没してしまう。
対話とはなんでしょう。
対話とは、「一人に向き合う」ことです。
スーパーの佐藤さんのように、「一人の客を大切にする」ことです。
教育とは、一人の子供を救うことです。
飲み会で、一人と話し込むことです。
集めた名刺の数を競う賀詞交歓会のような対話をやめませんか。
対話をしたければ、自分が変わることです。
自分のポジションを維持しながらの対話はあり得ない。
相手の立場になって、初めて対話はできるようになります。
まともなパネラーを一人だけ見ました。
このようなシンポジームにたくさん出席しました。
パネラーは、大学の教授であったり、役人や教育者であったりします。
肩書は必要ない。自分のリスクを取らない意見は聞いても抜けてしまいます。
たぶん、主催者は「きっかけづくり」から
対話が生まれるのだと考えたのでしょう。
良い機会をいただけました。
高校生に伝えたいことがあります。
後輩が、自分たちの行動を引き継がない。
地域の大人が、機会をくれないと言われましたね。
活動を通して、あなたは変わったでしょう。
あなたの想いは、誰かの心に届きました。
機会は、待っていても与えられません。
さらに自分が変わって、機会を作ることです。
誰もが使う「巻きこむ」ではなく、「分ける」です。
あなたのしたいこと、こうだったら良いなを分けることです。
何だか面白そうだな。自分も混ざりたい。
では一緒にやりますか。やらせてあげましょう。
都度、対話の相手は変わって良いのです。
いつまでも友達を引きずることはありません。
「来る者は拒まず、去る者は追わず」です。
それには、常に自分が変わることです。
その人が抱えている難題を一緒に考えましょう。
自分にできることがあるとしたら、
何度も変わった自分の経験です。
自分が変わらないで、対話はありえません。
母ちゃんの 小言せき止め 飛び混もう
2017年7月23日
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横須賀の山に鎮座する石仏です。
三体三様の姿です。
今日のテーマは、「起死回生」です。
プロジェクトエンジニリングでは、あってはならぬことです。
読み通り、スケジュール通りに進むのがプロジェクトです。
先輩から聞いたことがあります。
杭がずぶずぶと沈んでいくのを見て諦め気分だったと。
100m打っても止まらない。摩擦杭でやっと止まった。
助かった、まだやれるかもしれない。
バブルがはじけて、物の値段がなんでも落ちてきた。
予想しないことが起こってしまった。
現場に滝を作った。使っても使っても儲かってしまう。
儲かったお金で、一等地にビルを買った。
起死回生とは、
死にかけていたものを生き返らせること。
だめなのを立ち直せること。(広辞苑より)
またの話がある。
会社に人がいなくなった。
全員、ある国のプロジェクトへ応援に行った。
結果、請負金額と同じ金額のマイナスになったことがある。
怖ろしい話です。
資材を運ぶ道に岩盤が出た、せっかく懸けた橋が流された。
こんな時こそ、起死回生の一打が欲しいものです。
ほとんどの失敗は、人災です。
ばれないと思ってインチキを一つだけした。
たまたまチェックして、その一つを見つけてしまった。
全部のチェックをやり直すことになった。
仕舞を剥がし、日本中から検査員を集めて全力でやった。
会社がおかしくなった。
起死回生はないものと考えた方が良い。
プロジェクトは先の見えぬ博打のようなものだと言われます。
そうであってはいけない。
予想できないことをできるだけ小さくし、
ぶれ巾をカバーできる策を考えておきます。
ピンチをチャンスに変える度胸が求められます。
カウンター案を出せる準備をしておきます。
プロジェクトマネージャーは、正直だけでは勤まりません。
ピンチの上をいく胆力を備えています。
プロジェクトが終わったら、空っぽです。
エネルギーはちょぴりも残っていないのです。
起死回生は、自分の中で少しずつ起こります。
過去の失敗を今の成功にする力です。
学んだことと同じようにはいかない。
常に観察し、出来ることを休まずに気負わずにやることです。
地域おこしは、起死回生ではない。
地域は、日本は死んではいません。
でも、そんなことも頭をかすめる状況のところもあることでしょう。
バンカーで ピンに背向いて 打つことも
2017年7月22日
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5b/66/7df3c85e2b67bf5b8a7e5a47809048c7.jpg)
たまには、遠くへ行きたいものです。
今日のテーマは「楽しむ」です。
引き算ではなかなか楽しめない。
少しでもよくなる足し算でなきゃ。
できたよと楽しむことです。
昨日は、朝から曇り。絶好の草刈り日和です。
気になっていた空き家の草刈りでした。
草刈り機で刈って、刈った草を集め畑に運ぶ。
草刈りをした人が、草を片付ける。普通のことです。
3時間後に、一軒片付きました。
出来るかなと始め、なんとかできたと終わります。
夏に汗をかくと、汗をかく分体重が減っていきます。
たっぷり水分補給して、またたっぷりと汗をかく。
ほおがこけてくるのが実感できます。
さて、楽しむです。
笑顔で迎えると、笑顔で入って来られます。
どんな店なのかなと次の嗜好に進みます。
案外美味しいじゃないと、また笑顔になります。
店の人と話ができるのも楽しい。
これは、楽しいの連鎖です。
楽しいことは長続きしない。
出来ないと思ったけど、出来てよかったなと
思うことが多くなるでしょう。
少しずつハードルを下げるようにしましょう。
「楽しむ」ことができるよう。
出来ぬよと 寝転がって 見つけたり
2017年7月21日