故郷を離れて早40年。私は、故郷に何かの恩返しをしたい。
絵のタイトルは、「春うらら」です。
一時期、水や夕暮れに凝っていました。
どうしても、移り行く波を描きたくて挑戦しました。
ブログを書くのが、飛び飛びとなっている。
それでも、読者の方が読んでくださっている。
すべての記事は、私全部であり、その時々の想いです。
今しか書けないと毎日綴っています。
今日のタイトルは、「復興高速道路」です。
九州の東海岸、山陰、そして東北の東海岸で高速道路が造られています。
東北の東海岸の被災地を縦貫する高速道路は、90%が完成された。
大津波で被災された方々や、福島第一原発の放射能事故で住めなくなった方々の帰還を期待している。
復興高速道路の周辺地域では、人口減少が著しい。
それなのに、住めなくなった土地の地価が上がっている。
高速道路に経済的価値を認めた方々の投資熱によるものである。
現在、この地域に住んでいる人たちの多くが、日本全国から仕事に来ている人たちである。
税金を使い、帰宅困難者の不安を解消し帰りやすいように、地面を17m嵩上げした。
皮肉にも、元の住民ではなく新規参入者(仕事をする人、全国展開の企業)が多く入ってきている。
茨城県鹿島から群馬県前橋迄、栃木県を横切る国道を通るより、
いったん東京方面に南下し北上する方が時間がかからなかった。
東北道と常磐道をつなぐ高速道路が整備されてきた。
東京の交通渋滞緩和のためであり、地方経済活性化のためでもある。
新しい道ができるたびに、発展する場所と寂れる場所がでてくる。
人の流れと流通網が変わるからである。
永い歴史の中で、時間をかけて淘汰と収れんが繰り返される。
環状線として、国道7号でもない8号でもないと16号線(首都圏環状線)が造られた。
さらに外環道、圏央道と東京を取り巻く環状線が造られた。
16号線沿いには郊外型の大型店が並ぶ。今や畳む店も多い。
東京は、ドーナツ化からセンター化(千代田区、港区、品川区)に移行し、
かつての山の手(杉並区)や、川崎、横浜さえ、寂れているのである。
ましてやさらなる郊外は、電車の間引き運転となっている。
効率を重視したサプライチェーンが、全国の流通網の高速化に拍車をかけている。
自己完結型の都市構想は、今や江戸時代の藩制までさかのぼる。
時代の変化に対応し生き延びる。隣近所のよしみも崩壊しながら新しい血を吸収する。
コロナで人々の往来が少なくなり、経済的に打撃を受けている。
もろいけれども、私達は多くを学びながら対処する。
余談ながら、新潟の高速道路らしきものは無料である。
角栄さんの時代、アメリカに行って高速道路を学んだらしい。
地方にある多くのスーパーサブ的なバイパスも無料である。
そのうち、高速道路も料金所をやめ無料になるだろう。
駅の改札も廃止すればよい。だって、無人駅もあるではないか。
高速道路は防音壁とトンネルだらけで、景色も見えない。
中国は、インフラ整備(アナログ通信)ができないほど国土が大きすぎる。
デジタル化(無線を利用したインターネット通信)が進む大きな要因である。
目論見をはるかに超える、技術の変化が起きている。
知恵が追い付かない。
不便だからよい。
不自由こそ自由だ。
なかなか言えないご時世である。
分業が進み、かえって非効率になっていると誰か言って欲しい。
コピー機メーカーが、安い労働力の中国から日本へ生産拠点(組み立て)をもどした。
ベルトコンベア方式の生産より、個人が最期まで組み立てるほうが優れていたからである。
デルが、重要な部品を自社生産し、ニーズに併せた組み立てだけをOEMにした。
あとのクレーム対処に金をかけるより、信頼を勝ち取る道を選んだのである。
老人ホームだって、バリアフリーをやめて家庭で暮らすのと同じように障害物を作っている。
何が老人にとって真の助けになるか、皆で考えている。
かつて、この地に来て「何にもないのがよい」と思った。
行政の目論見で造った、また金儲けがしたい人たちの箱モノや残骸が見当たらなかった。
地道に働いて、家族が寄り添って生きている。
行政に変な力が無くてよかった。
ほったらかしてくれてよかった。
期待もされなくてよかった。
今も、「何にもないのがよい」と言える。
都会では見えなかったよいものを、いっぱい見たからだろうか。
この稿、長くなりました。
最後まで読んで下さって、ありがとうございました。
他の記事も読んでください。
私の独断と偏見で綴っています。
無知の知は 謙虚な人の 言葉なり
2020年3月20日
<<これから>>
先輩が訪ねてくれて、地域の友人とゴルフです。
一向に上がらぬ腕前です。
よかったり、悪かったりを楽しんでいます。
私なりのインバウンド(地域活性化のため、地域外の方々と地域内の交流)です。
絵のタイトルは、「奥山にコトリと水落つる」です。
奥多摩の林の中にあった小さな滝を描きました。
朝起きて窓の外を眺める。
昨日と同じ風景のようで、どこかが違う。
林道は、草がぽつぽつと生えてきて、樹間から陽が漏れている。
陽と陰は、一瞬ごと変わっていく。
作業小屋の周りに霜柱が立っている。
掘った暗渠どおりに、霜柱が並んでいる。
今日のタイトルは、「暗渠」です。
田んぼなど水はけをよくするために、暗渠を掘り埋める。
暗渠に入れる腐りにくいものが、もみ殻やしの竹である。
今は、クボタ製の暗渠用パイプである。パイプにところどころ小さな穴が開いている。
余分な水は穴から抜けてパイプに貯まる。
パイプの末端に設けられた排水弁を開放し水抜きをする。
昨年の豪雨の時、林から流れてきた大量の水で作業小屋が10cm程浸水した。
それではと、今年の冬に暗渠を掘った。
一昨日降った雪と雨が、暗渠に流れ、寒い朝に蒸発した水分が霜柱になった。
4年前、山際に掘った塹壕(1.5m深x2m幅x15m長)のお陰で、
昨年の豪雨の時、林から流れてきた大量の水でも畑の表土が流されなかった。
しの竹の補給路を断つために掘った塹壕であり、その後伐った木の枝を埋めた。
塹壕が、図らずも暗渠となった。
塹壕に閉じこもり、鴨のダウン毛をむしった。ダウン毛は燃やすと臭い。
毛を季節風に飛ばされることもなく、穴に留めた。
今朝、隣のばあちゃんが大根は食べられるかいと聞いてきた。
畑で取り残した大根がある。土より上は凍みて駄目になった。
土に埋まっている部分は、食べられそうだと妻が切り取って、料理した。
そのままをかじったわけではないので、より美味くなっているのか判断できない。
晩秋に取り込んだ大根は、土に埋めて上に霜よけの板を渡し冬の間保管した。
必要に応じて掘り出し、カフェで使い続けた。
保管場所の土に水が流れ込むだろうと、ばあちゃんは心配を私に話した。
保管場所に水が入らなかったのは、私が掘った塹壕のお陰だと説明した。
旦那さんは頭がよいねと褒めてくれた。
水とのつきあいは、古来から続いている。
雪解け水を、表流水として空気に触れさせ水温をあげて田んぼに流す。
インドでは、地中深くを流れるヒマラヤからの雪解け水を木の根で吸い上げ、水路で流す。
木を植え続けたのが、日本人である。
ブナは、上に伸びている高さの分だけ、深く根が張っている。
落葉も地中水分の蒸発を防いでいる。
杉や竹は、意外と深く根を張らない。
根が深い故に、ブナ林が自然のダムと称される。
サントリーの山崎蒸留所では、地中で17年間地中濾過された水をウイスキーの原料水としている。
水がうまいかどうかは、人々が判断する。
老人が 水はやるなに 隠れ水
2020年3月19日
絵のタイトルは、「命の水」です。
毎年のように干上がる島で山に深い横穴を開けた。
おかげで、夏でも水が絶えない。
今は、単なる草に埋もれた湧き水である。
朝の片づけも終わり、観たい番組も見終えた。
将棋カフェについて特集をやっていた。
沖縄に出張した時、お客さんと飲みに行った。
割烹で、飲みながら碁を打った。お客さんのなじみのバーに行きそこでも打った。
そして、カラオケを歌った。どちらも下手だなとお客さんの評であった。
小学生の頃から、将棋も碁もできた。そのころは、近所の大人に勝っていた。
営業で時間があるときは、碁会所にも行き知らない人と打った。
今は、碁を打たないし将棋も指さなくなった。
昨日降った雪に照り返す陽の光がまぶしい。
コーヒーを飲んでいる。
会社勤めの頃は、いつの痛みか何の凝りか推測できた。
背中に張りがある。何をやったからと判然としない。
毎日、なにかしらで身体を使っているから気にすることもなくなった。
連夜予約客があり、自宅に帰るのは10時を回っている。
疲れるが、毎日の一生懸命が売り上げになっている。
コロナで心配したが、無用であった。
めったに人が来ないカフェでの感染を、来客者が心配している様子はない。
何が何でもブログを書かなければと頑張るでもない。
関心があること、頭をよぎることをまとめている。
昨日のテーマ「他人の苦しみ」について、捕捉する。
自分の苦しみ(疲れ、ブログのタイトルが浮かばないなど)ばかりを気にして生きている。
そんな自分を気づかせてくれたキーワードでした。
「他人の苦しみ」について、想像する時間が乏しいと気づいた。
「他人の苦しみ」を少しだけ考えると、自分の戒めになった。
分かってもらえないと、多くの人が孤独感を持っていることだろう。
その人の眼をみて聴くだけのことだった。
言葉が耳に残り、自分は何ができると探る。
聞くだけでもよかったのだ。
ちいさなことだが、自分にもできることがある。
時間をつくって、すぐにやる。
私にとっては小さなことでも、他人には大きなことだった。
逆のこともあるだろう。
気が晴れた。
上が下 右が左と 視点変え
2020年3月15日
絵のタイトルは、「あばたもえくぼ」です。
筍にも豆の房にもなにやら傷のような斑点があります。
見ようによっては、美味しいサインかもしれません。
今日は雪。
「自決した夫がどれだけ辛い思いをしたか考えると、私の苦労なんて」と、奥様は言われた。
夫は、敗戦濃厚な日本を救う技術(ジェット機図面)をドイツから日本へ持ち帰ろうとした。
家族あての遺書だけが残された。
ドイツの潜水艦で日本へ帰る途中に、ドイツは降伏した。
ドイツは、同盟国ではなくなった。捕虜になることを勧められたが、夫は家族の汚名を心配し自決した。
今日のタイトルは、「他人の苦しみ」です。
他人の苦悩は、なかなか分からぬ。
考えようともしない。
年寄りの話を聞くボランティアとして、夫は施設に行った。
夫が聞くどころか、自分の話を聞いてもらってるのよ。と奥様が言う。
他人の話に耳を傾けるのは、甚だ難しい。
私のブログも、人の役に立つなんて思いながら、自分の自慢話をしている。
私も経験者として、年寄として塩漬けになっているのだろう。
自分が生きてきた狭い世間に染まり、知らぬうちに社会(会社)の塩に漬かっている。
塩抜きはなかなかできぬもの。証拠に定年後再就職した子会社に染まることができない。
「他人の苦しみ」に思い至る。
どんなにつらかっただろうと考えるだけで、自分の前のもやもやが晴れていく。
妻の話にも耳を傾けるようになる。不思議ですね。
カフェに来られた80歳オーバーのご婦人二人が、
何の料理を出しても美味しいと言われる。
私は、推測した。
一人きりのご飯は、おかずが少ない。
若い人と同居でも、もう料理は作らない。
若い人は、残ったものを捨てる。旬の野草を料理にはしてくれない。
そんなことで、いろいろと出てくる料理が嬉しいのであろう。
一人住まいのご婦人が、カンリキ(耕運機)で耕してくれると嬉しい。と言われた。
近所なので、畑を見に行った。色んな野菜が植えてあった。取り残しもあった。
3反の畑を鍬で耕しておられる。少しの助けがあれば、好きな野菜づくりを続けられる。
私は、カンリキを軽トラに載せ、畑に向かった。
ほんの一時間、耕した。大いにお礼を言われた。
デイケアでゲームをしたり運動をするより、本当は畑仕事をしたいのである。
できた野菜を子供に送ったり、近所の友人にあげたい。
少しの助けとは、いったいなんだろう。
まずは、「他人の苦しみ」を知ることであろう。
地域活性化は、そんなことから始まるような気がする。
梅花さえ 肩をすぼめる 雪しずく
20203月14日
寒い朝、「これからぞ」(タイトル)と春を待つ。
春になり、「おはよ」(タイトル)と顔を出す。
今日のタイトルは、「インプット&アウトプット」です。
フキノトウを地域の方からいただきました。
フキノトウは独特の香りがあり、苦みもあります。
てんぷらが美味しい定番料理です。
パンに練りこんで試食しました。香りを発見するかのように楽しんでいただけました。
青唐辛子味噌を作った要領で、フキノトウ味噌に挑戦しました。
青唐辛子:味噌:砂糖:シソの葉=4:2:1:1で作っています。
フキノトウ:味噌:砂糖:豚バラ肉(しゃぶ用スライス)=12:2:1:1が美味しかった。
こんがりするまで豚肉を炒め、フキノトウを合わせて酒で蒸す。
味噌と砂糖を加え、フキノトウの緑が残っている程度で火を止める。完成です。
フキノトウをいただいた方に届けました。美味しいと夕方には連絡をいただきました。
みずみずしいフキノトウをいただくのがインプット、
美味しいものにして届けるのがアウトプットです。
売れ残りのパンを近所に配る。
近所から野菜をいただく。
カフェでいただいた野菜をお任せ料理として、地域の方に食べていただく。
有り余る野菜の量の時は、捌ける都会の友人に送る。
友人から珍味と高級菓子が届く。
カフェで、お茶うけにまた酒のつまみとして出す。
パンがインプットで野菜と料理と珍味がアウトプットです。
もらったなんて、正直に言わなくてよいと、お客さんに叱られます。
数々の刺激を受ける。良いことも悪いこともある。
悪いことは、憎しみとなり戦うことになる。
良いことは、そのまま感動として残り応援をする。
損得勘定のない生き方となる。
その生き方に共鳴感謝し、人々が集まる。
人々が集まるから、文化が生まれる。
数々の刺激がインプットです。
文化がアウトプットです。
こんな世の中が好きです。
インプットもアウトプットも惜しまず提供する。
アウトプット期待のインプットは存在しない世界となる。
インプットから必要以上のアウトプットを取らないし、
またインプットとして循環させる。
インプットが素材であり、アウトプットが加工品であるとしたら、
インプットの苺農家はさらに美味しいものを作ろうと努力をする。
美味しい苺をケーキにし、多くの人に届けるものが、苺ブランドを広めることになる。
菜畑で 花と蜂とが 蜜の縁
2020年3月9日