2025年2月28日のブログ記事 【 ブログの投稿をしばらくお休みします 】を見た複数の知人から「どうしましたか?」という心配メールや電話を頂戴し、それぞれ個別に返答させていただきました。今回のお休みは家族と私自身に生じた二つのことが偶然にも重なってしまい、ブログ記事を書く余裕がなくなったことが原因です。しかし、3月10日(月)になって解決に向けた一定の方向性が得られたことからブログの投稿を再開します。
今回の記事は星や旅のことではなく母の介護と私の個人的なことです。このブログは私の日記代わりのブログを兼ねていますので何卒ご容赦ください。介護について悩んでいるかたには参考になるかもしれませんが、興味のないかたはどうぞ読み飛ばしをお願いします。
99歳になる母はこれまで要介護1でしたが、2月26日(水)の夜に激変。自力歩行はおろか、自分で立ち上がることもままならなくなりました。2月26日の午前中までなら母は室内をゆっくり歩くこともでき、簡単な調理作業も可能でした。日常生活のほぼ全てのことに介助がいきなり必要になってしまったことに驚きました。それまで使っていた歩行器も全く役に立たなくなり、車椅子が必要です。
母の様子が激変した翌日の2月27日(木)にケアマネージャーさんへ連絡し、室内用車椅子のレンタル、要介護認定区分の変更申請、介護訪問員(ヘルパーさん)派遣について相談。
3月4日(火)から毎週1回のヘルパーさん派遣が始まり、少しだけ私がホッとできる時間ができました。ケアマネさんからも私1人で抱え込まないようアドバイスを頂戴しています。寄り添ってくれるケアマネさんとヘルパーさんに感謝です。
母は、これまでの穏やかな表情が急に険しくなり認知機能も急激に低下。3月5日(水)には私のことを他人と認識することがありました。2月中旬から続いている両下肢皮膚の痛みが時々激痛になる影響のためか、幻覚・被害妄想などの錯乱や興奮も少しずつ発出。スタッフへの不信感、服薬拒否、私への攻撃行動も増えてきました。母に寄り添い日常生活のほぼ全てを介助しているつもりですが、被害妄想からくる曲解や非難の言動が常時あって私の気がなかなか休まりません。
また、3月6日(木)に緊急往診してくれた在宅訪問診療の医師に対し、興奮のあまり手を上げたり不信感マックス状態。医師も対応が難しい状況でした。
また、詳しいことは省きますが、私の思い違いで数年間にわたり知人に迷惑をかけていたことが最近になって判明。自己嫌悪感で凹んでいる最中に起きた母の急変でした。
以上のダブルパンチの影響で私が寝られなくなったことや、母の幻覚妄想状態・精神運動興奮状態などの対応を相談しようと3月6日(木)の夕方、母が寝ている間にメンタルクリニックを受診。
精神科医が時間をかけて聞いてくれた結果、やはり私のことよりも母への対応を最優先し精神科への早急な入院を勧められました。
以上のことをケアマネさんと在宅訪問診療の医師と共有したところ、早急に母の受け入れ先を検討してもらえることになりました。この日の深夜から明け方にかけ母が壁や家具を叩く騒音がお隣さんにまで聞こえていたことを近くに住む民生委員さんから教えてもらいました。
3月7日(金)10時に母の知り合いでもある民生委員さんが心配して来宅。4時間も母に寄り添ってもらった結果、ようやく母は服薬を再開。
両下肢皮膚疾患の激痛が精神疾患的な言動を招いている可能性があるため両下肢の治療を優先することとし、在宅訪問診療の医師とケアマネさんの奔走で総合病院への入院が決定。3月10日(月)10時に介護タクシーで病院へ到着し無事入院となりました。
2週間続いた自宅内での全介助がようやく一段落です。
入院先の看護師さんや地域連携室のスタッフさん達から私へ「大変でしたね。しっかり休んでください」とねぎらいの言葉を個別にかけていただきました。病院スタッフの皆さん、私がどんな状況だったのかが想像できるのですね。入院手続きをし帰宅後に体重を測ると2週間で6kg減っていました。ダイエット成功です。(笑)

2月26日(水)の午前中に皇居の庭園で撮影した寒椿?の一種です。
今回、初めて介護タクシーを利用した体験を3月13日(木)のブログ記事で紹介しようと思います。その次の3月15日(土)のブログ記事から通常通り「星と旅の記事」に戻ります。ご心配をおかけしました。m(_ _)m
今回の記事は星や旅のことではなく母の介護と私の個人的なことです。このブログは私の日記代わりのブログを兼ねていますので何卒ご容赦ください。介護について悩んでいるかたには参考になるかもしれませんが、興味のないかたはどうぞ読み飛ばしをお願いします。
99歳になる母はこれまで要介護1でしたが、2月26日(水)の夜に激変。自力歩行はおろか、自分で立ち上がることもままならなくなりました。2月26日の午前中までなら母は室内をゆっくり歩くこともでき、簡単な調理作業も可能でした。日常生活のほぼ全てのことに介助がいきなり必要になってしまったことに驚きました。それまで使っていた歩行器も全く役に立たなくなり、車椅子が必要です。
母の様子が激変した翌日の2月27日(木)にケアマネージャーさんへ連絡し、室内用車椅子のレンタル、要介護認定区分の変更申請、介護訪問員(ヘルパーさん)派遣について相談。
3月4日(火)から毎週1回のヘルパーさん派遣が始まり、少しだけ私がホッとできる時間ができました。ケアマネさんからも私1人で抱え込まないようアドバイスを頂戴しています。寄り添ってくれるケアマネさんとヘルパーさんに感謝です。
母は、これまでの穏やかな表情が急に険しくなり認知機能も急激に低下。3月5日(水)には私のことを他人と認識することがありました。2月中旬から続いている両下肢皮膚の痛みが時々激痛になる影響のためか、幻覚・被害妄想などの錯乱や興奮も少しずつ発出。スタッフへの不信感、服薬拒否、私への攻撃行動も増えてきました。母に寄り添い日常生活のほぼ全てを介助しているつもりですが、被害妄想からくる曲解や非難の言動が常時あって私の気がなかなか休まりません。
また、3月6日(木)に緊急往診してくれた在宅訪問診療の医師に対し、興奮のあまり手を上げたり不信感マックス状態。医師も対応が難しい状況でした。
また、詳しいことは省きますが、私の思い違いで数年間にわたり知人に迷惑をかけていたことが最近になって判明。自己嫌悪感で凹んでいる最中に起きた母の急変でした。
以上のダブルパンチの影響で私が寝られなくなったことや、母の幻覚妄想状態・精神運動興奮状態などの対応を相談しようと3月6日(木)の夕方、母が寝ている間にメンタルクリニックを受診。
精神科医が時間をかけて聞いてくれた結果、やはり私のことよりも母への対応を最優先し精神科への早急な入院を勧められました。
以上のことをケアマネさんと在宅訪問診療の医師と共有したところ、早急に母の受け入れ先を検討してもらえることになりました。この日の深夜から明け方にかけ母が壁や家具を叩く騒音がお隣さんにまで聞こえていたことを近くに住む民生委員さんから教えてもらいました。
3月7日(金)10時に母の知り合いでもある民生委員さんが心配して来宅。4時間も母に寄り添ってもらった結果、ようやく母は服薬を再開。
両下肢皮膚疾患の激痛が精神疾患的な言動を招いている可能性があるため両下肢の治療を優先することとし、在宅訪問診療の医師とケアマネさんの奔走で総合病院への入院が決定。3月10日(月)10時に介護タクシーで病院へ到着し無事入院となりました。
2週間続いた自宅内での全介助がようやく一段落です。
入院先の看護師さんや地域連携室のスタッフさん達から私へ「大変でしたね。しっかり休んでください」とねぎらいの言葉を個別にかけていただきました。病院スタッフの皆さん、私がどんな状況だったのかが想像できるのですね。入院手続きをし帰宅後に体重を測ると2週間で6kg減っていました。ダイエット成功です。(笑)

2月26日(水)の午前中に皇居の庭園で撮影した寒椿?の一種です。
今回、初めて介護タクシーを利用した体験を3月13日(木)のブログ記事で紹介しようと思います。その次の3月15日(土)のブログ記事から通常通り「星と旅の記事」に戻ります。ご心配をおかけしました。m(_ _)m
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