あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

かみなりをまねて腹掛やっとさせ(川柳)

2009-05-10 15:47:21 | 日記

御茶ノ水「聖橋」

御茶ノ水駅を降りて右折すると
聖橋です。
丸いアーチが独特の雰囲気を生み出していますね。
この聖橋の上は
鉄道ファンにはたまらない場所らしいのです。
いつでもカメラを抱えた人がうろうろしています。
中央線、東西線、地下鉄などが交差している。
車両の色柄も違う。
しかも、走っているところが立体的ですので
絵柄としてもいいのですね。
今日は外国の観光客が撮っていました。
そういう自分も好きな場所です。
この場所から写真を撮って
「神田祭」に直行
日差しが強く
夏祭りそのものですね。

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今日は神田祭
もう祭の写真はこりごり
目線が神輿と同じなので
躍動感がある写真が撮れないのです。
脚立を準備するくらいの根性がないと
それらしい写真は撮れません。
そんなこんなで
写真を撮る意欲がちょっと減退しましたが
とにかく撮ってきました。
これでいいのだ!
「朝日のように爽やかに」にアップしましたので
関心がある方、そちらに回ってください。
左のブックマークを利用してください。

http://iwasisanma.exblog.jp/

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シラ書(集会の書)

フランシスコ会訳

かたくなな心は、終わりがない禍に陥り
危険を好む者は、危険によって命を落す。
かたくなな心は、悩みを背負い、
罪びとは罪を重ねる。
高慢な人の苦しみには、癒す術がない。
悪い木が彼に根を下ろしているから

共同訳

心のかたくなな者は、晩年になって苦しむ。
危険を好む者は、それによって身を滅ぼす。
心のかたくなな者は、重荷を負って悩みみ苦しむ。
罪人は、罪に罪を重ねる。
高慢な者が被る災難は、手の施しようがない。
彼の中には悪が深く根を下ろしている。

罪を犯した人は、その罪を正当化することでしか生きられないと錯覚する。
だから、その行為を正当化するために
同じ行為を繰り返す。
裁かれてにっちもさっちもいかなくならなければ
顔を向けることはない。
そんなことを思うのです。


死はひややかな空とほく雲のゆく   種田山頭火

2009-05-10 05:27:52 | 日記
神代植物園の薔薇

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今日の「万葉集」

家人の 待つらむものを つれもなき 荒磯をまきて 臥せる君かも

家の人が今ごろしきりに持っているであろうに、縁もない荒磯を枕に臥せっておられる君は、まあ

挽歌に登場する一首です。
万葉集を読んでいると
日本の知っている山は険しいヒマラヤのような山はなく
長江のような大河もなく
砂漠もない
受け入れることが可能なそんな自然なのです。
死もそのような受け止め方をしているのですね。


「日めくり万葉集」を見ていたら吉野に旅したくなりました。

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今日の山頭火

死はひややかな空とほく雲のゆく   種田山頭火

このように意味が見えにくい句が山頭火には多いと思います。
素人オヤジの頭では奥深い真理が理解できないのか
無知だから理解できないのか
感性で読み取ることができないのか
そのいずれでもないか
よく分かりません。
ただ、無限大に広がる空と
吸い込まれる雲の二重構造を
読み取っているのかなあと思ったりもします。
分るものは分る
分らないものは分らない。
自分がわかる句
入ってくる句
感じる句だけを読めばいいのですね。

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ひとりごと

「こころの時代」では興福寺元貫首多川俊英氏が登場していました。
番組では
自分自身の若い頃の悩みを語り
修行時代を語り
唯識論を解説し
自身の悩みを語り
時代を語りましたが
よく聞いていると、説明に自分が出てこないですね。
解説が上手になることが修行ではあるまいし
建物を継承し
補修をなすことが自分の仕事だと心得ている。
いかにもという立派な法衣を着て
きっと、優秀な息子がいて
支える妻がいて
高級車に乗って
福祉関係のグループの顧問とか
そんなことをすんなり受け入れて
経典を知人の歌人の作品を引用して
死を語っている。
説明上手な僧侶ならごまんといる。