あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

料理人客に成日は口が過ぎ   江戸川柳

2009-05-13 19:23:11 | 日記

神代植物園

ペチニアの花の変形でしょうか。
柄が単純で形に雰囲気がない。
いかにも
派手で人工的で可愛くないけど
それでいい。
そんな感じの花ですね。
春から初夏にかけて
街のいたるところに登場する
不思議な花です。

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今日の江戸川柳

料理人客に成日は口が過ぎ   江戸川柳

医者が患者になったとき
カウンセラーがうつ病になり心療内科に通うようになったとき
引用すべき事例はいろいろ
料理人が客として料理を食べるとき
あれこれ言わなきゃ大人だけれど
何かを言い出して
顰蹙を買う。
ありそうな話
注意しましょう。

年寄りだから許される
そんなことはどこを探してもないと思っていたほうがいい。
講釈
知ったかぶり
教養人ポーズ
そして
その道の「通」
最悪ですね。
まあ、それでいいか。
直しようがありませんからね。

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夕べのひとりごと

ある人が女性とJRパスを利用して温泉に行ったとか
御苦労様。
その人を担ぎ上げた人
御苦労様。
見てみぬフリをしなければいけない関係者
御苦労様。
今日の教訓
「ただほど高くつくもものはない」
いずれにしても大人気ない。

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今日のシラ書(集会の書)

フランシスコ会訳

出しゃばるな。出しゃばると追い帰され
あまり遠くに離れていると、忘れられるだろう。

共同訳

深入りするな、深入りするとはねつけられる。
だが、遠ざかっていてもいけない。忘れられてしまうから。

このような処世術まで含まれているとなると
旧約聖書の世界はことのほか日常的面白い。
それにしても同じ原典でありながら
微妙に訳が違っているのが面白いですね。

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「新宿鮫・眠らない街」(滝田洋二郎監督・真田広之主演)

いわゆるハードボイルド小説の映画化
拳銃マニアが出てきたり、ゲイの殺し屋が出てきたり
SMのような場面が出てきたり
新宿と言われて「あるかもしれない」と思われる
風俗が何でも登場する。
もちろん、二丁目も舞台になっている。
それがクールでいいと言う人もいるだろうし
ここまででたらめでいいの?
という反応をする人もいるでしょう。
私は、もう、人を殺したり、騙したりする映画はいらない。
そんな人ですから、途中でいやになり
とりあえず「見たことにしよう」で終わりました。
でも、この監督、何でもこなせる映画監督ですね。
退屈させないで見る人を引っ張っていきます。
その不自然さをイライラの材料にしないのがプロですね。
若い時代だったら、この不条理な内容に魅力を感じていたと思います。
でも、この歳になったら
見たい映画、見落とした映画で楽しみたいですね。
この映画で主人公の鮫島が捕らわれの身になり
柱に縛るつけられるシーンがあります。
その主人公に恋していた男が口づけをするシーンがあります。
よく見ていると
二人の口は唾液の糸でつながっているのがわかります。
このような映像を監督は撮りたかったのですね。
演技とはいえ、俳優は大変な仕事です。



おもひではあまずつぱいなつめの実   種田山頭火

2009-05-13 06:48:10 | 日記
神代植物園の池

時代植物園には小川があります。
地下水をくみ上げているようです。
小さな小川となり、池としか呼べない
いくつかの水溜りがあります。
その周辺には落葉松の林があります。
水に映る大木が好きで
いつも写真を撮ります。
今は初夏、睡蓮の季節まであと少しですね。

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今日の山頭火

おもひではあまずつぱいなつめの実   種田山頭火

この句に出会って
なんと言ったらよいのでしょうか
種田山頭火にもこんな句もあった。
初恋では陳腐だし
母親の死などの
忘れられない想い出のひとかけら
そんな重さも見えてこない。
それぞれの人にそれぞれの思い出
知ることもできないし
知ることから何も生まれてこない。
そんな気がします。

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今朝のひとりごと

五月は花の季節
いっぱい楽しみたい。
花の追っかけ
いい愉しみが身につきました。
花は花そのものも楽しいけれど
丹精こめて育てている人の思い
日々の営みが重なって見えるのが楽しいですね。
最近、昭和記念公園の盆栽苑の職人さんと顔なじみになり
ときおり声をかけてくださるようになりました。
盆栽のことを語るときの表情がいいですね。
孫を語るように、
受け継ぐ文化の重さを感じるように
語ります。
いいですね。

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今日の万葉集

あしひきの山川の瀬の響(なる)なへに弓月(ゆつき)が嶽(たけ)に雲立ち渡る
 
【現代語訳】

山中を流れる川の瀬音が高まるにつれて、弓月が岳一面に雲が湧き立ちのぼる。

この当たり前の風景を当たり前に描写するスタイル
扱う題材も同じようなもの
そんな思いもありましたが
それぞれの人のそれぞれの歌
他人と同じであろうと
似ていようが、そんなことはどうでもいいこと
自分の歌は「万葉集」に乗せる歌だから
個性的な歌を作ろう
などと考えてはいないでしょう。
他の作品と似ていようと
自分のものは自分のもの
似ているのは偶然なのですね。
写生を大切にした歌は
障壁画あるいは水墨画を連想させます。
いいですね。