あきオジの風景

写真、そして、俳句(もどき)
毎日更新しています。

小さい橋に来て荒れる海が見える  放哉

2009-05-25 20:05:41 | 日記

昭和記念公園の赤いケシ

ときには植物図鑑といわれるのは嫌だ。
そう思うことがある。
自分が写真を撮るのだから
多少の表現力で自分らしさを示してみたい。
花を素材にしているのは
風景写真が難しいこともあるし
人物写真は迂闊に撮ってトラブルになりかねない時代です。
そんなことで了解を取らなくてもいいし
いけば確実に写真が撮れる。
そんなことなのですね。
でも、何か工夫しないと
自分が退屈してしまう。
目標はいつでもメイプルソープ
そんなこと言ってもいいの?

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今日の放哉

小さい橋に来て荒れる海が見える  放哉

終焉の地である小豆島での句でしょうか。
句の気配からして違うような気もします。
厭世的気分とは、何か違うような気がします。
それと、瀬戸内海には荒れた海のイメージがありません。
それはそれ、望郷の思いが感じられる句ですね。
あの向こうが山口県
そんなこともあるかもしれませんね。

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今日のシラ書(集会の書)

フランシスコ会訳

健康と体力は あらゆる黄金に勝り。
逞しい精神は、計り知れない富に勝る。
体の健康に勝る富はなく
心の喜びに勝る楽しみはない。

共同訳

貧しくても健康で体力のある方が
裕福で病気に苦しんでいるよりはよい。
健康で丈夫な体は、あらゆる黄金にまさり
強じんな精神は、莫大な財産にまさる。

原典がどれなのかわかりませんが、ずいぶん表現が違いますね。
でも、趣旨は同じですから不都合はないのでしょう。
別の原典では「わたしは黄金よりは健康を、真珠よりは喜びに満ちた
心を好む。」という表現もあるそうです。
どこがどうという解釈を探すつもりはありません。
二つを並べると、内容が立体的になり
「なるほど」と言えるような理解が得られる。
それだけの話です。
オリンピックの精神はこの辺りが出典と言われると納得してしまいそうですね。

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夕べのつぶやき

この数日、映画の愉しみの記事にするような映画を見ていないですね。
「剣客商売」なら、その日に放映しているチャンネル探してみているのですけれど
ね。
まあ、いいか!
日々の愉しみさえも仕事にしてしまうのでは、しかたありませんね。
ぼちぼちでいい。
休んでもいい。
止めなければそれで十分ですね。

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やっぱり一人はさみしい枯れ草  山頭火

2009-05-25 06:14:08 | 日記
箱根湿生花園のエーデルワイス

オーストリアの国の花
「サウンドオブミュージック」で歌われたことでお馴染み。
このような花だったのですね。
「サウンドオブミュージック」を見たとき
どんな素敵な花なんだろうと想像していました。
でも、ちょっと意外でしたね。
慎ましく、周囲を押しのけるような花ではないのですね。
でも、本当に愛する人は
たまらなくいとおしく感じる花ですね。
みんなは通りすぎてしまうけれど
「私は大好きな花よ」と
声をかけたくなります。
ときおり、自分だけの特別の花
そんなことを感じる花に出会いますね。

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今日の万葉集

霖雨の晴れぬる日に作る歌一首

卯の花を 腐す長雨の 始水に 寄る木屑(こつみ)なす 寄らむ子もがも

こんな解説がありました。

せっかくの卯の花をだめにする長雨、この雨のせいで流れ出す大水のその先に寄りつく木っ端のように、私に寄り添ってくれる娘でもいたらなあ。(新潮古典集成)

始水とは水量を増した流れの先端のことを示すようです。
「卯の花腐し」「五月雨」などが同じ趣旨で使われているのでしょうか。
ちょっとだけじれている作者の気持ちが面白いですね。
動的な状況を描いた作は、音を感じていいですね。

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朝のひとりごと

背をちょっとだけ正して
知ったかぶりの話に口を挟まず
愛想合せの話題には頷くだけで
自分から話し掛けず
親切風の嫌味にはのらず
とりあえず、自分からトラブルを起こさない。
そんな呪文を唱えてから
お出かけください。

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