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ほっと たいむ

花、歌、絵本、空、そして孫・・・大好きなものに囲まれた大好きな時間

また地震・・・

2012年03月15日 | 災害(地震・台風など)
昨日もかなり大きな地震が・・・

ちょうど三陸沖の地震のニュースを見て、「いつまで続くのかな~~~」って主人と話している最中、
ガタガタと揺れだしたじゃないですか・・・

いつもの揺れとは違っていたのですぐ外に飛び出しました。
それもスリッパのまま・・・

1年前のことがよみがえって来て、心臓がドキドキ・・・
本当に恐ろしかった・・・

だめなんですよ~~~~~あの3.11以来・・・

旭市は震度5弱、揺れている時間が短かったので被害はありませんでした。
家に入ってからは、津波が気になって・・・
でも「津波の心配はありません」と言うことだったので安心しました。
旭市でも海岸沿いの皆さん、怖かったでしょう・・・

ドキドキはなかなか治まらなくて、妹や長女からの電話の応対にも「大丈夫」と言いながら 
声は上ずりかなり動揺していた自分がいました。

同級生からもメールをいただき、離れていても心配してくれる友達がいることに感謝しました。

昨夜は洋服を着て寝ようかと、真剣に思ったほどでした。

お隣の銚子市は震度5強、かなり被害が出たようです。

余震におびえる生活、もういやだな~~~~   本音です。





2012年3月11日

2012年03月13日 | 災害(地震・台風など)
14時46分

ひらりんは、旭市の津波被害のあった海岸を見渡せる高台でその時を迎えました。



飯岡刑部岬展望館~光と風~


私と同じようにこの場所でこの時間を迎えた方が大勢いました。
ご夫婦、ご家族、オレンジ色の服を着た消防署のレスキュー?の方々、
そして私のように1人で海を見つめる人、様々な思いでこの場所に立っていたんだと思います。

防災行政無線のサイレンの合図で手を合わせて 津波の犠牲になられた方々のご冥福をお祈りしました。
手を合わせている間中、1年前のことや今のこと、家族のこと、
様々なことが頭の中に浮かんでは消え、涙がとまりませんでした。

この穏やかな海から津波はやってきました・・・






ずっと長く続く海岸線、この海沿いの地域が被災しました



富士山百景 写真展in旭市

昨年もこの場所で写真展がありました。
3月13日に見に来ようと思っていましたが、地震で叶いませんでした。
展示されていたお写真、大丈夫だったでしょうか・・・


素敵なお写真ばかりで心が洗われるようでした。
グランプリの写真を撮ってきたのですが、ブログに載せていいのかわからないので、止めておきます。
ブルーの紫陽花と白の墨田の花火でしょうか・・・
2つの紫陽花越しに写るちょっとだけ雪をかぶった初夏の富士山の写真です。
このポスターにある「岩本山」から撮った1枚だそうです。

折角なので、講評だけUPしておきます。
どんなお写真なのか想像してみてくださいね。


富士市まで直線で200km
実はこの展望館からも条件が合えば、富士山が見えるのです。
残念ながら私はまだ見たことがありません・・・


日本一の富士山、山梨出身の私としては、今度こそ世界遺産に登録されて欲しい・・・


今日出かけたもう1つの目的、
飯岡漁港で行なわれた「慰霊の線香花火&復興イベント」への参加でした。
上の写真で漁船がたくさん泊まっている所が漁港です。

15:30 オープニングセレモニー(慰霊の演舞)

16:00 開会式
(小・中生徒&市民の合唱)ここで童謡の会に参加している私は、「上を向いて歩こう」
「見上げてごらん夜の星を」「アベマリア」「あの鐘を鳴らすのはあなた」「故郷」を皆と一緒に
心を込めて歌いました。

17:00 わっしょいタンゴ


17:30 慰霊と希望の鐘(小・中・市民)
希望のメッセージ(被災者市民の代表・飯岡中生徒)
永六輔・伊藤多喜雄・ナポレオンズからのメッセージ



17:50 慰霊の線香花火(311本)


希望のメッセージの書かれた竹筒(頑張って行こう)




祈り
  

テレビでは1日中、震災関連の番組が放送されていました。
復興復興と言っても、進んでいるようで進んでいない現実・・・
東北の瓦礫、受け入れてあげて・・・

この日も太陽が静かに沈んでいきました。

あの日から 1年 <あたらしいひと>

2012年03月11日 | 災害(地震・台風など)
あの悪夢のような地震から1年・・・
今振り返っても夢だったらよかったのに・・・と思うのは皆同じだろう。

1年経ってもまだあの時の光景が浮かんでくる。


昨日の東京新聞の「筆洗」の欄にこんなことが書かれていた。

東京新聞 筆洗
2012年3月10日

 これは米国の幼い子らが神様にあてて書いた手紙の中の一通だ。<ひとを しなせて あたらしいひとを つくんなきゃ ならないのなら かわりに いま いるひとを そのままに しといたら どう?/ジェーン>(谷川俊太郎訳『かみさまへのてがみもっと』)▼あの日から明日でもう一年になる。大震災による夥(おびただ)しい数の犠牲者とは、それぞれに誰かのかけがえのない人だったはずで、そう思えば、この少女の“提案”が、どうにも切なく胸に迫る▼神様は、<いま いるひとを そのままに>しておいてはくれなかったが、その日も<あたらしいひと>をつくった。明日は、被災地が迎える犠牲者の初の命日。だが同時に少なくない子の一歳の誕生日でもある▼『ハッピーバースデイ3・11』というサイトで紹介されている宮城県南三陸町の佐藤春晴(はるせ)ちゃんも、その一人。震災当日の午前四時すぎに生まれた。だから父や祖母は仕事を休んだ。それで津波の難を逃れた▼福島県には震災発生から三十分もたたぬうちに生まれた子もいる。病院にいた母親の陣痛の最中に地震が起き、退避した駐車場の車の中で取り上げられた▼自然の前では人はちっぽけな存在だ。そう思い知らされた3・11。だが、その中でさえたくましく命を紡いだのも人。<いま いるひと>たちに勇気をくれる<あたらしいひと>たちである。


我が家でも徳島に嫁いだ娘が里帰り出産で帰ってきていて、この地震に遭いました。
徳島にいたら経験しなくてもすんだのに・・・
こんな怖い思いしなくてもすんだのに・・・
スティル病も発症しなかったかもしれない・・・
くよくよ考えてばかりのひらりんでしたが、小さい孫たちが元気を与えてくれました。


<あたらしいひと>の一人です。

2011年3月11日生まれのROちゃん、こんなに大きくなりました!

お誕生日おめでとう 



お兄ちゃんのSOちゃん、お兄ちゃんらしくなってきたね 


5月の連休には家族で来るそうです。
楽しみ~~~

あとはママの病気がよくなることを願うばかりです。


今日は被災地である旭市でも追悼式典、復興イベントなど 何箇所かで行なわれます。
「童謡の会」で飯岡漁港での参加に声をかけられているひらりんです。

地震が起きた14時46分防災行政無線からのサイレンで黙祷、
犠牲になられた方のご冥福をお祈りしたいと思います。

揺れる~~~

2012年03月02日 | 災害(地震・台風など)
最近やけに揺れてます・・・


2月29日 
18:00 震度2 (福島県沖)  電気の傘が揺れています・・・
23:32 震度3 (千葉県東方沖) 長い横揺れ めまいがして気持ち悪い~

3月1日 
7:32  震度2 (茨城県沖) 神棚と荒神様にお灯明をあげたばかり、ロウソクが倒れてないかすぐに確認
                 ロウソクに火を付けるの止めておこうかな・・・ 
11:12 震度2 (千葉県東方沖) パソコンの前です。座っていると余計感じます。

3月2日
19:11 震度2 (千葉県東方沖) ガラスの入ったドアがガタガタ音を立てて揺れてます・・・

最近揺れすぎ~
震度2でも3に近いと思う揺れです。
揺れていない時でも揺れている感覚に襲われます。
そしてめまい・・・
私の身体、あの時からちょっとおかしい・・・
大丈夫かな~?

きっとひらりんと同じような人、いっぱいいるよね・・・


震災からもうすぐ1年、旭市の広報で震災の記録が掲載されました。
    
ポチ!→広報あさひ No.161(平成24年3月1日発行)



忘れてはいけない事実です。
後世に伝えていかなくてはならない真実です。

まだまだ困っている人がたくさんいます。
私には何が出来るかな・・・

この広報誌は、永久保存版で大切に取っておきます。


  


先日ウォーキングの途中、見た雲。


ひらりんは尾びれを付けたら「イルカ」に見えたんだけど、次女に得意になって見せたら返ってきた言葉は・・・
「どう見ても シタビラメ~~~」 
だから~~「尾びれを付けるんだってば~~~

こんな なんでもない会話が嬉しい・・・

震災復興支援

2012年01月22日 | 災害(地震・台風など)
昨年の話なのですが、次女、KNちゃん、KEちゃんと一緒に
自宅から1時間かかるホームセンターに行きました。
そしたら、入り口にガチャガチャがズラリ・・・

ガチャガチャは全然興味の無いひらりんでしたが、よ~く見ると「うん、これは?」

「東日本大震災 震災復興支援商品」の文字が・・・


こんなのでも支援が出来るんだと初めて知りました。→企画の詳細はこちら

水族館で「復興支援商品」を見た事があった次女たちは、これも目的の1つに入っていたらしく、買い物終了後、みんなでガチャガチャ・・・

1個200円はちょっと・・・かな?と思っていたひらりんもこの「リアルかに」を見たら、
はまっちゃいました!

こちらは「さわがにマグネット」です。
リアルでしょう?
動き出しそう~~~


こちらは後日行った時に出てきた「さわがにストラップ」
マグネットより一回り小さめでした。


現在までの寄付金額¥3,942,490
1人では微々たる金額かもしれませんが、みんなでガチャガチャやると
大きな支援になりますね。
ひらりんたちも支援に貢献できたということかな。





「寄付」と言う言葉で頭の隅にずっと書かなくては・・・と思っていた事がもう一つ。

これも昨年の夏の話になるのですが、千葉県の八千代市に
「八千代少年少女合唱団」という素晴らしい合唱団があります。

震災後の6月、「八千代少年少女合唱団」の保護者のHさんから
「あさひ少年少女合唱団」の記事を載せているひらりんのブログ宛にメッセージが届きました。


Hさんからのメールの抜粋です。(Hさん載せさせていただきました

(前略)
合唱団は4月の定演に向けて追い込みの時期でした。
春休みの4泊5日の合宿も目前でした。

合宿はなくなりました。
今歌を歌っている場合か?という意見もありました。

命にかかわることはなかったとはいえ、たとえば子どもの学校では3月いっぱい水道が使えませんでした。
トイレは仮設が中庭に設置されました。給食もなくなりました。卒業式は保護者・在校生は不参加で各教室で行われ、離任式はなくなりました。

子どもの表情は暗くなりがちでした。
そんな中、再開された練習では、子どもたちは本当にイキイキとしていました。
迎えにいくたびに一生懸命練習した充実感・仲間と過ごした時間への満足感にあふれた子どもの笑顔に癒されました。

定期演奏会も当日朝まで開催未定とういう状況でした。
どうにか開催された演奏会で販売した合唱団オリジナルグッズの売り上げをすべて寄付することになりました。

集まった寄付金をどうするか?中学生以上の団員で話し合った際に
 「数年前に合唱フェスティバルでお世話になった旭市はメディアにほとんどとりあげられないけど被災地なんだ、
そこには毎年一緒に歌っている「あさひ少年少女合唱団」もあるんだ」
という話が団員からでたそうです。(後略)


 7月の下旬、旭市に代表が来られて、
直接旭市役所を訪れ市長に寄付金を手渡して下さったそうです。
市長室で素敵な歌声まで披露してくださったとのこと・・・


   
写真はこちらのブログからお借りしました。


‘旭市の広報に載るかな?’と密かに期待していたひらりんでしたが、
私が知る限り見られませんでしたので遅くなりましたがここで紹介させていただきました。

そして旭市の一市民としてお礼を言わせていただきたいと思います。

合唱団員の皆様の暖かい心、本当にありがとうございました。